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(どっちでもいいよ)


 脳みそ、やっべ。ぐわんぐわんする。
 どうした? 俺の煙草吸ったせい?
 ううん。ちがう。
 じゃあなに。激しくしすぎた?
 ……そうかも。
 まじ?
 なんか、煙草吸ったときみたいに痺れてるんだけど、そのさらにうえ。世界がまわってる感じ。うああ、頭。つーか、脳みそいってー。
 俺のからだは気持ちよくなかったか。
 気持ちよかったから、今、その反動。なんだと思う。
 え?
 きもちよすぎると脳みそって揺れるんだな。今までこんなことなかった。
 ああ。セックスって結局は脳で感じてるからな。
 ……からだでじゃないの?
 からだなんてあってないようなもんだろ。
 そうなのかな……。
 だって、昨日俺たち実体なかったじゃん。


「どういうこと?」


 彼とは今まで肉体関係などなかった。ずっと普通を装っていた。おれ。今までずっと。それが昨夜なんのはずみか寝ることになり一夜明けて現在。あたりは日の光でまっしろである。まぶしい。腹がへった。たぶんもう昼過ぎだ。見慣れぬ部屋に時計はみあたらないから腹で感じる。そう、感じている。セックスもそういうことなのかな。からだ全部で錯覚していたけれど、実際気持ちいいと訴えるのは脳の一部だけで、からだを揺さぶられるように振動があとからやってくる。確かに、夢中になっていたときは昇天するくらい気持ちよかったのに。刺激が強すぎると脳みそも機能停止してしまうのかもしれない。こんなのはじめて。って、いわれたらめちゃくちゃうれしいやつを相手に感じてしまうとは。反省しろ、昨夜のおれ。十年近くただの同僚やってたやつを誘惑してるんじゃない。特別仲がいいわけでもなかった相手を。いや、おぼえてねぇけど。もしかしたら向こうからだったかも、なんて、それはねぇか。だってこいつ、妻子もちだし。思いだそうと試みてはみるものの、全くといっていいほど脳みそは動いてくれない。揺れるし、痺れる。スマホを探しに手を動かそうとするも、脳みそは動けと命令してくれない。俺は思っているぞ、ちゃんと。動け、って、思っているんだぞ。だけどこの脳みそは考えることを拒否しているのだ。じゃあ今おれが懸命に動けといっているのは一体からだのどの部分だ。普通、思考というのは脳みその役割ではないのか。しかし今は一切の機能を停止している。それだけはわかる。こころ? 心臓って考えることできるんだっけ。あれ、おれふっつーにスルーしたけどこいつって妻子もちじゃん。詰んだ。


「俺もめちゃくちゃ気持ちよかったってこと。溶けるくらいどろっどろになってさぁ。すっげー、ハマりそう。お前とのセックス」
「だめだろ。うん。ふっつーに。ハマるなよ」
「なんで?」
「だってさ……」


 おれが正そうとする前に言葉は溶けた。昨夜のように。ああ。やっぱそうなの? 誘ったのはお前なの? ちょん、と軽くキスされただけでからだがうそみたいに跳ねる。まだ昨夜の余韻をひきずっている。からだと脳が。つまりは全部が。こころだけは、冷静さを取り戻していたのに、簡単に揺り戻される。単純だ。おれ。


「だめだって……」


 なにがだめなんだっけ。言葉にしてすぐ忘れる。ろくに知らないこいつのこと。おくさん。こども。単語だけがまわる。ぐわんぐわん揺れる世界のなかで、いやな焦燥とともにまわっている。でもすぐ忘れる。あんなに痛かった脳みそがやわらぐ。ふわふわと、気持ちよくなる。ああやばい。もっとほしくなる。脳みそで考えるよりからだのどこからか言葉があふれそうになる。からだが? こころがじゃなく? どっちでもいい。どっちだって同じことだ。さっきまで理性っていう言葉を知っていたはずなのに、その言葉の意味も、言葉自体さえわからなくなる。こいつのからだがきもちいいから。なかみは全然知らねぇし。同期というだけ。付き合いは長いけど特別仲がいいわけじゃなかったし、部署は同じだけど世間話すらしてこなかったし。でも、なんか、一回だけ話したな。なんだっけ。内容はおぼえていないのにこいつの表情だけはありありと思いだせる。片方の口角だけをあげた不格好な笑いかた。どっちでもいいよ。そうだ。そういわれた。急にふと思いだす、脳みその構造はよくわからない。やわらかい言葉尻だった。だから、おぼえていた。アンバランスさ。なんでおれとこいつはこうなったんだ。きのう。のみかい。あったよな? ぼうねんかい? しんねんかい? そもそもいまふゆ? それすらも。どっちでもいいよ。そういえばきのうも。いってた。くちぐせ。みたいだった。きえる。きえてく。とける。ひとつに。しこうが。いしきに。こわい。きもちわるい。うそ。きもちいい。おくさん。って、なに。こども。おれ。はやく。はやく。こわして。のうみそ。やっべ。ぐわんぐわん。きもちわる。ちがう。きもちい。まわる。せかい。じったい。おまえも? なくなる。ないの? せかい。からだ。どこ。


「煙草?」
「ん?」
「吸いたいっていったよ、昨日も」
「なんで?」
「いや、こっちがなんでだよ」
「どこ」
「煙草がだろ?」
「ちがう。おれ」
「きもちい?」
「きもち、」


 ほら。ない。実体。彼はいう。しろいシーツの波間でおれとなくなっていく。脳みそが痺れて、揺れて、なくなっていく。もうちょっとで痛くなるかも。いやだなぁ。きもちいいだけならいいのに。代償? 感じる。脳みそで、感じている。へや。おれのじゃない。じゃあこいつの。へや。こいつの?


「あれ、ここどこ?」
「俺んちだけど?」
「おくさん、」
「さぁ。でかけてるんじゃね」
「そか、」


 じゃあ、だいじょぶ。
 なにをいっているんだおれは。


 大丈夫なわけがない。これ、おくさんと寝てるベッドじゃないの。そもそもお前なんなの。どういうつもりなの。飲み会。酔ってた? おれ、酔ってない。こいつは? 酔ってない。いやきっと酔ってた。酔ってなきゃいけない。気持ちいい。それだけ。気持ちいい。から、いきさつを、忘れた。脳みそが、考えないようにしている。思いださないように。気持ちいいのに、痛い。ばくはつしそう。好き? セックスなんて好きじゃなくてもやれる。好き。セックスは。こいつのことは別に。好きなわけじゃ。ほんとに? うん。おれ。拒否してる。考えるの。脳みそが。こころ。思ってる。ほんとは。ずっと。


「たばこ、」
「やっぱ煙草がいいの?」
「ううん。おまえ」
「熱烈だな」
「おまえは?」
「俺?」




(どっちでもいいよ)




 ハマりそうっていったくせに、それはねぇだろ。クズ。


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