勘違いの仕組み(掌小説)
光がみえる。よく目を凝らすと、細い糸が垂れ下がっている。一面は闇。ぼんやりと、その光は浮きあがっていて、ぼくのこころを照らしている。細い糸の先には、みえはしないけれど脊髄。中枢から中枢をたどり、ぼくは呼吸をする。深く、長く。するとさっきまでビリビリしていたからだが楽になり、ようやく、歩きだせる。深く、長く。呼吸をする。光から指令を受けて、ぼくはぼくの生命を感じる。それがぼくの人間のイメージ。からだから離れたところで、ぼくは“おれ自身”をみている。光。糸。一面は闇。きっとしぬ瞬間はセックスするよりもきもちいい。
「誰とでも寝るような女なんだ。ちょうわがままだし。全っ然おれに合わせてくれねーし。おれは幻滅したぞ」
思ってもない言い分を並べる。ドーパミン。セロトニン。オキシトシン。それらが放出されたあとは落下。壊れる瞬間は閃光。胸焼けしそうな気分を必死に抑えて、虚勢を張る。うまくしゃべれているか自信はない。
「お前のわるいところなんていくらでもいえるんだからな。すぐ顔にでるし、わかりやすいのに素直じゃねーし、くちはわるいし、近づくと逃げるくせにほっとくと寄ってくる。ハリネズミか。なんなんだ。お前は一体おれになにを求めてるんだ」
悪口のオンパレードだというのに、吉野は笑うだけだった。余程おかしかったのか、おおぐちを開けて笑うのだった。きっと脳みそのどっかがイカれている。達したとき、すげーエロい顔してたから。
議題。恋愛感情の必要性。
なにをバカげたことを議論する気だと思うでしょう。だけどぼくは本気なのです。ぼくのなかには存在しない感情だから、なのです。これは人間のつくった錯覚なのではないですか? 交尾するにもいちいち理由をつける。感情を区切りたがる。光に惑わされ行動できなくなる。本能と理性をはき違える。簡単に月に支配される。それが人間? 感情の星? なぜ愛の世界は恋愛感情だけを特別のように切り離してしまったのでしょう。どの愛情も、ぼくには変わりなく思います。恋愛感情とはそれほど価値のあるものですか。ぼくは知りたいのです。その感情だけが、ぼくには欠けているのです。
交尾をすると光はまぶしくなります。糸はゆらゆら蠢いて、脊髄は伸縮を繰り返す。どこで間違ったのか、そもそもそれは正しかったのか、イエスかノーかの固定観念がそうさせてしまったのか、もう、いくら思い返してもわからないけれど、ひとのこころというのは他では絶対におしはかれないものであり、ある種の勘違いから現実はつくられているのかもしれない、そう思うのです。正しいか正しくないかはどうでもよく、大半の人間が当然のようにあると思っている恋愛感情は、勘違いからつくられる。あれは恋、だったんでしょうか。そんなものが最初からあったのでしょうか。なかったんじゃないでしょうか。似たものだったのではないでしょうか。偽物、だったのだと思うのです。その日が満月だったせいなのではないでしょうか。ぼくはいつでも“おれ”を俯瞰していて、正しくないことばかりに気を取られてしまう“おれ”を哀れんでいるのです。よしよし、君はよくやっているよ。ほんとうならば背中を撫でてなぐさめてあげたい。いつだって、自分を抱きしめてあげたいと思うのです。叶うなら、ぼくも、ぼくの存在ごとあの星にいってみたい。できないことは、わかっているのですけど。
「吸って?」
「ん」
わからない感情を無理矢理かたちづくっても、それらしく捏ねくりまわしても、やっぱりわからなくなるだけだ。
「あ、もっと、」
気持ちいいといわれればうれしくて、おれも気持ちよくて、触れて、乱して、のけぞる背中に脊髄を感じて、ちょっと荒っぽくなって、ダメ、っていわれて、なんだか妙に興奮してきちゃって、いうことなんてきけなくなっちゃって、おれは、すきだなって、思うけど、結局のところ、すきだなって感情は、瞬く間に消えてしまう。恋愛かどうかもわからず、消えてしまう。閃光。吉野はおれにすき、なんて絶対にいわない。だってこいつは別の男がすきで、おれを都合よく練習台に使っているだけだから。すき、じゃなくてもセックスなんて全然できちゃうんだ。おれも吉野も。おれも、きっと“ぼく”も。だから恋愛感情、それって必要? そもそもその感情って、ほんとうにあるわけ?
ちょっと目が合って発情したからって、勘違いが勘違いを呼び行為に至ったからって、満月だったからだなんて、それでもむずかしく考えてしまって、全く、人間ってやつは、ほんとうに頭でっかちの臆病者だ。光がまぶしい。おれは今、しあわせなんだ。誰が君を咎めたとしても眼中になく、確かに、しあわせなんだ。
って、たぶん、ぼくは、誰が、じゃなく、ぼくが、“おれ”を羨んでいるのかもしれないね。