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【感想】『月がきれい』-自分が好きな人が自分を好きになってくれるなんて、奇跡だと思った-

こんにちは!
この間アニメ『月がきれい』を観てあまりに良かったので今日はその感想を書かせてください!


あらすじ

『月がきれい』は原作の無いオリジナルアニメーションで、埼玉の川越市を舞台にした男女二人のラブストーリーです。
この男女、小太郎と茜の二人は共に中学三年生、二人の物語は同じクラスになる春から始まり、それから春夏秋冬を共に過ごしていきます。
ラブコメ、というよりはラブストーリーです。ラブストーリーらしくキュンキュンするシーンはもちろんのこと、途中感動して泣けるシーンもあり、そして最後は多幸感を感じること間違い無しの作品です。

これを探してた、一秒一秒が尊い恋愛アニメ

私はアニメは割と"萌え"な絵の可愛い感じのやつが好きなので、このアニメはずっと敬遠してました。絵のタッチがなんか、惹かれないというか、普通というか。
しかし、周りからの評判が非常に良いのでついに視聴。
結果、このアニメは私史上『カードキャプターさくら』以来の衝撃を与えてくれました。
まず、キャラクターについてですか、このアニメはほぼほぼ茜と小太郎の二人の物語なのですが、この二人の描かれ方がアニメらしい誇張が一切無く、ものすごく自然体なんです。
例えば新しいクラスで知り合いがいなくて居場所なさげにキョロキョロする茜、ファミレスでたまたま居合わせてなんか気恥ずかしくて背伸びしてコーヒーを頼んでしまう小太郎など。
また、茜は陸上部で新しいクラスで割とカースト上位の女の子と親しくなるけれど、大人しくて引っ込み思案です。ただ、親しい人や家族の前では大きな声で喋ったり、少し変わったLINEスタンプを使うのが好きだったりする一面もあります。
小太郎は、文芸部で体育祭も嫌いだけど、勉強もそんなに得意じゃないし、部屋には格闘家のポスターを貼っていたりもします。地元のお祭りに積極的に参加したり、小説を応募したりする行動力もあります。
何が言いたいかというと、「○○と言えばこう」みたいなステレオタイプのキャラクターではなく、「こういう人いそうだな」という温度感をしっかりと感じさせてくれ、且つ観ているとだんだんと好きになってくる、そんな魅力的なキャラクターなのです。
しかもそんな二人が、ものすごく運命的な何かがあって惹かれ合うというわけでもなく、たまたま目が合って、接する機会もあって、ひょんなきっかけでLINE交換して、そんな小さな出来事からささやかに恋が始まり、普通に告白し、普通に付き合って・・・、という、「そうそう、リアルな恋愛のきっかけなんてそんなもんだよね」みたいな進み方。親近感があるからこそ、誰もが昔を思い出すし、自分の昔の中に小太郎と茜が息づくような錯覚を覚えるような、そんなラブストーリーなんです。
演出もSEによるものはCパートのおまけコーナー以外無く、全てが静かに穏やかに、でも表現豊かに進んでいきます。会話の最中沈黙が続いたり、静かに情景描写がされたりするシーンもあります。でもそのシーンひとつひとつに退屈で蛇足なものはなく、むしろ無駄をかなり削ぎ落としたようか作品です(本編から削ぎ落とされた無駄をCパートに詰め込んだのかなという気さえしてしまうくらいCパートは異質ですが)。
かなり自然体、なのに退屈さは感じさせず常に展開があり、心を動かしてくれる。
一秒足りとも目を話したくないし、一度見終わったら「どこで小太郎や茜の気持ちがどう動いたんだろう」と見返したくもなるような作品です。この情緒の隙間を残す感じ、まさに純文学のようなアニメというか。

観る人に勇気を与える小太郎の行動力

よくあるラブコメアニメだと、主人公は特に何も行動しなくても可愛い女の子が自然と寄ってきたり、運命的な何かがあったり、「絶対この子好きだよね」みたいなイベントがあったりして、それでも運命のイタズラ的な紆余曲折もあり、その末で告白という大イベントに移行します。
しかし、この物語の主人公の小太郎は、茜と運命的な何かで確信的に「これ付き合う流れじゃんー」ってなったわけではありません。
小太郎はある日図書館でたまたま開いた本にこんな言葉を見つけます。
『少くとも恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを、意思だと思う。』
この言葉に押されてか、別に茜が自分のことどれくらい好きかはわからないけれど、自分が茜のことを好きだと思うから、小太郎は「付き合ってほしい」と言葉に出します。
その後も、デートに誘ったり、陸上大会の応援をしに行ったり、茜を好きな男子を牽制したり、それらが全て周りからの十分なお膳立てが何かあっての行動ではなく、小太郎だけの意思による行動なのです。
また、小太郎の行動力は告白のみではありません。
小説を書きたいと思い中三にして小説をきちんと書き上げ作品賞に応募するし、茜の「失敗するけれど好きだから恥ずかしいけれど人前に出て走る」という言葉に影響を受けて知り合いに小説の添削を頼むようになるし、純文学よりライトノベルを書いてみたらどうかという大人からの偉そうな言葉に(少し心折れつつも)ライトノベルも選択肢に入れようと勉強したり、気になる高校の赤本が無かったらすぐに塾の先生に取り寄せれるか相談したり・・・。
小太郎自身が何かしらの非凡な才能があるわけではありません。親からは口酸っぱく「勉強しなさい」と言われるし先生に呼び出されることもあるし小説で何か賞を取るわけでもないしクラスの女子からは「特に目につかない地味な男子」という扱い。でも、自分の考えを持ち、ときには他人のアドバイスも素直に受け入れ、そして一つひとつ確実に行動に移していく。そんな小太郎の姿は「どうせ○○だから」とやらない理由ばかり考えてしまったり、理想だけ膨らんで機会を窺ってしまったりしてしまう人々に、「天才でなくても上手くいかなくてもいいから、やりたいことをまずはやってみよう」と思わせてくれる、お手本のような存在なのではないかなと思うのです。

初めて聖地巡礼がしたくなったアニメ

今までアニメを観ても舞台になった場所になんか行きたいともおもったことのなかった私。
でも、このアニメは上記のとおり、私たちの日常のなかに小太郎と茜が息づいているかのように思えるほど日常に馴染んだアニメなのです。
また、このアニメの演出がまたニクいというか。
こんな二人が愛を育んだこの地に、一度は足を運んでみたい。そして二人が過ごしたようなこの土地での体験を自分も体感してみたい。そう思わせてくれる作品なのです。
そして、またそう感じる理由の一つに、この作品がアニメオリジナル作品ということもあります。
こんなに良い作品なのだから、オリジナルとはいえ何かしら小説とかメディアミックスしてくれればいいものを、全くもってなんのメディアミックスもしていないのです!
なので、この作品を見終わってできた穴、いわゆるロスというものを埋める術は、聖地に行ったりグッズを買ったりしてアニメの余韻に浸ることくらいなのです・・・ちなみに私が住んでいるところから川越市は「じゃあちよっくら行ってくるか」みたいな感じで行ける距離感では無いので、せめてもの足掻きとして、アニメの中でモデルとなった寅さんのスタンプを買いました。

日常使いしやすいので普通におすすめです

最後に

アニメに限らず、何かを観て深く心に突き刺さったり、すっと余韻が残ったらする作品に出会えるというのは、とても尊いことだと感じています。
そういう作品は間違いなく人生観に影響するし、私自身この作品を観てから日常の景色がまた一つ穏やかで幸せなものとして感じれるようになったように思います。
特に最近は、あらゆるSNSで他人の生活や考えが見えるようになって、しかもその他人たちが自分より良い生活をしていたり特別な何かをしているように見えたりして、私自身もそんなつもりは全く無かったのに、心のどこかで無意識に「平凡ではダメだ」「こういう思考を持たないとダメだ」と、ストレスが溜まっていたように感じます。
そんな今の世の中だからこそ、このアニメはスッと心に入ってきて、日常の尊さやを教えてくれて、今のままの等身大の自分でいいんだと、思わせてくれるのではないのでしょうか。

では!!!

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