【遺す物語】親指小仏観音立像 / 親父の独り語り 前編
§ 息子達へ
手渡す時に万事を伝えることはできないと想像した。故に、作中の徒然をここに記すことにする。作り手である親父は、本稿が君たちの目に触れるか否かまでは責任を持てない。であるからして、君たちが「知らぬが仏」にならずに済むことを願うばかりの親父なのである。
鈍牛の如く、ゆっくりとした歩みで彫り進めている戒名無用の我が位牌。それは、信心こそ厚けれど、利欲にまみれた宗教界隈の有様に辟易してしまった親父が選択した「始末の作法」でもある。
この形見にも似た位牌は、君たちの依代だ。作り手の存在「親」を表す大きさと佇まいから「親指小仏観音立像」と名付けることにした。
此度は、依代を彫るという意識が強く働いていることから、平素とは異なる作法で仏さまを彫っている。そんな心積もりが「木」の中に仏さまを彫らせているのかもしれない。
因みに、材料は 山桜 を選んだ。
国内のサクラ属にあって基本野生種と言われている桜でもある。
昔から「綺麗に咲く桜の木の下には死者が眠っている。」と言われているから、墓標にするのに好ましい樹種だと考えて選んだのだが、それが逡巡と七転八倒の始まりとなった。
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これまでの道程
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山桜は、予想(朴木程度)していた以上に繊維が粗く、かつ脆いことから、緻密な彫刻には適していない事が早々に分かった。
不均質で粗い繊維という点では、黒檀や紫檀に近似していたけれど、それらの樹種が有している油分や粘りが全く感じられず、脆弱さばかりが際立っているように感じられた。
それが為に、何度も諦めそうになった。「今なら痛手が少なくて済むから、材料を変えてしまおうか。」と考えた事も一度や二度では済まない。
けれど、”それ” は止めた。
選択肢の中から「変える」という文字を消した。
材料の声を聞きながら、自身の技量をぶつけさせてもらう。そうした気構えもまた、愉しみの中に存在する修練に値するだろうと・・・そんな風に腹を括ってからは、手元不如意が起きても萎えることがなくなった。
山桜と向き合うこと半年。ようやっと、親父の祈りが通じてきたことを実感しているところなのだ。
旅の空にあって仏さまを彫った木食や円空の姿を思う。
融通無下
万事を引き受けて彫り続ければ、必ず形にはなるだろう。
先達の後ろ姿を、噛みしめるように遠望しながら、それはゆっくりと彫り進めていこうと思う。