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【短編小説(SF)】降る星、らんらん 3000字

 アルファケンタウリの方向から長い距離を渡って訪れた隕石が、大気圏を突破しながら落ちていく。そしてそれは地上に到達する前に、身悶えするように一瞬だけ明るく光って、尾を引きながら地球に柔らかく衝突する。
 それに合わせて小さく歌うんだ。これがあの小さな石の最後の瞬間だから。
 でもその小さな石の消滅を悲しむ必要はない。
 なぜならもうすぐ全てが終わってしまう。
 そんな光景が頭に浮かんだ。
 いえ、全てが終わってしまっても、私たちは取り残されて、ここでぼんやり見ているのかもしれない。それはきっとほんの、もう少しだけ先の未来。

 最近、人生というのはあの隕石のようなものじゃないかなと思う。どこからともなく現れて、一瞬光って消えていく。そしてその多くは大気圏を突入する前に消滅し、地上まで降り立って存在を残すのはごくわずか。
 けれどもそんな人の運命からも、私たちはすでに外れていた。
 私たちはここで星を詠んで暮らしている。見渡す空には満天の星が広がっている。その運行を眺めて、少し先の未来を詠む。とはいえ厳密には私たち自身がそれを読んでいるわけではない。私たちに繋がった機械が勝手にその有無を判断するだけで。

 私たちにとってちょうど地球の方を向いている時間はプライベートにあたる。だから最近私は、その時間は地上を眺めることに費やしている。
 最近のお気に入りは異国の島国にある小さな町のカフェを営む青年で、海岸際に設えられたオープンテラスにちらちらと彼が現れる度、笑顔で接客する姿が見えた。雨が降ると困ったなぁというような表情で空を眺める。けれども夜に晴れると、そのテラスに天体望遠鏡を持ち出して星を眺めている。
 その時の表情は普段の接客の時のものとは少し違って、たいていはとても真剣で、それから楽しそうだった。それからたまにはその日に何かがあったのか、悲しそうな表情を浮かべることもあった。その悲喜こもごもの姿を眺めていると、人間の人生やらその縮図とというものがありありと感じられて、なんだかとても懐かしい気がした。

 私が空に浮かぶようになってから5年ほど経った。
 私の国はいわゆる非人道的な国というものなのだろう。それに気がついたのは浮かぶようになってから。眺め下ろす地上の世界の動きを見て、私が空に浮かぶようになる前の暮らしが、この世界では決して一般的なものでないということを認識した。世の中というのは色々なものが存在して、色々なものが存在してもいい世界なんだ。ただ、私の国と私たちの周囲がそうでなかったと言うだけだ。
 けれども私たちにはそれを回避する方法もなかった。
 だからきっと私たちがこうなったのも、それからこれからのことも運命なのだ。

『2182年に世界を滅ぼす星が降ってくる。人でなければその星は検知し得ない。検知し得た時にはすでに遅い』

 5年ほど前、そんな予言が私たちの国にもたらされた。
 予言というのは未来を予測するもので、未来というのだから本来は当たったり外れたりしうるものなのだろう。そう、一般的には。けれども私たちの国には予言が成就しないという未来はなかった。
 そう、予言が成就しないはずがない。
 予言は絶対で、つまり世界は滅びることが確定している。
 だから私たちがここに浮かんでいるのはとても無駄な努力の帰結。
 いいえ、おそらくこれも予言の中に入っているのだろう。
 だから結局、すでに遅い。

 私たちの国はその予言をもたらした宗教が支配していた。
 神の下されるお言葉は絶対である。
 けれども滅ぶと言われると、流石に抵抗をしたくなってくるらしい。人でなければ検知し得ず、検知し得たときには既に遅い。既に遅い理由は明白だ。おそらくその星は電波望遠鏡なんかの既存の技術では検知しえないもので、人が望遠鏡や何かで見ることができる大きさになったときには、既に回避不能なんだろう。だから私たちの国は人の目を空に飛ばすことにした。人であれば感知できるなら、対処できる時点で人の目で感知すればよい。

 実に単純な話だ。
 神様。神様が予言された時点では不可能でしたが、私たちは努力をしてそれを克服したのです。
 だから神様の予言が外れても、致し方ない?
 私たちの国の支配者は、ひょっとしたらそう考えたのかもしれない。

 私たちの国では神に捧げる神子として育てられた者の一部、特に直感がよさそうな少女の目玉と脳をくり抜き、観測衛星に載せて宇宙に飛ばした。
 その観測衛星には高精細のレンズが備えられていて、それは私たちの目と直結されて星の動きを詠む。私たちは空に浮かび、今も地球から少しずつ離れながら、宇宙の星々をその目で直接観測している。私たちの脳に何か特異な反応が発生すれば、自動的にその情報が本国に伝わる。だから私たちはその星が視界に入りそうになれば、あえて目を閉じて眠りについた。人の脳を使用する以上睡眠は必要で、何故かランダムに訪れるその時間は容認、というか諦められている。

 そもそも本国は勘違いしているんだ。その星は確かに見れば目に入るだろう。けれどもそうでなくても近づけばその存在が自然とわかるのものなのだ。人である限り。
 それが何故だかはよくわからない。なのにそれとわかるのは、それが人に滅びをもたらすものだから、なのかもしれない。
 けれどもそもそもこの状態の私たちは人といえるんだろうか。
 だから私たちがその星を見つけられなくても無理はないんだ。きっと。

 本国の誤算はその高精細な視野で私たちが地球を見ることができたことだろう。
 本国にいる間はそれが当然だと思っていた価値観は、世界の中で当然ではないことを知ってしまった。けれどももうその時点では、どうしようもなかった。私たちは空高くに打ち上げられ、一方的に地球から遠ざかるばかり。あのカフェの青年と話すことも触れ合うことも、既に決してできなくなっていたんだから。
 私たちの嘆きや悲しみというものは、どこにも届かなかった。発信されるのはただ、目と脳が受け取った情報だけだったから。悲しみを溜め込んで、諦めた時、結局の所様々な価値観というものは私たちには縁がなかったのだなと感じた。

 そして神子として育てられた私たちに残ったのは、結局のところ神様だけだった。私たちは神様のために生まれて神様のために死ぬのならば、それならば私たちを律し得るのは神様だけなのだろう。つまり。

『2182年に世界を滅ぼす星が降ってくる。人でなければその星は検知し得ない。検知し得た時にはすでに遅い』

 私たちはもう地球からは離れるばかりで、地上に降る一瞬の星のように輝いて果てることすらできない。あの青年も、私たちの国も、すでに私たちからは遠く離れて、手を伸ばすことも触れ合うことも、近づくことすらできないのだから。
 もし私達が地上を、他の人間を見ることがなければ。
 私たちの使命は星を見つけることだと思いこんで、星はもっと早く発見されたのかもしれない。けれどもきっと予言に縛られた私たちは、きっと見つけることはできなかった、そんな、気はする。
 だからもう少しすれば定められた運命の通り、あの星は落下して世界を毒で満たすだろう。

 最初に、あの青年がとうとうその星を見つけた。

 だから私たちは一斉にその星を見た。
 おそらく私たちの国にその星の存在が送信されたことだろう。もうどうしようもない距離に近づいたその星を。
 そして私たちは歌った。その小さな星と、それがぶつかる大きな星の葬送の歌を。
 もう少しで地球に到達して、毒を振りまき世界に破滅をもたらすその星の歌を。
 みんなは星が地球に到達してしまった時点で歌うのをやめてしまったようだけど、私はその毒があの青年に届くまで、もう少しだけ、歌い続けよう。

Fin

表紙

-ユフの方舟シリーズ紹介
西暦2182年。ユフという名の小さな隕石が落下し、地球に毒が振りまかれた。そこから世界の様相は大きく変わった。だからユフが落下してきた年はユフ歴0年と呼ばれている。
その大きすぎる変革に人々は様々な方法で対処しようとしていた。
これはその中のある国のお話。

#小説 #短編小説 #ショートショート

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