辞世の句vol.09 「犬養毅」
「話せばわかる」
犬養は自宅でくつろいでいるときに襲撃にあい、記録上は銃撃による暗殺と
なっています。
犬養は銃撃を受けたあと、駆けつけた女中たちに襲撃犯を連れて来いと命じたあと、この言葉を言いました。
満州事変の際にも話し合いでの解決を望んだ、犬養らしい言葉だといえます。
犬養毅は日本の政治家で、中国進歩党や立憲国民党の総裁、文部大臣、外務大臣、内務大臣、内閣総理大臣など多くの役職を歴任しました。
安政2年4月20日(1885年6月4日) 〜 昭和7年5月15日
岡山県に生まれ、慶応義塾に学ぶ。郵便報知新聞の記者として西南戦争に従軍明治23(1890)年第1回総選挙で衆議院議員に当選、以後第18回総選挙まで連続当選。
昭和4(1929)年立憲政友会総裁。6年、首相となるが、翌年5・15事件で暗殺される。
ジャーナリストとして活躍した犬養毅は、「全国護憲記大会」の演説で、このような言葉を残しています。
「すなわち記者諸君は公平なる地位にあって、各政党の正否を裁く裁判官で
あると同時に、政党が正義に向かって進むことを躊躇する場合、これを鞭撻し激励する役目にあるものである。」
また、この世を去ることになった五・一五事件においても、犬養毅の言葉を
無視して9発も発砲した海軍青年将校に対して「9つのうち3つしか当たらん
ようじゃ兵隊の訓練はダメだ」と毅然とした態度で海軍青年将校を批判しています。
犬養毅は言論の力を信じ、ジャーナリストを鼓舞し指揮するだけでなく、その一生の最後まで言葉での戦いを貫きました。
刀剣ワールド 犬養毅/ホームメイトより
https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/inukai-tsuyoshi/
「憲政の神様」と呼ばれましたが、満洲事変後軍部と衝突し海軍青年将校らが、犬養毅が在住する首相官邸へ乱入し射殺されてしまいました。
政治家の評価は難しい面も多々ありますが、与党だ、野党でなく軍部が関わればそこはまた凄い修羅場が待っていると思います。
その中で命を賭して日本の国を良くしようと頑張り抜いた姿には感服します。今の生ぬるい政治家の先生方にも見習ってほしいと思います。
きっと犬養毅と同等な志や信念をもって政治家を務めていればこの国はもっと素晴らしい国になっているはずですから・・・?