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ルーツを訪ねて、奄美へ

#忘れられない旅

昨年、久々に家に帰ってきた息子、コロナも落ち着いてきたとは言えども
またいつこんな事が起きるやもしれないと、伝えるべきことは伝えようと思った。
積もり積もった話の中で息子は私のルーツである場所について何も知らないことが分かった。旅行も数年控えていたので親子三人で私の母の故郷を訪ねることにした。

両親は結婚後、昭和35年頃は関西で暮らしを立てていた。
大阪で生まれた私は3歳ごろに奄美大島で2年程暮らしていたことがある。
微かな遠い記憶には畑仕事をしているそばで甘酸っぱい赤い実を食べていたこと、家の裏の川向うにヤギがいたこと、五右衛門風呂の板が浮いて怖かったこと。
その後また関西で暮らし10歳になり奄美へ両親、兄と行ったとき母方祖父は寝たきりで祖母は小さく可愛いお婆ちゃんで元気でいた。

さて今回あれから53年ぶりに帰ること(どっぷり関西人の私には旅行に行く感覚)になった。島にいる親戚、知人は立った一人の従兄だけだった。皆都会に出ている。私達3人は殆ど普通の沢山いる観光客と違いはなかった。

空港で島に降り立った時の潮の香、あーここだ!懐かしい。わずか数年の記憶が一気に蘇るようだった。
母の実家に行けば皆で出迎えてくれるような気にさえなって来た。
そこから2時間程車でフェリー乗り場に行き対面の離島へ渡ると母の実家があったはず。

その前にたった一人の島にいる従兄に電話してコンビニ前で対面。
50年ぶり、大好きだったかっこいいお兄さんがお爺さんに。
逆に驚いたのは向こうの方だったに違いない。母にそっくりだと言われた。
小学校の頃、数年関西の家に居候していたお兄さん、田舎へ戻るという時は寂しい思いをした。色んな事があったんだと深い皺をみてジーンとした。

都会の雑踏から離れ来たからには南の島を満喫しようと南国ムードたっぷりのばしゃ山村で鶏飯を頂き、エメラルドブルーの海の色を堪能。

ばしゃ山村・用安海岸


大河ドラマ「せごどん」のオープニングにも使われた絶景なる宮古崎、白砂の大浜海浜公園で水平線へ沈む夕日を見た。瑠璃色の地球が頭にうずまいた。海を見ているだけで来て良かったと思える素敵な島。

スポーツ選手たちの合宿に使われるというやけうちの宿のコテージでのんびり一泊。そこからすぐの星空ナイトツアーには出かける元気がなく断念。

いよいよ離島へ渡ると母の実家は跡形もなく無くなっていた。
辺りも変わっていて海であったはずの場所が陸地になってしまっていた。
船もなくコンクリート化していたというべきか、フェリーの為の港に。

綺麗な道路が出来ているのでレンタカーを借りて島を周回してみた。
住民にとってはこの外周道路必要不可欠で不自由を回避したことだろう。
わざわざハブがいる山中を超えることが無くなったことは喜ばしい。
海は何処をとってもエメラルドアマミブルーでここまで来ないと見れない景色を十分に目に焼き付けた。

生前母と一緒に暮らしていた時に母の昔ばなし、幼少期から戦時中の話を良くきいていた。母達の村は兵隊さんの寄宿舎で世話をしていた。特攻隊のあどけない姿を見送っていたこともあるという。

軍事施設跡や石碑等にリアルにこの場所が戦争の為にあったと思い起される場所を通る。辛かったであろう当時の様子を垣間見て、いいようのない気持ちになり、思わず空を見上げた。青空と静かに透き通る海にほっとした。

その日のうちにフェリーに乗り本島に戻る。さっきいた島がどんどん小さくなっていく。
母たちと帰った50年前は小さなボートに乗った。あの岸壁に祖母や母の兄弟達が手をふって見送ってくれ、その小さくなっていく姿を母が涙も拭かず、ちぎれんばかりに手を振っていたのを思い出す。
あの時母もまた子供だったんだと子供ながらに母の今まで見たことない本当を見た気がした。
80は過ぎて小さい祖母の姿が点になり消えていく、この時、船の別れはこんなにも悲しいものだと知った。

2日目の宿は海を見渡せる場所。夜は島言葉で賑やかな居酒屋に飛び込み海鮮や島料理を食し黒糖焼酎で一杯。
早朝から綾瀬はるかさん主演ドラマのロケ地であったホノホシ海岸へ、

ホノホシ海岸

丸い石だらけの不思議な海岸に圧倒された。
マングローブツアーに参加しカヌーで散策。島豆腐、西郷さんの居住地龍郷町漁師さん経営の海鮮は美味、ウミガメに会える笠利町あやまる岬、最北端で太平洋と南シナ海2つの海を眺め空港へ帰路に。
映画やドラマでロケ地として使われている場所も多くまだまだ行きたい所、泊まりたいリゾートホテルが沢山ある。
2泊3日では短すぎた💦

都会育ちの息子はこの旅で海と山だけの何もない島を見て何を思っただろう。
海の美しさに驚きときめき、貝殻、サンゴ礁のかけらを集めていた。
人工的でない殆どそのままの自然と歴史的背景を見てここが自分のルーツであることで何かしら感ずるものがあったようだ。

息子と旅して色々伝えられて良かった。忘れられない旅になった。

2年前に96歳で亡くなった母と兄と生きている間にもう一度ここへ一緒に来たかった。連れて来られずにごめんね。

これ以上何も変える変わる事なく、
そのままでいて欲しい美しき場所、奄美大島。

とはいえハブは怖いけどね、いなけりゃ移住もおススメです。




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