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好奇心まかせの就職活動1 過去を振り返って
ここ一年間の就職活動で感じたことをざっとまとめる.
自分のことがぜんぜんわからない!
すきなことは?やりたいことは?就活の軸は?
就職活動を始めた修士1年の夏.就活セミナーの講師に投げかけられた言葉がこれだった.私には,なにも思い浮かばなかった.残念ながら,今後の進路を決める際に一番重要な指標である,すきなことも,やりたいことも決まらないのだ.
ずっと.もやもや不安だった
これは今に始まったことではなくて,はるか昔,小学生の時から状況は同じだ.私の小学校は時々,社会的に活躍する人を講師として招いて講演会を行うという行事があった.そこで,「将来の夢はいつきめましたか?」と質問したことを昨日のように覚えている.肝心の返答を忘れてしまっては意味がないが.小学生といえば,「宇宙飛行士」,「医者」,「サッカー選手」,「ピアニスト」など,具体的な夢がはっきりしている人が多い印象だが,その中でも私は決められずにとても将来が不安で悩んでいたのを覚えている.
結局いろいろあって,現在わたしは理系大学院生をしている.毎日それなりに研究に勤しんでいる.でも,これは本当にやりたいことなのか,と言われるとそうでもないような気がする.ここで,これまでの自分の意思決定の基準についてさかのぼって考えてみようと思う.
これまでの意思決定について
小学最後の一年を犠牲に.中学受験という選択
先ほど紹介したが,小学生のころの自分は,何になりたいのかよくわからなくて悩んでいた.大きくなって本当にやりたいことが見つかった時,それを選択できるだけの力を持っている状況であったらいいな,と思い,地元で一番難しい中学を受験することにした.塾に通ったのはこれが最初で最後のことだったが,慣れない問題にはじめは苦戦した.夏ごろまで当落線上ぎりぎりのところをさまよい,秋以降は休日も返上して勉強に励み,なんとか首席で合格した.この中学では,交換留学などがあり,「いつかは,外国で働くのもいいなあ」,「国連で働くのもいいなあ」,などよりグローバルな視点を持てたため,小学校最後の一年はすべて勉強に費やしあまり遊ぶ時間もなかったが,結果的に良い選択ができたと思う.
できないからこそ,突き詰めたい.高校での文理選択
つぎの意思決定は,文理選択だ.私の成績は,英語≫社会≧理科>数学≫国語だった.中学から高校に上がるときに入試がない分課せられていた卒業論文のようなものも,結局社会科のテーマで調査して書いたので,得意な科目で行けば文系だろうな,と思っていた.でも,どうしても決めきれなかったのは,文系に進むことで理系の科目を未来永劫捨てることにはならないか,という不安だった.逆もしかり.文理選択では,往々に得意科目で選択せよ,というものがある.しかし,それで本当にいいのか.小学校1年生から勉強に触れてきたとして,たった9年間で何がわかろうか.これぽっち勉強しただけで,何かを捨てることはとても苦しい決断に思えた.実際に,先輩に相談してみても,文理というくくりで選択を迫るのは日本だけらしい,という話をされた.そのころ,特に理系科目が苦手であった.理系科目を習得したければそれを教えてくれる人がいないと無理だろうな,到底独学では勉強できないだろうな,という考えに至った.そういうわけで,自分にとってはいばらの道ではあるが,苦手な理系に進むことにした.
結果オーライ.大学受験
次の大きな選択は,大学受験だと思う.結論から言うと,私が所属することになった大学は,自分の第一志望大学ではなかった.高校1年生の時,初めて受けた模試で偏差値80をたたき出し,当時の担任の先生に「A大を目指してはどうか」という話をいただいたことや,憧れの先輩がちょうどA大に合格していたということ,A大では入学時に学部学科を決める必要はなくその後の学びを通して自分の興味関心を広げながら将来を選択できるということ,A大を目指すことになった.学校の休み時間も,休みの日も遊ぶことなく,勉強に励んだ日々.しかし,二次試験直前で志望代をB大に変更することに.理由としては,4点ほどある.
一次試験(センター)で所望の点を得ることができなかった
浪人はしたくなかった
A大に仮に受かったとして,現状の学力では,自分の所望の学科に配属されることはないかもしれない,と考えた
理系(特に工学)の分野ではB大も有名であり,悪い選択肢ではないと思った
ざっと過去問に目を通して臨んだ二次試験.もともとより高いレベルの入試問題に触れ続けていたことが功を奏し,緊張もなく試験を終えることができた.(試験は2日ほどであったが,1日目の晩はマツコの知らない世界をみて過ごした.しかし,試験後から合否発表までの間は,しっかりと,生きた心地がしない日々を過ごした.これには,例外などないのである.)
ここで不満なくやっていけるだろうか,という不安はあったものの,向上心の塊のようなクラスメイトや,奇想天外なギャグセンスを併せ持つ仲間に囲まれ,結果としてはここに来てよかったと思う.
あまり深く考えずに突き進んだ.研究室配属
研究室配属というものが,どうやら学部1,2年次の成績で決まるらしい,という噂は瞬く間に広がった.つまり,ここで何をしたいのかまだ判然としないうちから,しっかりと勉学に励めばならないということだった.目的なく,何かを頑張ることは難しい.だから夢のなかった私は,「とにかくいい成績をとること」を目標に生きることにした.
そして研究室配属の時はやってくる.一人当たり7研究室,志望研究室を提出することになった.この時は,とにかく面白そうだなあと思った研究室を羅列した記憶がある.とにかく,何かのジャンルで縛ることは一切せずに,深く考えずに選択した.志望順なども,最後はあみだくじで決めるように選んだ.
結果として,第一志望に書いた航空宇宙工学を扱う研究室に配属されることとなった.同期は自分以外に1人.後から聞いた話だが,ここは相当人気の研究室で,倍率は2,3倍,ということであった.つまるところ,何の深い志もなく,ただただ良い成績であったというだけの学生が配属されるべき場所ではなかったということである.第一,研究室の研究内容は面白そうだと私自身感じていたために,志望研究室として提出したのだが,正直に言ってそれほど航空宇宙への熱意はなかったように思う.少なくとも,工学の分野で扱う宇宙についてはほとんど知らないことばかりであった.配属初期は,JAXAやNASAの最新の話題についていくことができず,若干の孤独感を感じていた.
しかし,どれほどちぐはぐだと感じる環境でも,何年もいれば慣れてくるものである.実際に,研究もぼちぼち進捗を生みはじめ,だんだんと,そしてなんとなく自分の居場所はここであるような心地がしてきていた.
就活で思い知る自分の核
修士1年の夏.いざ就活を始めんとした時,まず初めに問われたのは,「就活の軸は?」,であった.つまり,自分の中の何を基準に今後就活をしていくのか,ということであった.この軸は,業界選びや職選び,そしてひいては企業選びに重要な指針となる.インターネット上には,さまざまな先輩方の「就活の軸」が転がっていた.それらはどれも具体的で,その一つ一つには,かねてより叶えたいと願う大きな夢が含まれていた.
ここで,一度自分の人生を振り返ることになったのである.現在の研究室で居場所を見つけ始めたが,それは本当に自分の心の中をしっかりと反映できているものであろうか.成り行きのまま,そうなっただけではないのか.そこで,自分のこれまでについて振り返ることにした.思い至った軸は以下のとおりである.
幅広く学びながら,自分らしく専門性を発揮できる
これは,いくつか理由がある.
できないことを放置するのが嫌であったため(特に中高時代),これからも,いろいろと学べる環境に身を置きたかった
研究室で行っていた自分の研究が異分野を融合させたテーマだったこともあり,広い視野を以って何かを達成するときに強い幸せを感じていた
かといって,完全なジェネラリストにはなりたくなかった.自分にしかできない,強い何かが欲しかった
後輩の指導や助言をした際に頼られている,という実感が持てた時,1人の専門家として役割を発揮できているなとうれしい気持ちになった
かなり曖昧で抽象的な就活の軸である.しかし,これ以上にどう考えても自分の納得する就活の軸は出てこなかった.この軸からは,つまり,今の専攻分野以外の業界にも視野を広げて考えていく必要があることを示唆していた.私の就活,が始まったのだ.
具体的に見た業界については次回の記事でまとめようと思う.