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初めて自閉症について調べた日

 待望の第一子である長女、みーちゃんは常に走り回り、じっとしている事のないとても元気な子だった。
 私たち夫婦は"この子は運動能力に長けているに違いない。早くスポーツクラブに入れて、有り余る体力と運動能力を開花させなきゃ!"と。他の子とは違う行動の激しさを、よくあるプロスポーツ選手の子供時代の逸話と思いこんでいたのだ。
 私の心に小さな暗雲が発生したのは3歳児健診の時だった。100人程の同じ歳の子供達が集められた部屋で親の隣に座っていない子は2〜3人だけだった。その筆頭はうちの子だ。あっちこっちと走り回っている。私が驚いたのはおとなしく座っている子達の方。3歳で親の隣に座ってる事が出来るなんて…。私は一般的な他の子をここで初めて知ったのだ。
 夫の転勤で大都市と言われる都会に引っ越し、妊娠し、出産した。親も親戚も知り合いのママも同級生も、同じくらいの子を持つ話せる人は周りに居なかった。我が子が明らかに他の子と違うなんて、全く気が付かなかった。
 みーちゃんの育児は大変な方だったのかもしれない、けど、育児って皆んな大変でしょ?
 言葉の遅れも多少はあった。けど全く出てないわけではないし、人気俳優が「自分は3歳で初めて言葉を発した」とTVで発言してたので、うちの子もゆっくりなのだと気にはしていても気にしすぎてはいなかった。

 私はみーちゃんを妊娠する前に一度流産の経験があった。
 望みの人と結婚し、周りから祝福を受け、新婚旅行へ行き、程なくして妊娠に気づいた。幸福の連続だった。そして流産した。想像するに容易いと思うが、絶望感はかなりのものだった。
 だからみーちゃんを授かり、無事に出産できた時は奇跡と思った。この世に生まれてこれた子達は皆んな奇跡。みーちゃんが産まれてからは疲れてても睡眠不足になっても夜泣きが酷くても、それら全てが幸福と感じた。24時間ずっと眺めていても飽きない。可愛くて可愛くて仕方なかった。

 3歳児健診後、役所でやっている「子ども相談室」を紹介された。少し言葉の遅れが見られるからと。
 真っ白なキャンパスに、小さな一滴、墨が落とされた感覚だった。その時はまだ小さな点くらいの。
 言われた通り予約を取り「子ども相談室」へ行くと、パーテーションで区切られた窓口が3つあった。大人用と子供用の椅子が置かれている。共有のスペースにはおもちゃが沢山置かれており、みーちゃんは真っ先におもちゃで遊ぶ。それはそうだ。子どもなのだから。たった3歳なのだから。呼んだって来るわけがない。

 相談員さんは優しそうな感じの良い女の人だった。発している単語や普段の生活の様子をひとしきり聞いたあと、みーちゃんも座ってお話ししようと促され、一瞬座るがすぐおもちゃの方へ戻った。当たり前じゃないかと思った。そして、最後に相談員さんからリハビリテーションセンターを受診する様勧められた。専門家のいるもっと詳しい診断ができる施設だと。
「??」では、この相談室は何なんだと思った。私は無駄に時間と労力を使われてる気がして反発心すら持っていた。自覚はしていなかったがイラつきの原因はわずかな不安に違いなかった。
 小さな点だった墨は、少しだけ広がった。小指の先くらい。まだ小さい。 

 家に帰り、リハビリテーションセンターについてスマホで調べた。場所の確認と予約の為に電話番号を調べる為だ。すると、目に入ってきた言葉は予想していないものだった。 
 そこは障害者支援施設だったのだ。
小指の先くらいだった墨はじわじわスピードを上げて広がり始めた。血の気が引くのを感じた。

障害?何が。誰が。誰が。何が。どこが。何の話。何。何。誰。誰。誰……。一体誰の話!!
そんな言葉で頭がいっぱいになった。考えがついていかない。「…はっ…はっ…はっ…」息がしづらい。「…はっ…はっ…はっ…」
考えろ、考えろ、考えろ。しっかりしろ。
足もとにみーちゃんが来て両手を伸ばす。私は抱き上げ、頭を撫でた。何度も何度も。そしてそのまま片手で電話をかけた。リハビリテーションセンターではなく、たった今話をしてきた相談窓口へ。
「本日相談に行かせて頂きましたが、担当された方がうちの子をちゃんと見もしないでリハビリテーションセンターを受診する様言ってきたんです。再度、別な方にちゃんと見て頂きたいのですが。」声が震えていた。それを隠すのに一気に強気で話した。感じは悪かったと思う。
 すぐにまた相談に行く事となった。時間と労力を今度こそ無駄に使って。…いや、無駄ではないか。私には必要だった。納得するには1回では足りなかった。

 2度目の子ども相談室。私が入るとさっとカーテンを閉めた窓口があった。一瞬だったけど、この間担当した方に見えた。きゅっと心が締め付けられた。
 2度目ともなると落ち着いて周りを見れる。他にも親子が相談している。その子は母親の隣の椅子に座っていた。みーちゃんの様に走り回ったりおもちゃの場所に居続けたりはしていない。少しは遊ぶが呼ばれればママの隣に戻って行く。
 今度の相談員さんも笑顔の切らす事ない優しい感じの人だった。ただ前の担当者さんよりはっきり話す人だった。 
 みーちゃんを椅子に座らせる様に手遊び用のおもちゃを机に用意してある。少し座っていられた。相談員さんはみーちゃんに声かける。挨拶と簡単な質問。みーちゃんはおもちゃをいじって顔を上げない。私が促しても。そしてすぐにおもちゃのコーナーへ戻る。
 相談員さんは根気よくみーちゃんを誘うが、耳には届いていない様だった。

そして診断用紙に記入し始めた。前回は無かった。書き終えると私に見せながら丁寧に説明し始めた。言葉の遅れや目を見ない事や呼んでも反応しない事などなど。項目ごとに5段階の評価になっていた。私は落ち着いて聞いていた。8割型みーちゃんの行動は診断項目にひっかかっていた。そして、相談員さんは諭す。「みーちゃんの為に、みーちゃんの事をもっと知りましょう。信頼できる専門家と一緒に。」
私はクレームを入れた人とは思えないほど素直に頷いていた。納得できたわけではない。ただ反抗する理由ももう無かった。そしてその日のうちにリハビリテーションセンターに連絡し予約を取ったのだ。

 リハビリテーションセンター(以下リハセンターと呼ぶ)は診察待ちの人が沢山いた。みーちゃんの予約は3ヶ月待ちとなった。ずいぶん待たされるなと思った。子ども相談室はすぐに行けたのに。でも…そんなに沢山希望者が、対象者がいるのかと思うと少し安堵もした。後から知ったが3ヶ月待ちは早い方だった。平均的に5〜6ヶ月は待たされるらしい。私はたまたまキャンセルがあり、そこに入れたから3ヶ月で済んだのだそう。そして、この先もずっと続く事になる。この大変取りずらい予約との戦いが。この時はまだそんな事つゆほどにも思っていなかった。

 診察日までの間、今まであまり足を運ばなかった児童館へ通う事にした。主人に、みーちゃんの言葉の遅れは、家から出ずテレビばかり見せて、他の子供たちや大人と接していないからじゃないかと言われたからだ。
言い方には不満を覚えたが、それもそうだ、違いない、と納得した。
じわじわと広がり続けていた一滴の墨は広がりを止めた。
 すぐに行ける範囲の児童館を2〜3箇所探し、曜日によって場所を変えほぼ毎日出掛ける様にした。負担は感じたが、みーちゃんの為だ。外部と接触していなかったから健診で引っかかる様な事になったのだ。

 児童館への足が遠のいていたのには理由があった。まず、みーちゃんが6ヶ月を過ぎた頃、第二子をお腹に授かった。みーちゃんの妊娠の時とは違い、お腹はとても大きく膨らんだ。みーちゃんの時は臨月でも臨月だと気付かれない程度だったが、第二子は妊娠6ヶ月程でみーちゃんの時の臨月位お腹が大きくなった。初めて妊娠線もできた。そして、みーちゃんが1歳4ヶ月の時、第二子を出産した。みーちゃんにひーちゃんと言う妹ができた。妊娠も違えば、生まれた大きさも顔もまるで違った。みーちゃんは2500グラム程の小さく儚い赤ちゃんだった。一方ひーちゃんは3500グラム程のしっかりした力強い赤ちゃん。歩き始めたのだって、みーちゃんが1歳2ヶ月に対しひーちゃんは9ヶ月半で歩いた。一升餅では歩けず泣いてたみーちゃん。ひーちゃんは小走りしていた。
とにかく元気な2人。もちろん元気なのは良い事だが、私1人で2人を連れて歩くのは出来れば避けたかったのだ。だって、2人で逆の方に走っていくのだから、私はどっちを追いかければいいのか。身体が2つ欲しいとはこの事だ。それに、一日中2人の娘と部屋の中で過ごす時間は、私にとって愛おしい時間でもあった。2人が昼寝をしている間に子供たちの遊び道具を手作りしていた。裁縫でぬいぐるみを作ったり、牛乳パックを使い椅子を作ったり。編み物をしたり。全部2人が使うもの。出来る限りお手製のものとした。そんな時間が楽しかった。
 でももうそんな事言っていられない。下手したらひーちゃんだって健診で引っかかってしまうかもしれない。児童館で外のお友達と触れ合わせなければ…!!
 私は使命感とみーちゃんへの罪悪感を背負い、積極的に通う事とした。 

  どの児童館もたくさんの子供達が集まり賑わっていた。入館規制がかかる日もあるくらいだ。たくさんの絵本におもちゃに、外には小さな畑まである。収穫の体験も出来た。うちの子達も喜んで遊ぶが、やはりみーちゃんを見失う。一緒に遊んでくれればいいのだが、たいていうちの姉妹は別行動をする。ひーちゃんを注視すると必ずみーちゃんを見失い、私はいつも走り回っていた。

 児童館の周りは150㌢程の高さのフェンスで囲われており、出入り口には上と下と鍵が二重にかけられている。子供の背丈では届かない位置に。だからと言って安心はできない。子供達は大人の想像を時に超える。みーちゃんはその天才だ。その凄さ(?)を知るのはあと少しだけ先となるのだが、児童館でも既に片鱗は見せていた。いくら探してもみーちゃんが見つからない時があった。限られた施設の一体どこへいるのか。誘拐でもされたのではないか、私は青ざめ、職員にひーちゃんを見ててもらい数名で探した。見つかったのは施設の裏のフェンスの外だった。裏のフェンスの下は1M程高さがあり側溝があった。全てコンクリートだ。みーちゃんはフェンスのつなぎめの僅かな隙間からそのままフェンスをつたい外側出たらしかった。フェンスに捕まっているが数センチ足を踏み外せば下のコンクリートに落ちてしまう。私に気づいたみーちゃんは笑っている。楽しそうに。私は慌てず、ゆっくり近づきみーちゃんをしっかり掴み、内側へ引き戻した。……ふー。肝を冷やした。と生まれて初めてこの言葉を心の中で使った。今後、そんな事が山ほど起きるのだが。
 職員はフェンスの繋ぎ目の隙間を通れない様に紐で対策をしたが、それ以来そこの児童館へは行かなくなった。

 児童館も毎週通っていると他のママ達の顔も覚えてくる。その内の1人に話しかけられた。みーちゃんを見ながら「リハセンターかどこか、受診していますか?」と。突然だ。軽い挨拶の後、この質問だった。不意をつかれたが「あぁ…。はい。今診察待ちです。」
と答えた。その人の子供はリハセンターに通っているそうだ。その意味を、内容を、この時は聞けなかった。聞きたくなかった。みーちゃんより一つ年上のその子は男の子で、見た感じ何も特別さは見当たらなかったが、よく本棚の上には座っていた。高いところが好きらしかった。そして言葉を発してるのを聞いた事がなかった。
その日の晩、児童館での事を夫に話すと珍しく少し怒った。失礼な人だと。私は、「そうだよね」と答えたが、失礼とは感じなかった。内容は失礼だったかもしれないが、言い方は優しかった。それよりも、専門家でもない人に指摘されたのがショックたった。あの子の何かが皆んなと違う。その事に私は気づき始めていた。でも、蓋をしている。まだしっかりと。
 また墨が広がり始めていた。

 その後もそのお母さんとは何度も顔を合わせたが、私は子供達を追いかける様を見せて、挨拶はするが話す事を避けていた。
 児童館に通い始めて2ヶ月程経った頃だろうか。スタッフの方から一枚の案内を渡された。他の人には聞かれない様に小声で「少人数でのびのび遊ぶ日を設けました。是非みーちゃんも連れてきて下さい。お茶とお菓子も用意します。お母さんも他のお母さん達と交流して息抜きしに来て下さい♪」と。
案内にはプールと夏祭りのような出店とお母さん達がお茶を飲んでる癒されるイラストが描かれていた。楽しそうだな、2人とも喜ぶだろうなと思っている矢先、加えて伝えられた。「他の人には秘密にして下さい。スタッフで相談して決めた人だけお誘いしてます」と。
一瞬で心がざわついた。なぜうちが?とは聞けなかった。

 当日は、少し緊張していた。行くか、行かないか、迷いながら子供たちの水着と着替えの準備をした。迷いながら車を走らせた。迷いながら児童館の前まで来た。約束の時間は5分程過ぎていた。どうゆうわけか、足が動かない。門扉に手を伸ばせない。みーちゃんは、抱っこ紐の中から行きたそうに手を伸ばしている。
 私はもう、この扉がただの扉じゃない事を知っている。開ければ、足を踏み出したら…。
「入らないんですか?」優しい声で後ろから声を掛けられた。避けていたお母さんだった。
「一緒に行きましょう。楽しいですよ。私はもう3回目の参加なんです。」優しく静かな空気を纏うそのお母さんは、私の背中を押した。
 中へ入ると、はじける笑顔のスタッフさん達が元気に出迎えてくれた。そこはいつもの子供が多い児童館とはまるで姿を変え、7〜8人程の子供と保護者、スタッフは5人と手厚い。こんなに広かったんだ…。
用意されていたのはビニールプールとヨーヨーすくいにスーパーボールすくい、かき氷屋さんといった、夏祭りの子供達が大好きなものがいっぱい。みーちゃんもひーちゃんもとても喜んで遊んだ。のびのびしている。母親達もだ。何せ他の母親達はどうか知らないが(他の親子を見る余裕があまり無い)うちは常に子供を見張り、追いかけてたから。他の子のおもちゃを取ったりしないか、叩いたりしないか、脱走しないか。いつも見張って神経がすり減っていたが、今日はスタッフの人達が見ていてくれている。

この会は、普段行動を制限され窮屈な思いをしている子供達と、同じく謝ってばかりの窮屈な思いをしている母親達に休息をくれる会だった。少なくとも私にとっては。
子供達が遊んだ後は皆んなでお弁当を食べ、親同士の交流会となった。一人一人自己紹介をし、悩んでることなどを話した。もちろん子供の話だ。それぞれリハセンターの通園課に通っていたり療育教室に通っていたり、病院での診察待ちだったり…。ばらばらだけど、共通点は明らかだった。私は言葉少なめに「診察待ちです。まだ何もわかりません。」と話した。

本当に何もわからないのだ。これからどうなるのか。右も左もわからない。ただそれは自分で選んでいるだけだ。欲しい情報も相談する場所も相手も今ここにある。けれど、しない。病院の診察を待つ。専門医の話を聞く。
小さな点だった墨は時間をかけて確実に広がっていき、もう全てを覆いそうになっていた。

 そして訪れた診察日当日。やっとと言うか、とうとうと言うか…。緊張していた。ここ数日ずっと。心が落ち着かなかった。 
やっと終わるんだ。このざわざわした感じ。ずっと何かが引っ掛かってるのに気づかないふりをする気味悪さ。罪悪感。もどかしさ。その一方で、このまま時が止まればいいのにとも思う。

 待合室には車椅子に乗った成人や小学生〜中学生くらいのさまざまな年代の人がいた。ひときわ落ち着きのないのがみーちゃん。自動ドアを出たり入ったり、それをダッシュでやるのだから押さえるのも大変だった。自動ドアに手を挟める危険もあるし、常に追いかけ予防策を張らないと大けがしてしまう。みーちゃん程落ち着きの無い人はそこに居ない。いや、今までも見た事なかった。

診察室は3階にあり、待合室の窓からは子どもの遊具のあるグランドが見えた。みーちゃんに見せると、行きたそうにバンバン窓を叩いた。受付の人に外の公園の様な所で遊ぶ事は出来ますか?と聞くと、あそこはリハセンターに通う通園課の子達が利用するので一般の子達は入れないんです。と言われた。そうか。残念。この大きな施設には未就学児が通う通園課とゆう幼稚園の様なものまで備わっているか。そういえば児童館の集まりの時、通園課に通ってると言ってたお母さんがいたのを思い出した。
他に外科、眼科、歯医者があるのは通りがけに見ていた。案内を見るとプールもジムも体育館もボウリング場もグラウンドもテニスコートもアーチェリー場まである。都会には凄い施設があるのだと感心した。のちに存分に利用する様になるのだが。
 名前が呼ばれた。診察は母子分離で行われた。私は担当医の簡単な紹介を受け、すぐに問診へと入った。子ども相談室で聞かれた様な話を聞かれれ、丁寧に答えた。ただ一つ、毎回聞かれ答えに戸惑うものがあった。「他の子と違うなって感じるところはありましたか?またそれはどんな事でいつ頃ですか?」
違うも何も、皆んなそれぞれ違うだろうと思っているので、不思議なんて何も感じなかった。被害妄想だとは思うが、違いに気付かなかった事なんて親としてあってはならない事だと責められてるような気持ちになる。
「第一子なので、特に気がつきませんでした」と決まって答えた。この頃「第一子」をよく使っていた様に思う。気持ちを少しだけ楽にする魔法の言葉の様に。相手は何も気にしてないだろうけど。
問診はすぐに終わった。結果はみーちゃんの検査結果と合わせてもう一度呼ばれる。
みーちゃんは別室で発達検査を行っていた。瓶にコインを入れるとか、パズルとか動物の名前を言うとかの簡単なもの。次から次へ課題が出されるので飽きる事なく座って集中して取り組んでいる。子ども相談室の時の様に椅子から降りる事はない。
これは良い結果が出るのではと期待した。そうなのだ、他におもちゃや、気がそらされるものがあったからこれまで話を聞けなかっただけなのだ。特にパズルは得意な方だと感じていた。対象年齢より上のピースのパズルも次々と仕上げるので、うちにはパズルが沢山あった。それも問診の時には必ず話した。
 みーちゃんの検査が終わり、再度呼ばれた。みーちゃんと手を繋ぎ、抱っこ紐の中にはひーちゃんがいる。
先生の口から結果が伝えられた。あまりにあっさり言われたので聞き違いかと思った。聞き違いだと思いたかっただけかもしれない。
「広汎性発達障害、いわゆる自閉症です。」

一瞬で目の前が真っ暗になった。

 先生の話をしっかり聞かなければ。先生の声が遠くなる。唾を飲み込んだ。落ち着け。目は逸らさない。ちゃんと聞け。目を見て話を聞く。メモを取る。ちゃんとして。けれどこの時はあまり詳しく説明されなかった様に思う。私に限らず、説明しても今は無駄だと先生もわかっていたのかもしれない。後でメモを確認すると、自閉症としか書いてなかった。
 受付で次に行く場所の予約や今後の流れについての案内の用紙を何枚か受け取り病院をあとにした。
早く家に帰ろう。帰って、甘いものでも食べて、ゆっくり整理しよう。ハンドルをしっかりと握り、車を走らせる。施設の広くて暗い地下駐車場から外へ出ると眩しい光が飛び込んできた。その日の空は雲一つないそれは綺麗な晴天だった。この空を私は今でもはっきりと思い出せる。きっと一生忘れないのだと思う。
運転しながら空を見て、少し笑った。私の心の中の空は、晴天に一滴、墨が落ち、それはたちまちグレー色の雲となりあっとゆう間に広がって今まさに雨が降り出そうとしている。
 こんな清々しい晴天、不幸はこの車の中だけに起こってる様に感じる。大きな粒が顎から胸に落ちて服の中をつたった。涙が出ていた。いつの間にかに溜まっていた涙の堰きは決壊し、その勢いは止まらない。次から次へと溢れ出る涙に、私は車を止め、ついには声を出して泣いた。

 何がいけなかったのだろう。私の何がいけなかったのだろう。私がこの子の未来を潰した。 

 この時はこんな間違った事しか考えられなかった。自分を責めて責めて責めていた。

ひとしきり泣いた後、虚ろにスマホに手を伸ばす。 

        「自閉症」

そうだ。この子のためにできる事、まずは知る事だ。終わりではない、始まった。私がこの子の未来の為にできる精一杯の子育てが。

この日から、今も、知る事とつい忘れてしまう事を繰り返している。

次回からは自閉症児みーちゃんと家族の日々のあれやこれやとリアルな葛藤を掲載していきます。

 診断を受けた時、世界中で2人だけになった様な孤独を感じました。でもそんな事は全くなかった。共有できる仲間もいます。同じ思いを抱えてる人沢山居ます。自分は駄目な親なんじゃないかって思ってる人も沢山居ます。私もです。
自分だけじゃない、そう思って少しだけ気持ちが軽くなって欲しいと言う思いと、沢山のみーちゃんの驚く出来事が記憶として薄れていくのが勿体無く思い、記録を残したくて掲載する事にしました。
今回は重い内容でしたが、クスッとなる話も沢山ありますので良かったら覗いてください。笑えない青ざめる話の方が多かもしれませんが…。

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