プロローグ 「就活生失格」
恥の多い就活を送ってきました。自分には社会人の生活というものが、見当つかなかったのです。自分は東京の田舎に生まれましたので、あっという間の学生生活で、
4年生には興味本位で他学部の一般教養をたくさん取ろうとして、自分の学部の卒業単位に足りなくなるくらいでした。単位申請書をゼミ友人に取り上げられ、「お前が卒業できないと俺たちが恥ずかしいからこういうのはやめろ」と半分本気で半分真剣に、書き直してくれました。
何となく院でも行ってみようかと思っていましたが、さすがに学生気分ではいられなくなり、当時で言うとかなり遅めのスタートでGWくらいに会社説明会などのハガキを送っていた記憶があります。OBは優秀な方が多く、特にゼミのOBの方々の話を聞く機会はありました。
まじめな友人からのアドバイスも聞きながら、それでも何となく長信銀希望で、他は気になる会社メーカーを受けていました。
そんな感じなのでなかなかうまくいくはずもなく、IBさんは面接官と湾岸戦争に関する意見の相違で案の定落ち、人の好さで行きたいと思ったJCさんも落ち、
いわゆるX_DAYには何の内定も持たない状態でした。さすがの私も途方に暮れ、ゼミの先輩名簿を頼りに、KWさんに泣きついたのです。面倒見の良いKWさんのおかげで、怒涛の面接を2日に分けて計10人くらいに会いました。優しそうな先輩も厳しそうな先輩もいましたが、
のどが渇くくらいにしゃべり倒した感じで・・怒涛のスピードで何とかぎりぎり内定をいただきました。何がぎりぎりかというと翌日に内定者の懇親会があるから、午前中に健康診断受けてそのまま来て。という感じでした。そんなペースですから内定者の皆さんも知らない人しかおらず。
興味で受けていたMCさんはそもそも筆記で落ち、憧れのSNさんは最終落ち、OMさんは最終的には内定をいただきました。OMさんには平身低頭お詫びにいきました。今思うとそちらに行けば、このような波乱的な職歴にはならなかったものと思います。もちろん今でも愛してやまない会社です。