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第8回「 『真実の自分になる』ということが、コーチングをはじめとして、私の全ての仕事でやっていることです。」シンシア・ビショッフ

シンシア・ビショッフ(Cynthia Bischoff)

バージニア・ビーチのオールド·ドミニオン大学をはじめとして数々の大学で教鞭をとったあと、米国はもとより海外において、様々な形而上学的な勉強やボディワークを学び、レイキ、催眠療法、指圧、バイオエネルギー、シャーマニズム研究、直感医療などの認定を受けている。

1998年、ハートから導きによりハートリビング・プログラム(Heartliving Program)を開発。自分の人生の質をあげたいと願う数千人に教え続けており、日本にも度々来日。自らのサイキック能力を使った個人コンサルティングのほか、臼井レイキ、「直感の磨き方」「ハートリビング」などの講座を開いている。

2009年の米国商務省協会、2010、2011年には、ベスト・オブ・ノーフォーク、ホリスティックプラクティショナー賞を受賞したほか、自らエグゼクティブ·メンバーとなっているエグゼクティブ国立女性協会(NAPEW)の、2010年における「NAPEW Woman賞」も得ている。

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テンプル――
まず、シンシアさんがされているお仕事をご紹介いただけますか?

シンシア――
ハートリビングという会社を経営するかたわら、私自身も「ライフコーチ」「エナジープラクテイショナー(エネルギー治療を取り入れたセラピスト)」「教師」といった仕事をしています。

テンプル――
何を教えていらっしゃるんですか?

シンシア――
いろいろなクラスを持っています。最初は「コミュニケーション」を中心に教えていました。「自分のハートに従うこと」「自分のハートからの導き」といった内容のクラスです。今もこれらのクラスで教えていますが、今は「霊性」に関するテーマが多くなりました。例えば「直感の磨き方」「身体、心、魂の繋がり」といったような。最近、フェイスブックに載せたもので言うと「難しい人格の人とのつきあい方」というのもありました。多くのトピックがあり、こういったことを教える事を楽しんでいます。

テンプル――
過去何度か来日されていますが、そのときにはサイキックリーデイングのほか「レイキ」「身体の声を聴く」というクラスを教えていらっしゃいましたよね?

シンシア――
はい。「直感の磨き方」も教えました。レイキも、レイキのレベル1~3レイキティーチャーのレベル1~3をやりました。
レイキのクラスは一巡したので、次回(2012年7月の来日時)はレイキのレベル1から再スタートします。

テンプル――
多くの方がシンシアさんのサイキックな能力、特に警察の捜査に協力したほどの能力について興味を持たれると思います。まずは、その能力についてお聞きします。シンシアさんのサイキック能力は生まれつきなのですか? それとも後天的なものですか?

シンシア――
私の母方の祖母がとてもサイキックだったことが影響していると思います。祖母はエネルギーを見ることができましたし、亡くなった人の魂を見る事もできました。私自身は誰もがサイキック能力を持っていると信じています。でも、多くの人はその能力を怖がったり、封印してしまうのだと思います。

私の場合は、祖母がサイキックだったので、私が他の人には見えないものが見えても祖母に「それでいいのだよと」と言われて育ちました。もし、このようにサイキック能力を受け入れてくれるような環境がなかったら、おそらく私は自分の知覚力をこれほどまでに発達させることは出来なかったでしょう。

家系(遺伝)もあると思います。祖母がサイキックということからも分かるように、祖母の力を受け継いでいると思います。

3歳のときに死にかけた経験も影響していると思います。その時は、家族でボートに乗り、母が私を抱っこしていました。ところがボートが転覆し、二人ともボートから投げ出され、水の中に落ちてしまったのです。父が私と母を助けてくれましたが、その後で、トンネルの夢を見ました。

私は3歳だったので、あまり記憶がないのですが、死を間近にした経験もサイキック能力を開花させることに影響したと思っています。

私が自分にサイキック能力があると感じたのは、5歳のときでした。ベッドに横たわっているとき、足下に何か「存在」があるのを感じました。その姿は、キリストのように見えました。多分私は、キリスト教徒として育ったので、それが影響しているのでしょう。もし、日本に生まれていれば、お釈迦様に見えたかもしれません。

その姿を見た時、とても驚き、圧倒されたことを覚えています。でもこの出来事は、母には言いませんでした。母に言っても大丈夫だったとは思いますが、母にはなぜか言えませんでした。

その頃、ベッドに横たわったまま、壁を見ると、壁には何もないはずなのに、絵が見え始めたのです。虎が見え、その次に何か見え、また何か見え…という具合に。いつでも壁に絵が見えるようになったので、それを楽しんでいたことを覚えています。

最初は、イメージやモノでしたが、その後、人を見るとイニシャルが見える事に気がつきました。小さな写真のようなものが、人の横に見えている事にも気がつきました。このようにして、サイキックの能力が開花し始めたのです。

これらを不思議に思ったことは一度もありません。なぜなら、祖母にそのことを話すことができたからです。そして彼女は「決して恐れないように」と言ってくれました。

母にもサイキック能力はあったと思うのですが、母に聞くと、きっと「ないわよ」と答えたでしょう。なので、見えないものが見えたりすることは、母ではなく祖母に聞いていました。私は、よく祖母と一緒に時間をすごしました。私は祖母が大好きでした。

よく祖母の家に行って話をしました。いつも「怖がることはないよ。精霊たちのことは心配しないで。彼らは信頼できるからね。それより生きてる人間の方が信用できないことがあるからね(笑)」と話してくれました。このように信頼できる情報を祖母から得ることができました。

「なんでこの人はこのイニシャルが見えるんだろう。なんでこの人には、これが見えるんだろう」と思ったりもしたのですが、一度も人にその理由を聞いたことはありませんでした。ただ自分の心の中だけで楽しんでいました。

私は、単に座って何か平らなもの、例えばこのテーブルのようなものを見ていると、ほんの1分程度でトランス状態になることができ、簡単に「見えないもの」が見えてきます。いつもこんな感じなのです。

テンプル――
サイキックの方には、聞くことが得意な方、見ることが得意な方、感じることが得意な方などがいらっしゃるようですが、シンシアさんはどの感覚が一番鋭いのですか?

シンシア――
おっしゃる通り、サイキック能力には、透視(=見る)、透聴(=聴く)、透感(=感じる)があります。私は、この3つ全ての感覚を持っていると思いますが、 特に好きなものは透聴です。

以前、30マイルのスピード制限の道路を少しオーバー気味で走っていたことがありました。すると、「スピード落として」という声が、誰もいないはずの後部座席から聞こえてきたのです。思わず、スピードを落とすと、道路脇に警察が隠れていて、私はスピード違反のチケットを切られずに済みました。だから透聴の能力はお気に入りの1つです。その声は、誰だったのかわかりませんが、とても役立ちました(笑)。時々、この能力はとても実用的になるんですよ(笑)。

でも、私の一番強い能力は、透視です。

この世界には、私たちが注意を払えばたくさんのサインがあります。たとえば、車を運転していると、ナンバーレートや道路標識にサインの中にも、自分が考えていることへの答えが見つかったりします。もし人々が喜んで波長を合わせさえすれば、環境はいつでも私たちに話しかけ、サインを送ってきてくれるのが分かるでしょう。

今朝、私たちがここに来るときも、車を運転していたら、他の車のナンバープレートに、私の誕生日が書いてあるのです。「どうして?」という感じでした。

通訳のしおりさんと私が今計画しているビジネスのことを話題にしていたときには、ナンバープレートに「Victory勝利/成功」という文字か書かれた車が横を通りすぎていきました。「観察すること」が大切です。多くの人々はこの世界をよく注意して見ていないのです。

朝、目覚ましが鳴ると、みんな競うように急いで一日を始める。感覚を鈍らせたまま一日を過ごし、自分や周りの世界に注意を払わないのです。精霊の世界はここにあり、人々に注意を払ってほしいのです。注意深く世界を見渡し、チューンインして生きることは、単に何かを「している」のではなく、「存在している」状態だと思います。でも、私たちの社会は、チューンアウトの世界。注意をそらす、つまり「存在する」のではなく「すること」の社会です。

内なる世界とつながり、内なる世界からメッセージを受け取るためにも、みなさんはもっと瞑想をする必要があります。そうすることにより、メッセージを受け取る能力が養われると思います。

テンプル――
自分が得た感覚が、内なる直感なのか、自分のエゴの声なのか、シンシアさんは、どう区別されているのでしょうか?

シンシア――
私にとって、それを区別することは難しくありません。幼少期からずっと直感を受け取っていたという事もあります。後から学んだものでなく、生まれてからずっとそうであり、知っていたので、これらを区別することは難しくないのです。

約20年前からリーデイングを始めました。例えば、誰かがリーデイングのセッションを受けに私の処に来ますよね。それで私がリーデイングをして、得た情報を伝えると「その通り」「そうです。それは正しい」と、私が伝えた情報が正しいということをクライアントが言い続けてくれました。それによって、私も自分の得た情報が正しいということを信じ始めたのです。

人の過去世を見てそれを伝えると「以前、サイキックのセッションを受けたとき、まさに同じことを言われた」と、言ってもらえたこともありました。このようなことが、私の得た情報が正確だという確信を強くしてくれたのだと思います。

「信頼」しなくてはいけないと思いますし、「信頼する」ことが大切だと思います。

テンプル――
私のように、そのような感覚を磨いてない場合、どうやって直感か自分のエゴかを見分ければいいのでしょうか?

シンシア――
1つ私がお教えしたいのが「ペンジュラム=振り子」です。「ペンジュラム」の使い方を学ぶ事によって、多くのことを知る事ができると思います。

一番始めに、何が自分にとっての「Yes」なのか「No」なのか、あるいは「Maybe(たぶん)」なのかを知る必要があります。私は「たぶん」も使います。

「ペンジュラム」を学びたい人みんな、最初に目を閉じて、手のひらの上にして、ペンジュラムをもう一つの手で持ち、心の中で自分がすでに答えを知っている質問のリストを考えます。例えば、「私の名前はシンシアです」と。答えはもちろん「はい」ですよね。そう願います(笑)。

目を閉じて、リストした全ての質問をします。そうすることによって、自分にとっての「YES」がどういう動きをするのかがわかります。

「Yes」と「No」の動きが分かったら、自分では答えの分からない質問をし始めます。そしてまた、目を閉じて質問をして…という具合に行い、日記=実行記録をつけていくのです。テストしていくことが大切です。

私自身はペンジュラムを使わないのですが、とてもよい道具だと思います。なぜかというと、最初にペンジュラムの使い方を学んだ時、背骨がどう感じるかをみてみました。「Yes」の時は、背骨の下からエネルギーが高くまで簡単にあがってくるのが分かったのです。「No」の時は、エネルギーが「はい」の時ほどあがってきません。

それで、カップを買うときに「このカップを買うべきか?」と尋ね、背骨がどう感じるかを観察するのです。背骨の感じで分かるので、ペンジュラムは要らないのです。もし、自分の身体的感覚がペンジュラムの「Yes」「No」と合えば、ペンジュラムを使わなくても、身体が「Yes」「No」を教えてくれます。そうすると、直感的な気付きがわかるよういになっていきます。

私のオフィスでサイキックリーデイングでなく、コーチングをしている時でさえ、クライエントの話に「その話は本当だ」とエネルギーの波を何度も感じます。ですから、自分の体がどう感じるのかを見てみると、その情報が正確なものかどうか分かってきます。

直感力を強くする方法として、もう1つあります。私は以前、生徒さんにノートをお財布やポケットなどにいつも入れておいてもらいました。そして、多くのことを予測してもらうのです。

例えば、今日の最初のクライアントさんが「何色の服を着ているか?」を、何も考えずに、単に心に浮かぶままノートに記録します。実際にその人に会い、その予測が正しければ、そう記録します。このようにして自分の直感をテストし始めるのです。直感は理性的、理論的思考から来るのではありません。言い換えると、直感は「考えること」から来るのではないのです。直感は、何も作る事なく、ただ単にやって来るのです。なぜだか「知っている」のです。「その人は赤の服を着ている」と。

何通の郵便物を今日、受け取るかでも予想ができます。朝起きて、パソコンの受信箱に何通のメ-ルが入っているか、でもいいでしょう。色に対して勘を働かせば働かせるほど、もっと色に関して正確に当てられるようになります。数に関して勘を働かせると数に正確になったり…。あるいは、形に関してより鋭敏になるかもしれません。このようにして、自分の勘を遊びながら使い始めて、自分の直感を発達させて行くのです。皆それぞれ、得意なものが違いますから。

テンプル――
シンシアさんも記録を残しているのですか?

シンシア――
いいえ、私は使っていません。生徒が自分の直感力を磨くためのツールとしてやってもらっています。直感力を強くする一番よい方法は、自分でトレーニングし、信頼し、試してみることだと思っています。生徒たちは自分がかなりの確率で正しい予測をしていることに驚いていますよ。

自分を信頼し始めると、直感力のチャンネルを、さらに開くことになります。私たちは、多くの場合「自分はうまく予測できない」「分からない」「信じられない」と言って自分のチャンネルを閉じてしまっているのです。でも、このエクササイズを通して、自分を信頼し始めることができます。この他にも本当にたくさんの秘訣があるのですよ。でも、きっと他のこともお聞きになりたいですよね?(笑)

テンプル――
子どもの頃から、サイキック能力があったということですが、仕事としてリーディングを取るようになったのはいつ頃で、どのようなきっかけで始めることにしたのですか?

シンシア――
私はいつも教師として仕事をしていました。アメリカ文学や作文法、コミュニケーションなどを教えていました。インディアナ州立大学、イリノイ州の南インディアナにあるボール州立大学、バージニア州のオールドドミニオン大学で教えていました。オールドドミニオン大学は、1986年~1998年の間在職していました。

でも1998年の少し前から「私はアメリカ文学やコミュニケーションなど、これまでと同じことを教え続けるのは、やりたくない」と思うようになったのです。それ以前は、アメリカ文学やコミュニケーションを教えることは大好きだったのに。そして自分が変化することに準備が整いつつあることを感じたのです。

その頃、私はとてもエネルギーに興味がありました。エネルギーを学ぶために、いくつかのプログラムも取りました。「スピリチュアル心理学(Spiritual Psychology)」を学ぶためにウィスコンシン州の学校にも通いました。そして、霊的なことを話題にし始めるようになったら、またエネルギーが、簡単に見えるようになってきました。実は、私のこの能力はしばらくの間、閉じてしまっていました。少しは見る事はできていましたが、アメリカ文学を教えていた頃は、その生活とサイキック能力が合わず、使っていなかったので閉じていたのです。

スピリチュアル心理学の会議に参加したり、教師としての資格を取得した頃、ウィスコンシンで大学教授をしている友人が「シンシア、あなたの能力はすばらしい贈り物ですよ」と勇気づけてくれました。また、レイキの先生にも出会い、彼女も私を勇気づけてくれました。

「このまま大学で、教えたいかどうか分からない」と悩んでいた頃、ボスニアに行くことになりました。もともとは、姉が一人でボスニアで開催される「世界平和に向けてのお祈り」に参加するつもりでした。

ある朝、姉から「私、お祈りのためにボスニアに行くことにした」と電話がありました。姉はその当時、主婦で仕事をしていませんでしたので、私が「じゃあ私がお金を貯めて、行けるよう応援するね」と伝えました。でも、私も行きたかったのです。その時、突然ひらめきのようなものが降りてきて、姉が「一緒に行かない?」と聞いてきたので、なぜだか分からないけれど「はい」と答えていました。理性的に考えると、理屈にあわないので、直感だと思います。「行かなくてはならない」気がして、実際にボスニアに行きました。

10日間、あるクロアチア人家族の家に滞在しました。世界中から約8千人もの人が参加し、世界平和のためにお祈りをしました。英語を話す人は少数でした。11の違う言語が話され、通訳されていました。

木曜日の夜のことです。3千人もの人が教会でお祈りをしていました。牧師さんが「みなさん、手をつないで世界平和のために祈って下さい」と言い、みんな手をつないでお祈りを始めました。

すると、私には映像が見え、その映像が私の人生を変えてしまいました。その経験が、私がエネルギーに関する分野で、プロとして働くきっかけになったのです。

私が見たものは、今、私がロゴマークとして描いてるハートの絵のイメージでした。イメージの中で、顔は私にはよく見えなかったのですが、年配の女性がマントを着ていました。時計はハートの形をしていました。そのハートは、彼女のハートで、違う人種、国籍の人々がそのハートから飛んで出てくるのが見えたのです。

涙が溢れ、泣き出してしまいました。私の人生を変えるものだと分かりましたが、何を意味するのかは分かりませんでした。その後も私たちはお祈りを続け、そしてアメリカに帰りました。

私は「もう大学での仕事に戻ることはできない。もはや以前の私ではない」と感じていました。でも、何をしたらいいのか分かりませんでした。なぜなら、その時点では、 私が今やっているようなプログラムを明確にしてはいなかったのです。

でも、友人たちには「1年後の1998年には、 私は人々が自分のハートから自分を導けるようになるための仕事をしているからこの大学にはいないでしょう」と言っていました。

ノーフォークに場所を借りました。1年間「イメージに出てきたハートの概念、コンセプトは何ですか?私は何をする必要がありますか?」と瞑想の中で問い続けていました。ある日、ただ座っただけでチャネルした状態になり、約20分で概要が出来上がり、このパンフレットが出来上がったのです。

信じられないかもしれませんが、当時はお金もありませんでした。私にとって、自分で仕事を始めることは簡単ではありませんでした。でも自分のハートに従い、危険を冒さなくてはいけなかったのです。

友人が「シンシア、ただジャンプすればいいんだよ。山からジャンプしてはどう?」と言ってくれました。私は「でも足がちゃんと地面につくか、確かめてからジャンプしたいの」と答えると、その友人は「なんで足が地面につかなくてはいけないの? 飛ぶんでしょ?」と言ったのです。この言葉が、私の人生を変えました。私は「あ、そうだ。飛ぶんだ。何が起こるか知る必要はない。単にやればいいんだ」と思ったのです。

この仕事を始めて15年になります。地元の人々だけでも、約2000人の人生のお手伝いをしています。ヨーロッパ、パリ、オランダ、イギリスでプレゼンテーションをしたり、ペルーやアイルランドで勉強したりしました。私は先生であり、生徒でもあります。学ぶ事が大好きなのです。学べば学ぶほど、より楽しくなります。そして、もっと人々を助けたくなるのです。私の使命は、人々に奉仕することです。

テンプル――
今はこの「ハートリビング」のプログラムをメインに教えていらっしゃるんですか?

シンシア――
多くの人が、このハートリビングのプログラムを気に入って取り続けてくれています。それでハートリビングクラスのパート2を作りました。「変容に対する知恵(Wisdom of Transformation)」というタイトルで、ハートリビングと同じ8週間のプログラムです。多くの人がパート2を取って下さったので、パート3「情熱と目的(Passion and Purpose)」も創設しました。

基本的には、週に1度のクラスを8週間続け、しばらく休んだあと、また8週間のクラスとお休み。そしてまた8週間…。ほぼ1年間をかけて行う内容の濃いクラスです。

しかし、このプログラムの内容全部ではなく、ハイライトだけを集めて、海外やアメリカの軍で1日のクラスとして行うことがあります。海軍の女性の1人が私のワークショップを取り「軍の人たちにも必要だ」とクラスを軍でやって欲しいと要請してきたのです。

海軍ではそのクラスを「Leading from the Heart」と呼び、男性も女性もとても気に入ってくれています。

私は多くの人に「生き生きと、自分の人生を生きて欲しい」と思っています。そしてこれが、私のゴールでもあるのです。つまり、何かを「したり」「所有する」だけでなく「存在」すること。情熱を持って自分の人生を生きて欲しいのです。毎日「聖なる人生」を生きて欲しいのです。これが私のゴールです。私の仕事は、全てこのためにやっています。

この他にも30種類くらいの1日のワークショップを15年間ずっと続けています。月に1回、30種類のうちの「1日ワークショップ」を循環させています。

最近「幸運の原理を学ぶ」「意図的に自分の人生を創る」を行いました。少人数で行いたいので、最高でも定員は11名としています。E-mailでワークショップのお知らせをするのですが、1日で満席になってしまいます。とても人気があります。

他にも「ブッククラブ」があり、毎月参加者が指定した本を読み、クラスでその本の主旨を教えます。このクラスは20人ほどですが、こちらも人気があります。ワークショップの他に個人セッションもあるので、とてもとても忙しいです。

1日のワークショップには男性も来ます。多くの場合、男性と女性が来てくれます。女性は特に個人的なことを話す機会、場所が必要です。そのような場合は、私は女性だけのクラスを好みます。でも、軍でやったように、男性と女性がいる環境でもできます。

テンプル――
「ブッククラブ」も8回コースになっているんですか?

シンシア――
2時間半を1回とし、毎週1回を8週間続けます。参加者には宿題があり、それを仕上げなければなりません。また蓋付きでハートの書かれた紙製の箱をお渡しし、参加者は自分で装飾します。外側には、この世界でみなさんが見せている姿を装飾し、クラスの最終日には、世界に見せていない自分の内側の姿を他の参加者に紹介します。成長するのに、とてもチャレンジが必要なクラスです。 

クリエイテイブでなくても、大丈夫なんです。なぜなら、クラスの中のクリエイテイブな人が助けてくれるからです。みんなお互いに助け合っています。ある人はとても芸術的ですし、そうでない人もいます。それでもいいのです。クラスでは批判されないので大丈夫です。

テンプル――
日本は周りに合わせる文化なので、自分の意見を持ったり、自分の意見を人にシェアするということがなかなかしにくい文化でもあります。特に自分の感情や内面のことを公の場で話すのはなかなか難しい…。結婚しても、パートナー同士で自分の感情をシェアしあうということは、していなかったりします。なので、シンシアさんが日本でこのクラスを持たれたら、どんなクラスになるのか楽しみです。

シンシア――
信じられないかもしれませんが、アメリカ人も同じように自分の感情を話すことは苦手です。私は、アメリカだけでなく、違う国や文化でこのクラスを教えているので、それぞれの国の文化に合うようにしています。

日本へは何度も行っています。日本での個人セッションでも、いつもみなさん、泣いたり、自分の感情や意見をシェアしたり、話しをして下さいます。そういった機会が普段あまりないので、そのような機会が必要なのだと思います。

以前、東京でワークショップを行った時も、参加者が自分の気持ちをシェアしてくれました。これはとてもよいことだと思います。なぜなら、自分を「心地よい領域」から解き放つ事によって、自分をシフトできるようになるからです。

例えば、ご夫婦でうまくコミュニケーションがとれないとします。私たちは、すぐに奇跡が欲しいのですが、たぶんそれは起きないでしょう。でも、行動に注目すれば、変えることができます。言葉によるコミュニケーションの方法を変えようとする場合、私はどのように自分の行動を変えるかという「ツール」についてお教えします。なぜかというと、行動を変えることは「活動のエネルギー」を変えることになるからです。このように、多くの自分を変えるツールをお教えします。

ハートリビング(Heart Living)のフェイスブックで、書いたことですが、もし、怒りを爆発させたり怒鳴ったりしやすい性格の人と一緒にいるとしたら、普通はそれに圧倒され、萎縮してしまいます。そして、その人に「その行動」をさせてしまいます。なぜなら、怒るとか怒鳴るとかといった行動は、その人にとってはうまく働くからです。その人たちは、怒りを爆発させることによって、人と距離を取りたいのです。あなたはその人たちと一緒に居たくなくなりますよね。そうすることで、彼らは怒りを爆発させられるし、距離も取れるという、2つのことを一挙に手に入れられるのです。

1つの行動として、彼らが爆発しても、自分は萎縮しないということができます。怒鳴り返さないことも大切です。なぜなら、怒鳴り返すということは、低い波動に合わせてしまう事になるからです。

その代わりに、自分のために「違う行動」をとる事を決心するのです。萎縮しないで、怒りを爆発させる行動を受け入れない。「どうしてその人は難しいのか?」 答えは「それがその人にとってうまくいくから」です。もし、その行動がうまくいかないのならば、その人はその行動は2度としなくなるでしょう。文化とは関係ありません。人の行動を変えるのに、これは理にかなっていると思います。

テンプル――
ハートリビングの生徒さんの、ビフォー&アフターのエピソードがあったら教えていただけますか?

シンシア――
ものすごくたくさんのエピソードがあります(笑)。多くの人が「シンシア、私の経験はあなたのクラスの良い例になりますよ」と言ってくれます。なぜなら、彼らの人生が劇的に変わったからです。HPには、何人かのお話を載せています。

臆病な感じで私のオフィスにやって来る人がいます。自分の意見を自由に話せないのです。私は彼らが自尊心を持ち、自分を評価できるように、また自分の才能や能力について情熱を持てるように、お手伝いします。

彼らは、自らのプロジェクトに取り組みます。毎週、自分の人生を改善させるプロジェクトに取り組みます。それをクラスのパートナーに、どのようにやったか、どのようにうまくいったか等を報告します。それにより、多くの変化が起こります。

その例として、とても興味深いお話があります。

ある女性は、8週間ではないのですが、1年間特別なダイエットをすることなく、80パウンド(約36Kg)の体重を落とすことができました。

彼女はそれまでずっとダイエットをし続けており、もうダイエットは大嫌いで、とても不幸せでした。いつも食べ過ぎていました。私は彼女に「あなたは、ポッカリ空いた感情の穴を埋めようとしています」と言いました。

彼女は変化のために、2つの事をしました。
1つは、口に入るものは、全て「祝福」されていなければ、食べる事はしないということでした。自分の身体にとってよいものでなければ、食べないということです。ポテトチップスではないということですよね。心の中で「これは私によいものです」というように祝福したのです。

テンプル――
ジャンクフードも祝福して食べたのですか?

シンシア――
いいえ、ジャンクフードは食べませんでした。なぜなら、ジャンクフードは祝福できないからです。彼女は心から祝福でき、自分にとってよいと感じられるものしか食べないと決心したのです。「祝福できないのなら食べない」ということになります。彼女は正直で忠実でした。

もう1つの試みは、空腹になったとき、自分がどのように感じるかを書き出すというものでした。毎日、彼女は空腹感を感じていましたが、実際には空腹ではなかったのです。食べ物に対して空腹感があったのではなく、感情に対して空腹感があったのです。ですので、空腹感を感じたとき「自分はどう感じているのだろう? 」というように自分の感情を書き始めたのです。

彼女はサポートが必要だったので、私は彼女と毎週1時間会い、ハートリビングのクラスに参加してもらう他にコーチングをしました。

キッチンに行き、例えば砂糖のように自分にとって良くないものや誘惑するようなものを取り除いてもらいました。置いておくと、食べてしまう可能性があるからです。

彼女は自分の身体に良くない食べ物をキッチンから取り去り、代わりに自分にとってよいものを置きました。それと同時に「歩く」ことも始めました。1日2~3マイル(約3~5キロ)歩きました。歩く事と、正しく食べる事をして、1年で80パウンド落としたのです。

他の生徒もこのエピソードが気に入りました。70パウンド落とした生徒もいます。私が、他の生徒が何をしたか話すので、その2~3年後、また違う生徒が減量に成功しました。

5人の生徒が、自分の人生の変化について本を書きました。私自身も、以前教えていたコミュニケーションについて3冊本を書きました。そして、今はこのハートリビングのクラスについての本を書いている最中です。

テンプル――
80パウンド体重を落とした女性は、ハートリビングのクラスで習ったツールを使って、減量に成功したのですか?

シンシア――
そうです。クラスの始めに、私は皆さんに「自分の人生の何のバランスを取り戻す必要がありますか?」と聞き、それぞれが自分で考えなければならないのです。「身体、心、魂。この3つのバランスが良くなければなりません。あなたは、どのバランスを取り戻しますか?」と聞くのです。80パウンド落とした女性は、もちろん身体のバランスを取り戻さなければなりませんでしたから、そのプロジェクトを選んだのです。

80パウンド減量した女性は、私に「シンシア、あなたは、私が『空腹の身体』ではなく、『空腹の心』に食べ物を与えていたことを気がつかせてくれました」と言ってくれました。彼女は感情的に食べていたので、この表現はぴったりだと思います。多くのアメリカ人は、身体が飢えているのはなく、ハートが飢えているのだと思います。なので、食べ過ぎの人が多くいるのです。

テンプル――
なぜ、アメリカで、このハートリビングのクラスが必要とされているのでしょう? 私には、アメリカ人は自己主張が強く、思ったことは発言しているように見えるのですが・・・。

シンシア――
多くの場合、そうだと思います。でも、そうでない人も多くいるのも確かです。

15年前、私はこのビジョンを見ました。2020年、私たちは、水瓶座の時代、ハートの時代に突入すると言われています。私は、この社会は文化に関係なく、第3のチャクラ、つまり「力の文化」から第4のチャクラ「ハートの文化」に変わりつつあると信じています。

私たちは、自身の敵でもあります。私たちは、人生で起こる全てのことは自分の外側にあると思います。でも本当は内側にあり、それが全てに影響をしているのです。15年間私はそれを見てきて、人々の架け橋となり「本当の自分」になるのを手伝って来ました。

私たちは、適応性のあるマスクを被っています。「適応性のある」とは、人々が学び、生き残るためにしている「行動」という意味です。それは周りから取り残されないようにするためのものであったりします。

みんなを喜ばせるというマスクを取ると「自分は何者か」「自分は誰なのか」と、本来の自分を感じるようになります。本来の自分になるということは、怒ることではないのです。そうではなくて、本当に自分が感じている感情を感じるということです。この「真実の自分になる」ということが、コーチングをはじめとして、私の全ての仕事でやっていることです。

みなさん、本来の自分になることによって、解放され安堵します。それがとても重要だと思います。そして、自分の人生についてとてもよく思えるのです。みなさん、マスクをかぶることに疲れてしまっています。

クラスでは、いろいろな種類のマスクについてお話します。「マスクとは何か?」「どのようにしてマスクを得たのか?」などです。それについての話をしてもいいですか?

テンプル――
もちろん、お願いします。

シンシア――
日本でもそうだと思いますが、アメリカでも「アルコール中毒」の両親を持つ人がいます。1人の女性が「私は父親がアルコール中毒だったので、家で安心だと思った事がありませんでした」と話しました。父親が何かをするかもしれない、何か起こるかもしれない、自分を怒鳴るかもしれない、叩くかもしれないといつも思っていたのです。

私は彼女に「成長する過程で、あなたの適応性のあるマスクは、あなたが自分は生きているという感覚を持つのを助けてくれました。でも、それによって、過度に視覚的に周りを気にするようになったのです」と話しました。彼女はマスクについての取り組みをしました。

彼女はその時点で、もうお父さんとは一緒に住んでいませんでした。しかし彼女は、職場でお父さんと同じようなタイプの上司を持っていました。その上司はいつも怒っており、彼女は「次に何が起こるのだろう」と思っていたのです。彼女は、昔の傷を癒そうとしていたのです。このように私たちは、人生で絶えず昔の傷を癒そうとしています。

私は過去世も信じますが、彼女の幼少期にはお父さんとの状況がありました。そして、後に、父親と似たパターンを持った人と出会います。その人たちはお父さんのようにひどくはないかもしれませんが。

彼女はどうやって父親との傷を癒せばいいのでしょう? 彼女が上司との関係を変えれば、それが(似たような過去の傷を)過去に遡って全て癒してくれるのです。今、現在が鍵となるのです。自分が現在、どのような立場に立つのか、どのように対応するか、どのように行動のパターンを理解するのかが重要になります。

過度に視覚的に周りを気にすることはマスクの一部なのです。取りさる必要のあるマスクなのです。

皆、自分の傷を癒そうとしており、ヒーリングのチャンスが繰り返されているのです。同時に文化も癒そうとしているのだと思います。日本で起きた地震や津波も文化的パターンで、魂を癒すために繰り返し起こっていると思います。

これらの惨事は、個人レベルの魂の癒しの機会であると同時に、文化的レベルでの癒やしのチャンスだと思います。すべての国で何かが起こっています。これは、魂を癒すチャンスで「聖なる瞬間」です。惨事は、人々の魂を癒すための「聖なる瞬間」なのです。

テンプル――
一人が癒されると、その周りにも波及するのですね。一人が変われば、その変化が周りの人に影響していきます。

シンシア――
まったくその通りだと思います。なぜなら私たち1人ひとりはエネルギー的にも波動的にも、この惑星にとって、とても重要な存在です。1人ひとりが、自分たちはとても重要な魂だという事に気がつかなければいけません。私たちは、ひとつのところから来たと私は思っています。

「Universe」という単語を見てみると「Uni=One」「Verse=Song」になり「1つの歌」という意味になります。私たちは、「1つの歌」なのです。もし私たちが「1つの歌」ならば、1つひとつの音符はこの魂の歌に貢献しています。

テンプル――
サイキックのシンシアさんは日本のビジョンや未来の姿について、何か感じられることはありますか?

シンシア――
3.11の前日、私は車を運転していました。角を曲がっている最中、時差があるので、日本では3.11が起こった直後だと思うのですが、これまでで一番激しい感覚がありました。惨事が起こると思いました。しかし、アメリカで起こるのか、どこで起こるか分かりませんでした。

多くの供給物質が要ると感じ、鳥肌が立ちました。息ができなくなりました。そして家に着き、友達に電話をし、何を意味するか分からないけれど、何かがあると話しました。

もちろん、3.11の惨事が日本でありました。私は、日本へ行くと、もうひとつの家族と感じるくらい、日本や日本の方々と強いつながりを感じます。でも、このように、何かよくない事が起こる、というような感じを受けた事がありませんでした。でも、もし怖いと感じるならば、私は日本へは行きません、という事もお伝えしたいです。

人々ができることも、いくらかあると思います。例えば、ヨウ素やアイオダイン(ヨウ素を含むサプリメント)を摂取するとか。

正直に言って、私のハートでは、日本について悪い感じはありません。福島のように海岸のあたりかもしれませんが、狭い範囲で、小さなことは起こるかもしれませんが、今のところ国全体が消滅してしまうというようなことはないと思います。そのようなことは、私のハートでは感じません。

テンプル――
小さいこと、というのはどういうことですか?

シンシア――
狭い地域で、将来的に何か小さいことはあるかもしれませんが、日本が沈んでしまうといったように、多くの人に強い影響を与えるような大きな事はないということです。

エドガー・ケイシーは、日本が一瞬のうちに消えてしまうというようなことを言ったと思いますが、私はそうなるとは思いません。でも、私はエドガー・ケイシーについて言うべきではありませんよね(笑)。でも、私のハートでは日本沈没が正しいとは感じません。

誰かが何かの情報を得るときは、いつでも、潜在力と可能性を基にしているのです。ケイシーが日本が沈んでしまうという情報を得た時、それが一番高い可能性の予測であったのだと思います。その後、違う波動が起こったり、意識も変化したりと多くのことが起こったので、もしケイシーが今生きていれば、おそらく違うことを言ったと思います。このように情報は、その時の潜在力と可能性に基づかなければならないと思います。

私のハートでは、全く悪い感じはしません。私のクライアントは「日本には行かないで」と恐ろしいメールをくれます。私はそれを、ただただ削除し続けています(笑)。ある日、私のオフィスで約20名の女性がいて、その1人が「これ全部読みましたか?」「これ全部知っていますか?」と言ってきました。

彼女は、私が削除したメールを送って来た人でした。私は彼女に「私は恐怖をベースにした世界に生きません。恐怖からの人生は送りません。それは私の生き方ではありません」と言いました。もし、私が直感的に何かを感じたら、それに応じて行動しますが、今は何も感じません。

テンプル――
日本の未来について、何か見えることはありますか? 例えばシンボルとか?

シンシア――
とても興味深い事に、見ようとしたらすぐ、日本の周りに光があるのが見えました。とても肯定的な意味だと私には思えます。まるで花の島のように見えます。否定的な事は、見られません。これも、私が受け取っている可能性としての情報です。

アメリカで9.11が起こった時、その1週間か2週間前に、とても嫌な感じを受けました。しかし、それが何か分かりませんでした。

意識の中で、2つのものが低くなるという情報を得ました。もちろん、2つのビルという意味だったのですが、その時点では、どうして「2つのもの」という情報を得るのかが分からなかったのです。「2人の人?」と思ったりしていました。こういった感じを受けても、分からないのです。そして、9.11が起こりました。

私は、何かよくないことが起こるという情報は得ます、または感じます。日本の地震の時もそうでした。

日本の地震のときには「供給物質が必要」ということと「核」という情報を得ていました。津波があり「どうして『核』という情報を得たんだろう?」と考え続けていました。「意味をなさない」と思っていました。今はなぜ「核」という情報を得たのか、もちろん分かります。

そういえば、私と通訳のしおりさんは、3月11日に一緒にランチをしたんですよね。

私たちは、ランチの前にA.R.Eにマッサージを受けに行き、そこでおみくじみたいなものがあったので、それを引きました。それには、ケイシーのリーデイングが載っていました。詳しい内容は覚えていないのですが、とても肯定的な事が書かれていました。それを引く前に「日本について何か教えてください」と心の中で言って引いたのです。このことも、日本は大丈夫、うまくいくということを確証してくれました。

テンプル――
今後、日本での活動には、どんなプランがあるのですか?

シンシア――
将来も、もちろん日本に呼ばれれば、教えに行きます。すでに学校を始めませんかと言われています。多分その学校は「ハートリビングスクール」となるでしょう。1日のワークショップのように、特定のプログラムをやる機会になると思います。それらはみなさんに有益で役に立つものだと思っています。

例えば「心と身体と魂の繋がり」「レイキ1~3」「ハートリビングクラスの1~3」など。これは必ず日本でお教えしたいクラスのひとつです。

私のHPに来て下されば、全てのプログラムが載っています。他に「インナーチャイルド」「自分のマスクを理解する」というクラス、「夢分析」など、たくさんお教えする事があります。

シャーマニズムについて、私はペルー、アイルランド、アメリカで学びました。もちろんネイテイブアメリカの文化を基礎としているので、それらも学び、南アメリカにも何度も行きました。そして、特別なトリートメントもします。どのようにやるかを、みなさんに教えています。

アメリカのあるグループは私から4年間学んでいます。1ヶ月に1回会い、現在4年目の半分のカリキュラムを終えています。彼らにシャーマンの身体の解放について、内面への旅、エネルギーの見方なども教えています。全部で4年間のカリキュラムです。「自分のマスターになる」とも呼べるでしょう。

もちろん、日本のみなさんから何を学びたいかフィードバックを頂きます。しかし、これらも重要なもので、みなさんにとっても、とても役に立つものだと思っています。

次回は、2013年の3月に日本に行くことを今のところ予定しています。本当は、今年の秋にもう一回やりたいのですが、まだ未定です。

実は、今書いている本の原稿を、10月に提出する予定なのです。本当にたくさんのことをしなくてはいけません。15年間この仕事をやっているので、どのように教えたかを思い出して書けばいいので、難しくはないのですが、時間がかかります。書くことに集中できればいいのですが、仕事もしていますので、やることがいっぱいです。


今日は貴重なお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございました。

インタビュー、構成:光田菜央子、通訳:伊藤史織
2012年6月3日 バージニア・ビーチにて


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