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シャンソンと私
嘘!ごめんなさい、シャンソン語れるほど知りません。自分にとってのシャンソン=ソワレなので「ソワレさんと私」のお話です。
前段としては1996年に『拝啓、越路吹雪様』といういわゆるトリビュート盤を良く聴いていて、当時も今もずっと好きな小島麻由美目当てで買ったんだけど、まだ存命だった本田美奈子やRCサクセションも参加していた。
その影響で、越路吹雪のことはよく知らないまま、カラオケで小島がカヴァーしていた「ろくでなし」やRCヴァージョンの「サン・トワ・マミー」をよく歌っていた。
そして始まりは2000年9月9日に渋谷ON AIR WEST(今は違う名らしい)で開催されたイベント「MAD FRENCH & Gainsbourg Night」に行ったこと。
先ほどの「拝啓〜」もプロデュースした永瀧達治企画のオールナイトイベントで、永瀧さんが何をしている人かは知らないけれど、ゲンスブールトリビュート盤(1995/こちらも名カヴァー集!)も聴いていたから名前だけは知っていた。
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当日のお目当てはやはり小島麻由美で、ソワレとの出逢いのきっかけの鍵となっている。小島の編成もセトリも忘れてしまったが、最前で見たのは覚えてる。中島らものエッセイでその名を知り、北村昌士のレーベルSSEのコンピレーションにも由紀さおりメドレーで参加していたシモーヌ深雪も見れて感激したり、同じ日にジェーン・バーキンのコンサートも文化村であって、バックバンドの人たちも会場に来ていた。
そんな夜にソワレは、フリフリした衣装でシャンソンを歌っていたのだと思う。その声量にびっくりしたのもあったけど、その日はスタッフも兼任していたのかめっちゃ会場内を走り回っていて、一緒に行った交際中の彼女(現妻)はソワレと衝突してめっちゃ謝られたり、明け方疲れ果ててフロアから出て休憩していると心配して声をかけていただいたり。
「今の人、さっきステージで絶唱してた人だよね?」
それからしばらく経って、2002年12月、雑誌「QuickJapan46号」。小島麻由美特集の裏表紙に惹かれて購入し頁を捲っているとるとそこには「ネオ・シャンソン界の王子様Soiréeが銀皿第一集を発表しています」との記事。
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これはあの時の!?と、早速そのCD『Chansonchic Soirée』を取り寄せて聴いてみると、1曲目の「愛の讃歌」から衝撃を受けた。
越路吹雪のオリジナルは前述の「拝啓〜」にも収録されていたので知っていたが、越路よりも甘く切ない、そして性別を越えた唄声。続く2曲目「キスをちょうだい」というオリジナルもシャンソンというよりもホーンセクションがフィーチャリングされてのジャジーなアレンジでカッコ良い!シャンソンナンバーの「ma vie〜私の人生」はライブでは十八番曲で、途中のタイトルにもなっている「ma vie」の部分の絶唱が圧倒的で、CD収録のスタジオライブ(「青い家」で収録したとのこと)同様、実際のライブでもお客さんからの歓声が入るのがお約束。「風船」では楽しそうなコーラスが入るのだが、アルバムでドラムを担当していたSAKEROCKの伊藤大地の繋りか、星野源や浜野謙太も参加している。SAKEROCKはまだ結成して2年くらいでデモCD出したての頃。
そして最後のオリジナル曲「おやすみなさいのうた」。ソロリサイタルでは最後の締めに歌われることが多く、個人的にはソワレと言ったらこの曲。そして涙。
それからまたしばらく経って2005年。ソワレのお誕生日である6/12にバースディリサイタルが開催されるのを知って再び渋谷ON AIR WESTへ。チケット予約の手違いで開演前に本人に対応してもらってまた謝られた。リサイタル中には紙テープ投げた。
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最後の曲「おやすみなさいのうた」を初めて生で聴いて、ソワレ自身によるピアノ弾き語りなんだけど、胸に沁み入る切ない曲で、唄い終わったあと、スッと会場出口付近へ移動してお客さんのお見送りをしてくれる姿が目に焼き付いている。
最初のイベントの時もそうだったけど、人あしらい(もてなし)が本当にすごくて、自分みたいな食えない貝みたいに固く殻を閉くざした人間にもすっと入ってくる感じが天性の才能とでも言うのか。
バースディリサイタルはこのあと3年連続で行った。何回目だか忘れてしまったが、「ジュ・トゥ・ヴ〜Je te veux」を歌ったときがあって、改めてその曲がシャンソンナンバーであったことを知ったのと、これもとても好きな曲になった。その間奏のときに舞台後ろを振り返って幕を見上げていたときの表情がすごく印象に残っていて、後に知ったのはその作詞をしたシバリエさんがお亡くなりになっていたこと。そして歌う許可を彼女にもらっていたとのことだった。
あとは毎年ゲストで出ていた渚ようこさんのいつの時代から現れたんだろうというような出で立ちと唄声の圧倒的な存在感。サカイレイコ(蛇石れいこ)さんの唄もすごかった。
リサイタル後にアンケート書いたり、イベントに行っているうちに、日本シャンソン会の大御所である芦野宏氏が設立した世界で唯一のシャンソン博物館がある街から通っていたこともあってか、名前や顔も認識してもらうようになった。小島麻由美やメトロファルスも出ていた「渋谷巴里祭」ではピエール・バルーと一緒のエレベーターになったり、「新春シャンソンショー」でのROLLYのギターソロ!戸川昌子さんのイベントや、越路吹雪ナイト。青梅や、神楽坂のビルの屋上、新宿の森の中の一軒家、巨ショッピングモールでのリリイベ。
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ソワレがボーカルのお祭りユニット・ちんどんブラス金魚も見に行ったし、新しく運営することになった渋谷のライブハウスSARAVAH東京、新宿ゴールデン街のソワレ。ずっと彼女と通った。
そして2012年9月には、おこがましながら彼女との結婚式に歌を披露していただいた。
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「愛の讃歌」や「あなたに首ったけ」といったナンバーのほかに、以前にリクエストやアンケートで好きだと言った曲を覚えていてくれて、「ジュ・トゥ・ヴ」、最後の「おやすみなさいのうた」でいろいろな想い(交際も長かったの)が爆裂して号泣してしまった。年取ると涙腺が脆くなるのは本当なのです。
結婚後も二人で東京にライブに行ったし、ツアー追いかけて2013年の7月の大阪がライブの最後。その後子どもが生まれてライブに行く機会も無くなってしまったけど、伊香保の旅館紹介してこちらに来たときにたまたま車で街の中ですれ違って立ち話や妻の職場に行ったこともあった。そのあとは年賀状のやり取りだけで10年近く経ってしまった。
今年はソワレが敬愛する越路吹雪生誕100年の記念すべき年。日本の越路吹雪界第一人者として、1年かけて精力的に様々なイベントを企画してきて、6月にはBS朝日の特別番組で越路について熱く語り、10月に東京国際フォーラムで開催されたその関連イベント「シャンソン・フェスティバル2024」ではオープニングで「ma vie」を堂々唄いあげたとのこと。
そして越路の命日である11月7日には10年ぶりの5thアルバムにして、ついに全曲越路吹雪カヴァーアルバム『ブラヴォー!コーチャン〜越路吹雪を唄う』をリリース。ジャケットも越路吹雪衣装のカヴァー!
11/25、26にはクミコ、浜崎容子、梅垣義明、戸川純らとアルバム同題のイベント開催。その余韻冷めやらぬままソワレ自身も来年にはデビュー30周年の年を迎えるとのこと。
子どもも大きくなってきたし、来年こそまた逢いたいな。
日本では「シャンソン」っていうと敷居が高いジャンルになっているのが現状。
でももともと「シャンソン(Chanson)」はフランス語で「歌」のことだそうです。
あの人やあのグループ、あのアイドルが歌うのも広い意味ではシャンソン。
誰にでもあなただけの歌がある
歌いませんか
さあ今夜
次はあなたの歌を聞きましょう
誰にでもあなただけの歌がある
歌いませんか
さあ次は
あなたの歌の幕をあげましょう
あげましょう
あげましょう
幕を
「誰にでも、あなただけの歌がある」
(日本語詞:岩谷時子)
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