同族嫌悪

北向きの薄寒い寝室で、目がさめる。
雨戸がぴたりと閉じられた窓からは、今が何時なのかを示す光はほとんど全く感じられない。首だけを少しもたげると、頭の真上に緑と青のしましま柄のズボンと細いふくらはぎが見えた。驚くほど似ている小さな二つの寝顔を確認してから、手探りで携帯電話を探す。誰かの足でくしゃくしゃに追いやられた薄掛け蒲団の下から携帯を取り出し、時間を確認すると朝四時をちょっと過ぎたところだった。

何の目的もなく、手近なアプリを立ち上げて、表示される情報を無為に追う。加工されているのか、いないのか。色鮮やかに切り取られた誰かの日常の欠片が、絶え間なく目の前を過ぎていく。母になると、暮らしの中で”上等なもの”の価値は変化を見せるように感じる。その一つに、「丁寧な暮らし」があると思う。

「丁寧な暮らし」に触れると、居心地の悪さで落ち着かなくなる。
季節ごとの梅仕事。発酵にこだわった自家製パン。布と重曹だけで磨き上げられた部屋。それ自体は、手間暇のかかった美しい手仕事かもしれないが、その裏には一種の自意識が透けて見える。丁寧を返せば、余裕という言葉に変わる。これだけの時間と心に、余裕がある暮らし。それを実現できる自分を誇る気持ち。あるいは、そうした時間を持てた自分を慰めるために、瞬間を切り取る作業。そんな女性たちの自意識にざらりと触れてしまったかのようで、いたたまれなくなる。

#意外と簡単 #手抜き料理 #おうちごはん
画面の向こうの誰かがそんな言葉を打ちながら、どんな日常を抱いているのか。できるなら、純粋な好奇心や発見を面白がる気持ちが大きいといいな、と思う。

はぁ。
こういった暮らしに憧れ、目指す人たちは同時に「時短」という言葉にも無意識に惹かれるのだ。おそらく。

寝返りを打つと、衣擦れの音が存外に大きく響く。衣擦れ。裸足と靴下の足音の違い。虫刺されをかく音。静けさに響く細やかな物音が、こんなにも自分の動作から発されていることを、子どもを産んで初めて知った。

幽霊のような静けさでベッドを抜け出して、今日も、全然丁寧じゃない暮らしを始めよう。

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