1回表 「吾輩は新卒である」
配属はまだない。新卒入社した会社は最初は2か月の研修。ホテルのような施設で、インパクトのあるビジネスマナーの研修から始まりました。外務員試験対策もあり、その頃コンプラ的なお話もあり、断定的な判断をしてはいけない。という問題も。それがなぜダメなのかと食い下がる同期もいました。
課題もあったものの、部屋に集まったりして楽しい研修生活。講義中はたまに居眠り。今でも付き合いのあるDK君はローリングアクションが大きいので、すぐに呼び出され説教。おそらく呼び出し最多記録。私はペンを持ちながら、静止したまま眠れるので、見つかることはないが、周りからは「いつも寝てるよね」と指摘されることも。とはいえそんな彼も、外務員の勉強でわからないから教えて、と部屋にやってくる。そもそもあれだけ寝て説教されてりゃ講義ほとんど聞けないだろう。
支店での研修では活気ある支店業務を経験。お昼もそこそこに立ちながら缶コーヒー飲んで、仕事に戻る。今はメジャーな横浜の新興住宅地に家を構える先輩宅で夕食をごちそうに。発売された四季報をその日中に読み込み銘柄発掘する。既に支店でやっていけるかの心配はありました。
そしてついに辞令の日。その日は席順で呼ばれるので、少し想像つき、最初は札幌支店から。私は後列の方だったのですが、絶対に支店に行かなそうな(行けなそうな)同期のそばだったので、本店なのかな。。とは思っていました。資本市場部、さすがに名前だけでは何をする部署かはわかりません。
もう一人の同期とは別の業務課に配属となり、ドキュメンテーション業務をしていました。課長が穏やかだけど非常に頭の切れる人で、周りも優秀な人ばかり。自分が学生上がりであることを思い知らされました。朝は支店ほど早くはないですが、夜型の人も多く、終電の時間を覚えているくらいまで働いていました。
深夜に来る警備のロマンスグレーなおじさまから、「今日もお疲れ様です」と若造に紳士的に声をかけてくれたことをよく覚えています。きっとこの方は立派な接客などのお仕事していたのだろうな、と思いながら。生産性というところでは、半人前だったし、責任持たせてやらせてくれるにしてもわからないことだらけ、ミスは必ず全体会議で報告するよう促されました。そのころの外債の主担当企業は覚えています。SL、SD、DR、RS、SF、AB、RB、KR。出張も北海道はなかったけど京都大阪はありました。当時は新興(店頭)でも今や大手上場企業の財務、経営企画、取締役、社長にお会いできるというのは、贅沢な日々であったものと思います。また外資系証券や弁護士事務所の方とお会いすることができました。メールはあまり発達していなかったので、FAXか電話。外国人弁護士との会話はなかなか難儀しましたが、いい思い出です。
とはいえ、自分なんかが担当していいのかとは常に思っていましたが。そんなある夜、顧客との接待から帰ってきた大先輩が、我々のインストラクター(メンター)に何か不満があって詰めているのを見ました。我々新人の指導がなっていない、とのことでしょうか。よく灰皿や電話が飛ぶという伝説はありましたが、それはないかわりになぜか靴は(人に当たらないよう)宙に舞っていました。
そんなこともあってか、部内で異動となり同期と一緒の課になりました。立ち上がりは少々乱れるもバックの支えで終了。