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天野可淡のこと

天野可淡の球体関節人形(いわゆる「カタンドール」)を知ったのは、割礼というバンドが1991年に出したライヴアルバム『Live 9091』のジャケット写真だった。
今思えば、当時のメンバーに、天野のもとで学んだ人形作家三浦静香(故人)の夫である三浦真樹がいた縁であろうか。
妖精か悪魔か。不思議なさみしそうな瞳をした人形に魅せられ、CDのクレジットに載っていた名前でその作者である天野可淡の名前を知った。

割礼公式HPより

当時前橋にあった「LIBRO前橋店」でトレヴィルから出ていた作品集を手にとってはみたものの、学生時代でお金は無く何度も躊躇い立ち読みしながら購入はしなかった。
トレヴィルからは3冊の写真集が刊行されたが、その後、閉社により絶版状態となり、長らく悔やむことに。
1994年にフジテレビで放送された「ワーズワースの冒険」のカタンドール特集はたまたまリアルタイムで見た。
新聞のテレビ欄を見たわけでもなくぼんやりとを見ていたら流れてきた。既に1990年に亡くなっていたこともこの時知ったと思う。インターネットがない時代の情報網は本当に蜘蛛の糸のように細かった。
1998年の初夏であったろうか。群馬県内で天野可淡の人形展が行われるという新聞記事をこれもたまたま見かけ、現地に赴く。
先ほどの「ワーズワース〜」の時もそうであったが、縁のあるもの(こと)については、自分の場合、偶然が強く作用している。運命の導きとでも言うのだろうか。
その人形展は可淡の人形を多数所有されている近藤雅子さんが、北軽井沢(嬬恋村)のギャラリーで開催したものだった。
間近で見る近藤さんのコレクションは、自分より小さな者たちの不思議な瞳に魅入られ、ただただ圧倒された。見る位置によって表情が変わるのも驚きだった。1体セーラー服を纏ったものがあったのだが、その人形とずっとそこにいたかった。
近藤さんには男性が興味を示すのが珍しかったのか、どこで可淡の人形を知ったのかを聞かれ、車にあった割礼のCDのジャケットをお見せして説明した覚えがある。人形たちのポストカードがあるということで後日郵送していただいた。野外で季節の花々と撮った素敵な写真だった。

近藤雅子さんのオリジナルポストカード

当時同僚だった女性(現・妻)と一緒に行った(ちなみに以下すべての展示会等一緒に訪れている)のだが、今改めて会場となった場所を確認すると別荘地の森の中で、ナビもGoogleマップも無い時代によくたどり着けたなぁと思う。

どこから入ったの?

それから数年が経ち、どのように情報を得たか全く記憶がないが、東京で天野可淡展が開催されることを知り、訪れることに。
当時土日仕事の職場で働いていて、平日勤務の彼女と日程を調整し、会期中の一日奇跡的に空いていた日が展示会初日の10月12日土曜日であった。
それが読書記録④で触れた、2002年に元浅草の「マリアクローチェ」でおこなわれた天野可淡展である。

「マリア〜」は人形蒐集家・写真家の片岡佐吉氏が手掛けた人形博物館であった。片岡氏は札幌で「人形屋佐吉」を営み、東京のこのスペースを博物館として運営していたようである。なお後に北海道旅行した際、夜、すすき野で食事した後、街なかを散策していると、あの独特の佇まいのお店をたまたま発見し興奮したものである。入ろうとしたものの遅い時間帯で閉店間際だったこともあり中は見られなかった(人形屋佐吉は2014年閉店し建物も解体済)。

札幌市民の間では有名だったという怪しい建物

元浅草のマリアクローチェは最寄りの駅で降りたものの東京に不慣れで行き先が分からずいたものの、ゴシックな装いの女性方が歩いているのを見かけ、きっとこの人たちもだろうと(さり気なく)あとをつけて無事到着した。

当日にもらった展示会案内のポストカード

会場は地下だった。会場全体が暗めで、照明や音楽、装飾で荘厳な雰囲気となっており、近藤さんの展示のときとは異なるカタンドールのもつ昏く幻想的な世界が展開されていて、素晴らしかった。
当日は可淡のご両親もいらしており、老執事のような装いの片岡氏の進行でトークショー(歓談)もあり、楽しかった。
そこに二階堂奥歯も居たのだろうか?

マリアクローチェはその後渋谷に移転し、「マリアの心臓」として生まれ変わる。
そしてまた渋谷の坂を下っていて偶然お店を見かけ、中に入ったことも。ゴシックでロリータな装いの女性たちがじっとしていたがあれも人形だったのか。
マリアの心臓は2011年に閉館。同名義で京都大原の古民家で再開したようであるが、不定期開館とのこと。もう訪れる機会はないと思う。
2004年、押井守が監督した映画「イノセンス」公開記念に東京都現代美術館で開催された「球体関節人形展~DOLLS OF INNOCENCE」で可淡作品が展示されることに。
それまでと異なり、可淡単独の展示ではなくいろいろな作家の人形も一同に会するものであったが、正直他の作家は記憶に無い。
可淡の人形たちは10体ほど一画に集合し展示されていたのを覚えている。「特別出展」という枠組みで図録にも掲載されていなかったと思う。
会場が美術館で広かったことや、とても人が多く、人形たちとの距離感があったのが残念。そして天野可淡の人形が好きなのであって、申し訳ないが他の作家の作品にはさほど関心がないというのを改めて実感した(それは今でも変わらず)。
2007年、トレヴィルから出ていた3冊の人形写真集『KATAN DOLL』、『同 fantasm』、『同 RETROSPECTIVE』がついに復刊される。特装版を購入し、10数年ごしにやっと手元に可淡作品が。
自分は人形を背負える器ではないので、写真を眺めているだけで満足なのである。

『KATANDOLL』『同fantasm』の特装版

写真集は復刻版とはあるが再編集されたもので、新たに可淡の生涯を追った写真、お母さまや娘さん、前述の近藤雅子さん(近藤さんが制作依頼した人形が可淡親子の結膜炎が作用し瞳の周辺が紅くなったという不思議なエピソード!)、片岡佐吉氏ら関係者によるエッセイの追加や、撮影者吉田良氏の解説もあり充実したものであった。
さらに2015年には片岡佐吉氏撮影による写真集『天野可淡 復活譚』がKADOKAWAから刊行された。

『復活譚』、『RETRO SPECTIVE』

1990年11月1日が命日なので、間もなく亡くなってから34年が経とうとしている。
制作技術的なことに詳しくないのでこうした球体関節人形の寿命がどれくらいなのか、また他の作家による修理が可能なのかは分からないが、以前ほど可淡の作品が一同に会する機会は少なくなっているだろうと思う。
不思議な縁で多数のカタンドールを間近で見ることが出来た喜びに感謝するとともに、また可淡の人形たちが理不尽な目にあうことなく後世に遺されることを祈りたい。

もし精神というものをのぞける顕微鏡が有るとしたら、
やはり皮膚や花びらのそれと同じように
神に存在を約束されたものとして
映し出されるのでしょうか。
それが知りたくて、
それを確かめたくて私は私の精神に棲むものを
作らざるを得ないのです。

天野可淡「神経に棲むものたちへ」より


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