村上春樹1980年発表の短編「街と、その不確かな壁」について
2023年4月に発刊される予定の村上春樹の新作が『街とその不確かな壁』というタイトルであることが新潮社から発表された。
村上春樹は雑誌「文學界」1980年9月号に『街と、その不確かな壁』という80枚ほどの短編を発表している。
この年の第83回芥川賞に村上春樹の第2作『1973年のピンボール』がノミネートされた。芥川賞を受賞した作家は主催の文藝春秋が発刊している文芸誌「文學界」に受賞第一作を発表するのが慣例なので、そのために『街と、その不確かな壁』は書かれたとされている。
しかし結局『1973年のピンボール』は芥川賞を受賞しなかった(第83回芥川賞は「該当者なし」)。『街と、その不確かな壁』は「文學界」に掲載されたものの書籍化されることはなく、いまでは「文學界」のバックナンバーを手に入れるしか読むことのできない幻の作品になってしまった。
この作品は、そのタイトル通り壁に囲まれた街の話であり、村上春樹の熱心な読者であればそれだけでピンとくるように、1985年に発表された長編『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の、「世界の終り」のパートの原型となっている。
以下は、少々長いが『街と、その不確かな壁』に関してかつて僕が書いたレビューである。
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「1973年のピンボール」が芥川賞候補になり、その受賞第一作として発表するために書かれたと言われる作品。中編と呼んでいい分量(70~80枚程度)で内容的にもその後の作品につながる重要なものでありながら、文芸誌に掲載された後、短編集はもちろん全集にも収録されないままとなっている。
タイトルからも推測されるとおり、長編「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を構成する二つのストーリー・ラインのうち「世界の終り」の原型をなす作品で、壁に囲まれた静かで密やかな街に迷いこんだ「僕」が、自分から切り離された「影」とともに街からの脱出を企てる物語である。
基本的な設定や世界観は「世界の終り」と通底しているが、ここでは「僕」は現実の世界で死んでしまった恋人によって示唆された「街」に自らの意志でやって来る。彼女にとっては現実の世界は「影の世界」であり、「街」こそ本当の自分が住む場所なのだと言う。僕は「影」を切り離すことによってその「街」に入り、予言者として古い夢を読む仕事を得る。
興味深いのはここで、「影ってのはつまりは弱くて暗い心なんだ」と明らかにされていることだ。壁に囲まれた街は暗い心を捨てた者の住む場所なのだ。すべてが終わった後の時間を限りなく引き延ばすことで静かな永遠を生きている街。ここには村上春樹の世界を見る眼差しが、「世界の終り」にも増してはっきりと映し出されているような気がする。
しかし、ここでは「世界の終り」と異なり、「僕」は「影」とともに「たまり」に飛び込み、現実の世界に帰還したことが示唆される。そしてそれによって壁に囲まれた「街」はひとつの解決を与えられ、「僕はかつてあの壁に囲まれた街を選び、そして結局はその街を捨てた」「僕は生き残り、こうして今文章を書きつづけている」という形で小説的に整理されてしまう
「僕」がたまりのほとりで「影」を見送り、そのために読者が回収されない当事者性を引き受けたまま物語を読み終わらざるを得ない「世界の終り」と比べて、最後の踏み込みが一歩足りない感は否めない。
表現上も「ことば」に関するプロローグとエピローグが不要に難解で生硬だ。第三作として単行本化された「羊をめぐる冒険」に比べて、初期二作の村上の文体のハードエッジな部分を純化する形で物語を推進しようとした形跡が見て取れる。僕は文学作品において「暗い」ことが間違ったことだとは思わないが、この作品では文体があまりに生真面目で息苦しく、陰鬱な雰囲気が全体を覆っていて、村上自身も必ずしもそれを意図した訳ではなかったのではないかと思うほど暗いと言うほかない。
したがって、村上がこの作品を自らの作品系からいわば切り捨て、それに代わるものとして「羊」を発表た後に、改めて「世界の終り」という形で壁に囲まれた「街」の物語を再生しようとしたのは無理からぬことだったと思う。
だが、それにも関わらず、本作はこのまま世の中から忘れ去られるには惜しい魅力を備えてもいる。それは、村上の、どうしてもこの物語を語りたいという強い意志がそこに隠しようもなく表れているからである。ある強固な物語の方法によってしか語られ得ないもの、実際にはあり得ないものを通してしか喚起され得ない感情がそこにあるということ、そしてそれが自分には語り得るのだという村上の初期衝動にも似た明確な意気込みがそこに密封されているからである。それは次の一節に明らかだ
「僕はこれまでにあまりにも多くのものを埋めつづけてきた。
僕は羊を埋め、牛を埋め、冷蔵庫を埋め、スーパー・マーケットを埋め、ことばを埋めた。
僕はこれ以上もう何も埋めたくはない。
しかしそれでも僕は語りつづけねばならない。それがルールだ」
小説としてはいかにも試行錯誤的でありこなれない部分、いくぶん観念的に過ぎる部分はあるものの、村上春樹の小説世界を理解するためには重要な位置を占める作品であり、その拙さも含めて読むに値する小説である。この作品にきちんとしたアクセスが確保されることを望む。
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新潮社の告知によれば、新作は1200枚の長編ということなので、この短編がそのままリリースされるわけではないだろうが、無関係ということもないのではないかと思われる。だとすれば、新作は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『海辺のカフカ』と何らかの関連をもった作品であることも想像できる。
『街と、その不確かな壁』から43年、そこから読点を抜いた『街とその不確かな壁』のタイトルのもとに、74歳の村上春樹はどんな物語を開示するのだろうか。発売が待ち遠しい。