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【参拝三昧】大阿闍梨の庵へ

 去る 9月29日。ひょんなことから、大阿闍梨だいあじゃりの庵慈眼寺じげんじを訪れることになりました。

 大阿闍梨とは、かの大峯千日回峰行を満行された 塩沼 亮潤しおぬまりょうじゅん 住職のことです。恐らくは、TVの深夜枠で放送していた番組「クレイジージャーニー」で知った方も多かろうと思います。
 その大阿闍梨が住職を務めておられる慈眼寺が、「仙台の奥座敷」こと 秋保温泉あきうおんせんから、更に西方へ分け入った長閑な山間の平坦地に建立されているのです。
 ※秋保温泉:本年5月にG7科技相会の会場になった温泉地 

僕は2007年に出版された本で大阿闍梨のことを知った。


序:今秋の始末

 20年程前から、秋冬の時節を選んで自分の身の回りの始末をつけるようにしています。(この習慣は、ある出来事をきっかけに励行するようになったのですが、そのことについては、また別の機会に綴りたいと思います。)

 今秋は、釣り道具の始末に照準を定めていたので、トラウト用のロッド3本を筆頭に、サクラマス用のランディングネット、ソルト用のフローティングベスト、小物類(大量のルアー・未使用のライン等)を選び出し、贔屓のプロショップに買い取ってもらうべく、トランクに積み込んだのでした。

贅肉をそぎ落とすように選択した … が、結果は如何に?

 とは言え、それぞれのタックルには強い思い入れがあります。そしてまた、哀楽と歓喜の記憶が刻まれているのです。午後の陽を浴びながら車を走らせていると、なんとなく寂しい気持ちになりました。

 僕は、おセンチな気分に陥ると甘い物が食べたくなります。たぶん、甘い物を自分に与えることで、苦痛を緩和させようとしているのでしょうね。
 そのようなわけで、道程の中間付近にあるコンビニで、PARM(モンブラン味)を所望しました。

「とろけあう濃厚なコク」に慰めてもらった。

 甘味効果のお陰もあってか「良い状態のうちに、次の使い手へバトンタッチしよう!」と思えてきたので、名取川の岸辺の傍に建つプロショップへ到着する頃には気持ちの整理がつきました(単細胞)。
 
 そして、買い取り額を算出してもらうまでの小一時間を、ショップからそう遠くない場所にある慈眼寺へ向かうことに決めたのでした。


破:怒られに行く

 僕は、慈眼寺へ向かう道程をこよなく愛しています。
 名取川の嫋やかな流れと交差しながら奥羽山脈に分け入っていく感覚が素晴らしく、更に、長閑な山間農村域の雰囲気は勿論のこと、街道沿いに祀られた野仏石碑の手入れが行き届いた様子もまた、僕の様な一介の通りすがりの心にもカタルシスをもたらしてくれるからです。

静かなお寺を愛でるなら平日に限る。

 年に数える程しか訪れない慈眼寺ですが、僕にとっては「叱咤激励してもらう場所」のひとつになっています。 
 齢五十を越えた人間なれば、誰もが感じることかもしれませんが、悲しいかな、嫁さん以外の第三者に怒られる機会がなくなるのです。
 この状態、意外に物足りなかったして(苦笑)。

 それが故に、誰か彼かに怒られようと思ったら、こちらから能動的に怒られに行くしかないのですが、だからといって、わざと怒られるようなことをしたいとは思わない … と。
 そこに大いなる矛盾があるわけです。

境内は緑に溢れている。(この日は庭師さんがお仕事中でした。)

 なにはともあれ「好事魔多し」という諺が示す通り、調子が上向きの時こそ自重を要するわけで、そういう好転と暗転の境目を自分で見極められるようになることもまた、良い歳のとり方なのだろうと感じる今日この頃。

 時は「中秋の名月」
 2023年も後3ヶ月で終えようとしている中、何の因果か、私のごう煩悩ぼんのうが濃縮された釣具を始末するために、タイミングよく慈眼寺のお膝元へ出向くことになったわけだから、「この辺で一回権現様に怒られて、業と煩悩を燃やして頂こう。」といった思いに至ったのでした。

 慈眼寺の境内は、秋を迎えてもなお緑濃く、午後の陽射しと西風で枝葉の重なりが揺れて耀き、目と耳に優しい環境が広がっていました。
 一旦、詰所に断りをいれてから権現堂ごんげんどうに入堂し、お堂の中央に鎮座まします蔵王権現ざおうごんげんの前に座りました。(※堂内は撮影禁止)

 修験の道を歩まれた大阿闍梨の庵は、境内こそ穏やかな雰囲気に溢れていますが、本堂の中は質実剛健にして凛とした空気で満ち溢れています。
 本堂の中心に鎮座する蔵王権現の憤怒の顔で見つめられたら、仮に悪いことをした記憶がなくても、裏の裏まで見透かされ低頭してしまうのです。

午後の陽射しを浴びながら境内のベンチに座って過ごす時間は心地良い

 かくして、僕の業と煩悩は燃やされ尽くしたのか?
 まぁ、そんな簡単に焼却されることはないでしょう。それでも、蔵王権現の厳しい眼差しに晒されながら、自覚している自身の至らなさと向き合うことはできたように思います。

〇 慈眼寺へのいざない

 冒頭に記した通り、大阿闍梨が各メディアで取り上げられたことで、慈眼寺を訪れる人々は引きも切らない様子が伺われますが、平日(護摩修法や祭事がない時)は、穏やかで静かな雰囲気を味わうことが出来ると思います。
 因みに、長蛇の列と人混みが大嫌いな僕は、ほぼほぼ平日を狙って参拝するようにしています。

 また、慈眼寺の界隈には、秋保温泉を筆頭に、秋保大滝あきうおおたきといった景勝地や、秋保電気鉄道の遺構(旅客と秋保石の輸送に使われていた鉄道で1961年に廃線。秋保温泉街の一角で車両が保存されています。)なども見ることもできますので、仙台市街地に点在する定番の観光地巡りにアクセントをつけたい方にはおススメです。


急:権現様の思し召し

 閑話休題。
 境内に設えしつらえられたベンチに座り、山野草を愛でながら憩っていると、担当者から買い取り額の算出が終わったとの連絡が入りました。

 再びショップを訪れて、担当者がまとめたリストを確認すると、サクラマス用のロングロッドの買い取り額が異常に低いことに気付きました。僕の疑念を感じ取った彼は「リールシートの内部に軽微な不具合があるんですよね。」と申し訳なさそうに教えてくれました。
 その理由に納得したものの、この金額では到底売れないと感じた僕は、「このロッドは最後まで俺が面倒を見てやるか。」と思い直しました。

震災以降10年間を鎮魂の時に費やし、2021年春に満を持して追波川のサクラマス釣りを再開。その再開初日にでた62㎝3㎏オーバーのサクラマス。この時に入魂したロッドが「出戻り」となった。

 本音を言えば、ガソリン代も高くなる一方だし、体の切れや持久力、耐寒力(厳寒の2月から始まる釣り)も落ちてきたことから、潮時を感じていた僕は、追波川のサクラマス戦線から離脱しようと考えていたのです。
 このような理由わけもあって、自分が一番気に入っている大型トラウト用のロッドを1本(名竿の誉れ高き・UFM SST-77H)だけ手元に残し、他のトラウトロッドを処分しようとしたわけですが … 。
 どうやら、蔵王権現「追波川でサクラマス釣りの修行を続けよ!」と思し召しの御様子で … 。

 全く以て、都合の良い解釈に過ぎるかもしれません。けれども、ここは前向きに捉えた方が「心」にとっても健やかでしょう(微笑)。
 無理をせず、自分の心と体に相談しながら、心明るく追波川の水辺で竿を振りまわしたいと考え直した次第。
 然るに、これからも僕の業は増えそうです。

 2023年も残り3か月。
 良きラストスパートを切ることが出来たような … そんな気持ちにさせてくれた中秋の一幕は、これにて終了とさせて頂きましょう。
 お後がよろしいようです。

 愁傷な話になるはずが、生臭い話で終わってしまって申し訳ありません。

〇本項に関連した過去記事

1:2022年の始末の様子

2:追波川が分かる過去記事

 お暇な時にご一読賜れれば幸いです。

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