見出し画像

船のようなおはたらき

仏さまはたくさんいらっしゃいますが、浄土真宗(じょうどしんしゅう)では阿弥陀仏(あみだぶつ)という仏さまを大切にします。浄土真宗を開かれた親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、その阿弥陀仏のはたらきを船にたとえられました。

『生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける』高僧和讃

今32歳の私の目に映る”この世界”は、幸せに映ります。今、丁度スタバでこの文章を書いていますが、みんなおしゃべりしながらニコニコしてます。泣いている人はいません。BGMに流れている気の早いクリスマスソングも幸せムードを演出してます。しかし、阿弥陀仏の目に映る”この世界”は、苦しみの海のようであり、人々はその苦悩の中に深く沈んで抜け出せないでいるといいます。

阿弥陀仏はこの世界を苦悩の世界とご覧になられたからこそ、苦しみ悩みのない清らかな浄土(じょうど)という場所を用意してくださいました。これは彼岸ともいわれます。春と秋にある”お彼岸”の季節は、お寺やお墓へ行かれる方も多いのではないでしょうか。その浄土に一人残らず生まれさせることが阿弥陀仏の誓いです。

世界には70億人を越える人々が生活しています。誰一人として同じ人はいません。このすべての人を救うためには、すべての人ができる方法でなければなりません。阿弥陀仏が選ばれた方法は「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)・・・」と称えるお念仏による救いでした。

お念仏を称えることは誰でもできます。学力もいらない、お金もいらない、声が出せない方でも心でお念仏を称えることができる。浄土へ生まれる功徳(くどく)のすべてを”南無阿弥陀仏”の名に込めて、この名を称えてくれよ、この功徳を受け取ってくれよと阿弥陀仏は与えてくださいます。それはまるで、決して沈まない”南無阿弥陀仏”の船を用意して、これに乗れよ。必ず浄土へ運ぶからなとはたらいているようです。念仏を称える姿は、その船に乗せていただいている姿です。

親鸞聖人はそのところを「弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」と喜ばれたといただいています。


薩摩川内市 願生寺 亀田信暁



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?