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【総括2022’】言霊 を噛みしめた一年

総括2022’

 つい先ほど、昨29日の午後から始めたアトリエの掃除を終え、床に塗布したワックスの香りが漂う中、今年二番目に大きい溜息をついておりました。

 こんな時『 ため息は 命を削る 鉋かな 』なんて川柳を思い出します。
 でも、まぁ、” 今日みたいな日 ” は良しとしましょう。 

 ただ今、12月30日 午後15時32分 。
 小腹が空いたので、普段なら食べないエンゼルパイを、さして美味しくはないインスタント珈琲で流し込みつつ、PCの前に鎮座しています。
 されど、ささやかな充実で心は満たされているのでした。 

 おっと、前置きが長くなるのは拙いですね。
 それでは、日々をただただシームレスに生きている僕が、半ば強制的に課している『 一年の総括 』を記録して参りたいと思います。
 興味のある方は、最後までお付き合い下さいませ。

1:長男と交わした言葉

 去る春のとある日、一時帰省していた長男を、彼が通う大学の寮まで車で送り、その別れ際に交わした言葉がありました。
 「今年一年分の ”俺の運” を、お前にくれてやる。」

 それは、奨学金とアルバイトで授業料と生活費をまかない、親の経済的負担を鑑みて二人部屋制の大学寮を選んでくれた彼に対して、親らしい事を何もしてやれなかった親父が唯一見つけた破れかぶれの言葉でした。

 彼は、今年の夏以降、伸るか反るかの教員採用試験に挑むのです。 
 この気まぐれな親父の口から出た ” 不躾に過ぎる 励ましの言葉 ” に、彼が笑顔と握手で応じてくれたことを、僕は忘れないでしょう。

2:言葉 は 言霊 へと

 僕が思いつきで言い放った言葉は、早々に  不都合 ” という形で僕の身に跳ね返ってきました。
 代表的な不都合事案を下に連ねてみましょう。
 ※笑ってやってくださいね。

  • 3月下旬:駐車場で高齢者が運転する車にぶつけられた。(物損)

  • 3月〜5月:サクラマスが一匹も釣れなかった。

  • 5月:車が移動中に故障(オイルを制御するプログラムに不具合)

  • 6月:現場で仮設の単管にぶつかってテールランプ破損。

  • 10月:信号停車中に追突される(ムチウチ)

 他人様からしたら ” 取るに足らない話 ” かもしれません。 
 正味、私もそう思います(微笑)。
 これらの他愛のない事例を省みれば、サクラマスが釣れなかったのは、川の状況と魚の機嫌と実力に起因する複雑怪奇な問題であろうし、車のトラブルが重なったのは、一日の中で車を使う機会が圧倒的に多い(地方暮らしゆえ)という確率的な問題に過ぎないと。

” 我が渾身の作 ” も不発に・・・

 さわさりながら、その時々の当事者となった僕の感じ方は違いました。
 それは、一番最初に遭遇した不本意な物損事故からサクラマス釣りの不完全燃焼との間で醸成されていった感覚でもありました。

 この ” 醸成されていった感覚 ” とは、降りかかってきた不都合・不運「これで長男の合格が近づいた。」と解することで、僕自身が相殺(納得とも)していった事を指します。

 そして、6月を過ぎる頃には「今年は俺の身に何が起こっても不思議はないな。」と腹を括って生活することにしたのでした。
 それは、自分の口から出た言葉が言霊に変わったことを認めた瞬間だったと言えるでしょう。 

3:最大の不運 は 吉報 で精算

 去る10月13日、現場(県南地域)からの帰り道のことでした。
 東北自動車道の仙台宮城ICを降り、一般道に入った先の交差点で信号待ちしていた時に、その事故は起こりました。
 よそ見運転の車追突されたのです。

 事故の瞬間、得も言われぬ怒りが急騰するや否や「これを冷静に対処して、長男の ” 運 ” に繋げなくては。」という想い(これもある意味で打算なのか?)が湧いてきたことで、気持ちを立て直すことができました。

 こうした切り替えが功を奏したのか、警察や救急の連絡は加害者(50代女性・免許取得後1年)に任せ、僕は嫁さんと関係各所(仕事関連・保険会社等)に連絡し、その後は相手の免許証や車検証の閲覧したりと、初めての交通事故だったにもかかわらず落ち着いて対処できました。

 怪我の方は、ハンドルを淡く握っていた左手首と右足(前方車両に衝突すまいとブレーキを思いっきり踏んだためか。※実際前方車両には迷惑をかけなかった。)の痛さが際立っていたため、首肩周りの違和感(ムチウチ症)には気付きませんでした。

 しかし、病院に到着して暫くすると、明らかな異変を感じるまでに状態が悪化し、以降2〜3ヵ月はまともに仕事ができまいと覚悟する羽目に。
 実際、翌11月に入っても、車の運転は不可能で、デスクワークも30分以上続けられない状態が続きました。

 過去にも、近似した状態を何度か経験(アイスクライミング中に20m墜落等々)してきていますが、今回に関しては ” 歳も歳 ” ですからねぇ … 。
 更に、社会的立場という与件も加わって、かなり難儀な状態に陥ったものだと、流石に落胆しましたよ … 。
 
 しかし、その甲斐あってか?!事故から1ヵ月程経った後に、長男から二次試験合格という吉報がもたらされたのです。
 コルセットを巻いた僕と嫁さんは、それぞれの感情を胸に抱きながら、それは深くて大きい安堵の溜息をついたのでした。

4:プラトー は忽然と現れる

 心は通常運転。なれど、体は言うことを聞かない。
 このストレスは、日を追うごとに増幅していきました。
 それは、激流に散在する『反転流』の渦に巻き込まれているかの如き、思うに任せぬ状態に陥った日々であったと言えるでしょう。

 治療を続けて、丁度1週間程経った頃でしょうか。
 「この感じ、プラトーだぞ?!」という考えに思い至りました。
 体はとても辛いのだけれど、頭だけは小賢しく働いている。だけど、何ら責任のあることをやっていないと。
 それは正に、” 剣呑とした稜線上に出現した小さな平地 ” だったのです。

 万事に対して意味付けすることほど愚かな行為はありません。
 されど、もしこれがプラトーだとするならば、状況に甘えて安穏とするのではなく、こんな状態でも出来ることを探さねばと思えたのです。 

5:note と 栗根付

 そこで、景気づけの一発目として、以前から気になって覗いていた note をやってみることに決めました。
 不思議なもので、note の準備をしている間に、気持ちの方もアクティブになってきてました(微笑)。
 そして、体がしんどくて休止を余儀なくされていた彫刻も「 栗根付くらいならば、何とかできやしまいか?」と考え、リハビリを兼ねて取り組むことができました。(朝昼晩15分間からのスタートでした。)

 ※上の記事は、note運営担当者様の温情?もあってか『彫刻記事まとめ』にリンクしていただいたり、SmartNews に紹介して頂いたりしていたようです。情け深い運営の皆様、御免なさい。心と体がしんどい時期で認識しておりませんでした。ここに御礼とお詫びを申し上げます。 

6:平穏無事であるということ

 僕の一日は、神棚に向かって低頭することから始まります。
 そこで祈ることは『 家族の平穏無事 』に尽きます。

 この 平穏無事 という言葉は、右肩上がりの成長や強烈な刺激・変化を求める人々にとっては、凡庸で貧相に聞こえたとしても不思議はありません。
 がしかし、私は ” 稀有な状態を指す言葉 ” として捉えています。
   
 今年、僕の身に起きた不運な事故(数々の不運)は、こうした祈り願いに沿ったものではありませんでしたが、それはあくまで刹那的なものであったことは自明の理でありましょう。
 それは年の瀬を迎えようとする今この時、心に去来する想いを落ち着いた心持ちで淡々と綴ることができているという事実を以て断言し得るのです。

 僕も家族も、多少の悲喜交々はあったけれど、日々の糧に困ることなく過ごすことができたのです。
 それ即ち 平穏無事 。それで充分なのです。

2022年の〆

 あっという間に、日が暮れてしましたね。
 明日は 12月31日 ですかぁ … 。
 これまでの年の瀬とは異なる感慨を胸に ” 年越しそば ” を手繰るような気がしています(笑)。

 それでは、最後までこの駄文と格闘して頂いた稀有で酔狂で賢明なる読者の皆様” 素敵な年越しの時間 ” が訪れんことを祈念して本稿を終わらせて頂きましょう。
 よい お年越 を! 

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