見出し画像

【日常】たまには夫婦で思い出巡り

 先週の木曜日(9月12日)、久しぶりに嫁さんと休みがあったので、気分転換と平素の慰労を兼ねてドライブすることにしました。目的地は、仙台市に隣接する七ヶ浜しちがはまという仙台湾に面した町で、私達家族にとっては思い出深い場所になっています。


嫁さんにとっては13年ぶりの吉田浜漁港。
彼女曰く「なんとなく覚えているような、覚えていないような・・・。」だそうです。

§ 子ども達との思い出が残る港

 今回、私達が訪れた七ヶ浜町は、その名が示している通り七つの浜湊浜みなとはま・松ヶ浜・菖蒲田浜しょうぶたはま花渕浜はなぶちはま・吉田浜・代ヶ崎浜よがさきはま東宮浜とうぐうはま)からなる小さな海辺の港町です。

防波堤の突端に設けられた白灯台。

 仙台市に近接しており、我が家から車で1時間足らずで行ける「身近な海」であったことから、家族を伴って足繁く通ったエリアでした。
 もっとも、目的の殆どが「釣り」だったわけですが、七ヶ浜の界隈(多賀城市や塩竃市を含むエリア)には、名勝旧跡の類も多く、幼い息子たちにとっては、社会勉強よろしく多様な学びの場になってくれたように思います。 

 そんな七ヶ浜町の「七つの浜」にあって、とりわけ私たちが好んで訪れたのが吉田浜漁港花渕浜漁港でした。
 これらの港は、海水浴やサーフィンを楽しむ人達と重ならずに済んだこと、そして、近接した両港を徒歩で移動しながら釣りを楽しめたことも、これら二つの港へ通う大きな理由になっていました。しかし、通い続ける中で、何より好ましく感じていたのは、港の程よい活況漁師さんたち優しさを感じられたことでした。

※漁港で釣りをするという事
 漁港は、漁業権を持つ漁師さんが最も優先される場所であり、「趣味の釣り」は、そうした仕事場に「お邪魔させてもらっている」という感覚をもたなければなりません。そういう面で、漁師さん達の理解がある漁港の存在は本当に助かります。吉田浜漁港では、漁師さんが気さくに声掛けしてくれることが多く、時には「ハゼしか釣れてないんか!じゃぁ、これ持ってけ!」といって、数量や型が揃わず売り物にならなかった魚をくれたりと、私達の様なオブザーバーにも柔軟に、そして優しく接してくれたものでした。
 立場の異なる人同士の相互理解は難しいものですが、少なくともお邪魔する側の所作や行動が、相互理解へ繋がる第一歩かと思われます。釣り場を無くさないためにも、自重して行動したいものです。

吉田浜の白灯台にて浦戸諸島を望む。

 此度は、そんな「思い出の漁港」を目的地として車を走らせました。
 私自身は、震災後も幾度となく当地を訪れていますが、嫁さんは本当に久し振りです。車窓から見える景色も断片的に記憶している程度で、吉田浜漁港に到着した時には、あまりの変わりように驚いていました。

 確かに、大きな駐車場観光案内所、そして綺麗な公衆便所食事処は、従前には存在しなかった施設です。おまけに、随所にリゾートライクな雰囲気も漂っていたりと、震災前の牧歌的な漁港の様子しか知らない嫁さんが驚いたとて不思議はありません。

 車を降りて、吉田浜漁港の防波堤へ向かいました。
 嫁さんも、遠望される海の景色と潮風に懐かしさを感じていましたが、復旧を経て変身した港の風景の中に、家族で釣りをしていた時分の場面を見い出すことが難しくなっていたようです。

旬のハゼを狙って吉田浜漁港へ。(2009年9月:長男8歳・次男4歳)

 嫁「みんなで来た時は、あの辺で竿を出していたよね?」
 私「いやいや、次男坊が小さかったから、そっちの足場の良い波止で釣ることが多かったよ。」

 とまぁ、そんな感じの「微妙なチグハグ感」を楽しみながら、二人で防波堤の上を散策しました。

吉田浜漁港の波止場では、安全に釣りを楽しむことができました。
初夏〜晩夏にかけてはメバル(右)が、そして晩夏〜晩秋にかけてはハゼ(左)が釣れました。

 この日は、曇天にもかかわらず、今夏の酷暑の名残もあってか気温も高く、外に出るのも億劫になるくらいの天候でしたが、いざ潮風にあたってみれば実に心地良く、自然と顔もほころんできます。

海鳥の憩いの場となっている権現堂島

 防波堤の突端まで歩みを進め、カモメ君たちの歓迎を受けながら外海に浮かぶ小さな島々を眺めました。目の前に広がる浦戸諸島もまた私たちにとっては懐かしい場所のひとつでしたから、あれやこれやと思い出話をしているうちに、嫁さんの記憶も少しづつ鮮明になってきたように思われました。

何故か、皆同じ方向を向いています。

 そして、波止場の方へ向かうことにして踵を返すと、花渕漁港との間に浮かぶ権現堂島が見えました。

 私「あそこに見える権現堂島は覚えてる? 潮が引いた時に、みんなで生き物観察したでしょ。」
 嫁「覚えてる!それはさすがに覚えているよ。」
 
 どうやら彼女の記憶に残っていたようで安心しました(笑)。

肌寒さが残る5月に権現堂島の潮溜りで遊ぶ。(左右共に2009年5月)

 かの大震災によって、海岸線の地盤が沈下したので、現在の状況については分かりませんが、当時は、干潮になると島に渡ることができるくらい潮が引いたので、防波堤から降りて潮溜りで遊ぶことができたのです。

 特に、お魚さん達の活性が悪く、釣果が芳しくなかった時には、干潮のタイミングを見計らってこの潮溜りに入り、小魚や蟹たちと戯れたり、綺麗な貝殻や石ころを見つけたりして楽しんでいました。

権現堂島の尾根づたいに並ぶカモメたち。

 権現堂島に近づいてみると、島の尾根筋にカモメが並んでいました。
 真横から綺麗に並ぶ彼らの姿を眺めていたら、何やら音符の様に見えてきました。頭の中で「ソードーレ レ# レ ミ レ#  ソー ♬」と口ずさんでみたものの、始まりに選んだ音が悪かったのか、カモメ君たちの並びが悪かったのか、アヴァンギャルドな仕上がりになってしまい苦笑い。

花渕浜のヨットハーバー側からみた権現堂島。

 津波に流されることなく今も鎮座する権現堂島が、嫁さんの記憶に残ってくれたことに喜びを感じつつ、花渕漁港に設けられているヨットハーバーを眺めながら散策を続けました。

沢山のヨットが停留していて安心しました。

 花渕浜漁港のヨットハーバーは、震災前から設けられていましたが、上写真の様に整備されてはいませんでした。震災を経てなお、ヨットハーバーとして存続させようと頑張ってきた人々の意志と意地を、この綺麗な桟橋と照明から感じることができますね。

カモメたちよ、君たちは何を想う?

§ ちょっと一服

湿気の含んだ潮風を散々浴びて満足した私たちは、吉田浜漁港と花渕浜漁港の間にある「SHICHI NO COFFEE(シチノ焙煎所)」で一服することにしました。こちらの焙煎所は、 SHICHI NO RESORT が運営している宿泊施設に隣接して設けられています。隣には「SHICHINO CAFE & PIZZA」というレストランもあり、この日も程よく賑わっていましたね。

オシャンティーな焙煎所。

 これらのリゾート施設は、震災前にはありませんでした。前出の通り、従前から花渕浜側の港がヨットハーバーとして使われていたので、リゾートに適した施設があっても不思議はなかったのですが、両港の界隈には漁協関連の施設や住家が密実に建てられていたこともあり、観光に供する施設が入り込む隙間はなかったのでしょう。

 そういう意味では、古き良き小さな漁港の景色が様変わりしたと言ってよいでしょう。さわさりながら、従前を知る私でさえ違和感を覚えなかったのは、やはり七ヶ浜が兼ね備えているオープンマインドな雰囲気が大きく作用しているからなのだと思い至りました。

おいしゅうございました!(私はアフォガートを所望)

 七ヶ浜のオープンマインドな雰囲気・・・それは、海岸線に点在する七つの浜と小さな漁村で構成された小さな町でありながら、古くは伊達家の別荘が設けられたり、はたまた戦後には外国人達の避暑地に充てられたり、今ではサーファーたちが集うビーチになったり・・・そんなダイナミックな変化をなぞってみれば合点がいきます。

 こうした穏やかで嫋やかさを感じさせる変遷が、七ヶ浜の快闊で明るい雰囲気を醸成していったに違いありません。そんなメローな時の流れを感じさせる場所で飲む珈琲は、絶対旨いに決まっているのです(笑)。

快く撮影を許可してくれました。
スタッフの皆さんは親切で明朗。

 それにしても業務用の焙煎機って迫力がありますよね。しかも、焙煎機から漂ってくる芳ばしい香りを感じながら賞味する珈琲って、お値段以上の贅沢を味合わせてくれます。
 そんな珈琲を楽しめる場所が、ここ吉田浜・花渕浜にはあるのです。

§ 展望台の上で思いを新たに

 珈琲を賞味した後、近接するホテルの展望台(ホテルの屋上を開放)へ昇ってみました。折しも、青空が顔を出してきたこともあり、それまで以上に快闊さが増してきて、心明るく景色を楽しむことができました。

遠望される島々は浦戸諸島

 遠望される島々にも、しっかり名前が付けられています。
 それらは、浦戸諸島と呼ばれる小島群で、クド島、二ツ島、西ミトノ島、カラカイ島、舟入島、鍋島、水島といった無人島や、桂島や野々島、寒風沢島といった有人島で構成されています。(位置的には、名勝として知られる松島の南海域にあたる。)

展望台から吉田浜漁港を眺める。
漁港を囲うように防潮堤が新設(写真左側の壁)されています。

 このホテルの屋上は、一応「展望台」という肩書にはなっていますが、津波発生時の避難タワーの役割も担っているようですね。
 有事に際しては、比較的速やかに高台へ避難することが可能なエリアではあるものの、津波が到達する時間が短ければ、こうした施設によって助かる命は少なくないはずです。

リゾートホテルの壁面には「七ヶ浜愛」が。

 とかく、激甚さを伴う自然災害に際しては、その地域に対応した、或いは、そこで暮らす人々の希望に沿った「復興の形」があるのだと思います。
 いずれにしても、一介のオブザーバーとしては、厳しさと温かさの双方を備えた視線を以て受け容れていくことは勿論ですが、自身のライフスタイルや思想信条にアジャストするのであれば、なお一層、積極的に訪れ、そして活用していきたいと考える次第です。

 思い出残る 愛しき七ヶ浜
 久方振りに嫁さんと訪れて、懐かしい思い出に浸ることができました。これからも、折に触れて足を向けていこうと二人で話しているところです。
 この10余年で、観光に対応させるべく尽力してきたことが窺われる七ヶ浜です。この素晴らしい「七つの浜と港」が、多くの人々に末永く愛されることを願うばかりの伝吉夫婦でした。


§ 七ヶ浜のご案内

 今回は「有名観光地とは言えない場所」の話に始終してしまいましたので、取り急ぎ七ヶ浜町の簡単な紹介をさせて頂きたいと思います。

 上の行政区分図を見ると分かると思いますが、七ヶ浜町(イエローマーカー部)は、宮城県北部にあるリアス海岸からは離れてはいるものの、リアスの名残を感じさせるような表情を見せてくれています。
 しかし、リアス特有の剣呑とした印象はなく、むしろ松島の海と繋がっていることを感じさせるような穏やかさがあり、適当な間隔で点在する砂浜と相まって、非常に快闊な印象を与えてくれる海辺の町になっています。

本地図の赤丸「高山外国人避暑地」にご注目下さい。(後述を参照あれ)

 私は、塩釜や七ヶ浜界隈の海辺の景色を想像する時

みし人の 煙になりし 夕べより なぞむつまじき しほがまの浦

紫式部 / 新古今和歌集

 という歌を思い起こします。
 愛しき人の訃報に際して、「睦まじき」陸奥むつを掛け、実際には見たことも訪れたこともない「塩釜の浦」を想像して詠んだ紫式部の情緒に恐れ入るばかり。
 因みに、歌を嗜まれる方々であれば誰もが知っている歌枕「千賀の浦」は、この界隈から石巻にかけての広い海岸線のどこかを指すと言われています。この不明な感じ・・・実に芳ばしい(微笑)。

 とまぁ、余談はこの位にして、私達夫婦が訪れた吉田浜漁港花淵小浜漁港の界隈を拡大してみましょう。
 両港は、塩釜湾の「浦」から繋がる「岬」に位置しており、2つの漁港が併設されているような格好になっています。周辺の地勢は、ゆるやかな起伏が続く地形であり、緑が多く残る海岸線であることが分かって頂けるはずです。(故に、ドライブに適していると。)

 因みに、海の町と言えば「海産物」となるわけですが、この七ヶ浜界隈は海苔の産地でもあり、各港では一押しの土産物となっています。
 また、前出の通り、サーフィン海水浴、そして釣り(釣船も出船)も楽しめますし、一部の人々の聖地となっている鼻節神社を筆頭に、歴史ある社寺仏閣や名勝旧跡、そして貝塚横穴墓群などの遺跡も多いので、老若男女を問わず、誰もが様々な目的をもって楽しめることでしょう。

 仙台の市街地から程近い場所(仙台駅から車で30〜45分程度)にある七ヶ浜エリアですが、他県から観光目的で仙台を目指してきた方々にとっては馴染みが薄いに違いありません。
 しかし・・・もし貴方が、仙台市内のカタログ的な観光地巡りに食指が動かないのであれば、七ヶ浜エリアの開放的な海岸線をドライブされることをお勧めします(微笑)。
 更には、歴史好きにとっては堪らない塩釜や多賀城、松島といった観光エリアと合わせて七ヶ浜界隈を周遊すれば、更に充実度が増すことでしょう。(レンタカーとJRを併用することをお勧めします。)

§ 七ヶ浜界隈の観光情報はこちら!

当該サイト内の「豆知識」には芳ばしいプチ情報が沢山あります。中でも、当地が「日本三大外国人避暑地」になっていたことは、案外と知られていません。現在も幾つかの外国人別荘地が遺っています。
※「日本三大外国人避暑地」:山の軽井沢・湖の野尻湖・海の高山(七ヶ浜)とされているようです。

コスプレイベントも開催される七ヶ浜国際村もユニークな存在です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?