人生二周目、還暦からの学び直し!VOL.7「百人一首5」
第9位:「あまの原ふりさけ見ればかすがなる三笠の山にいでし月かも」安倍仲麿
現代語訳:大空を振り仰いではるか見渡してみると、美しい月が出ている。
あの月はふるさとの奈良の春日にある三笠山に出ていた月なのだなあ。
解説:遣唐使として派遣されていた安倍仲麿が、数十年ぶりに日本に帰国を
19歳で唐に渡った安倍仲麿もこのとき50歳。唐で役人として順調に出世しながらも、故郷を思い続けていたのでしょう。ふと見上げた月に故郷を重ねるようすからも切実な望郷の念が感じられます。
19歳で唐に渡った安倍仲麿もこのとき50歳。唐で役人として順調に出世しながらも、故郷を思い続けていたのでしょう。ふと見上げた月に故郷を重ねるようすからも切実な望郷の念が感じられます。
なお、仲麿を乗せた船は途中暴風雨に襲われ、安南あんなん(現在のベトナム)に漂着。日本にたどり着くことはできませんでした。
出典:古今和歌集
作者紹介:安倍仲麿(あべの・なかまろ)(706年-764年)※諸説あり
奈良時代に遣唐留学生として入唐し、玄宗皇帝に仕えて厚遇(あつくもてなすこと)された。
李白や王維といった唐の詩人たちとも親交を深めた。
遣唐使として唐に渡った中でも、特に優秀だったと言われる安倍仲麿。官僚
登用試験である科挙にも合格し、玄宗皇帝に仕え順調に出世を重ねました。
唐に渡って十数年が経ったときに帰国を願い出るも、優秀な仲麿を手放したくない玄宗皇帝の許しを得ることができませんでした。
そして唐に渡り数十年が経ったところで、ようやく帰国の願い出を許されましたが、仲麿が乗った船は難破。安南(ベトナム)に漂着した後、唐の長安に戻ることとなりました。その後も官僚として働き続けた仲麿は、日本の地を再び踏むことはありませんでした。
第10位:「きみがため春の野にいでて若菜摘むわがころも手に雪は降りつつ」光孝天皇
現代語訳:あなたのために、春の野原に出て若菜を摘んでいる私の着物の袖に、雪が降りかかっていますよ。
解説:光孝天皇が即位する前、親王しんのうだったころ、親しい相手に若菜を贈ったときに添えた歌。若菜は、相手の健康や長寿を祈って贈る草と言われています。袖に雪が降りかかりながらも、大切な相手の健康を祈って一生懸命摘んでいる様子とその時の気持ちが伝わってくるようです。
若菜の緑と雪の白の色の対比も美しく目に浮かんできます。
出典:古今和歌集
作者紹介:光孝天皇(こうこうてんのう)(830年-887年)
第58代天皇。55歳で即位するが、在位3年あまりで崩御。和歌や和琴の名手
としても知られています。
容姿も人柄も優れていた光孝天皇は『源氏物語』の光源氏のモデルではない
かとの説もあるようです。
55歳のとき、藤原基経ふじわらのもとつねの強い推薦で即位しましたが、
権力争いなどに興味がなく、実際の政治はほぼ基経に任せていたと言わ
れています。