【記憶より記録】忘れじの山 忘れじの人
そうでなくても慌ただしい4月。
新生活を始める次男坊の助っ人役を無事に果たし、ほっと一息つけると思いきや、己の公私を広く見渡せば、そんな悠長に構えているわけにもいかず、未だに東奔西走を続けているところです。
そんな春の折、私は蔵王町へ向かいました。
蔵王町は、その名の通り蔵王連峰の宮城県側に広がる裾野に位置し、田畑や果樹園(林檎・桃・梨など)が盛んな平野部と、牧畜や蕎麦畑そして温泉地(遠刈田温泉・峩々温泉など)が点在する山間平地との絶妙なコントラストが、この町の魅力になっていると私は感じています。
加えて、自然を利用した観光資源に富み、スキーヤーやキャンパー、登山者や釣り人、そしてこけし愛好家(遠刈田系こけし)といった趣味人の間では、つとに知られているエリアでもあります。
そんな蔵王町に「何用あって?」だとは思いますが、その前に少しだけ「蔵王に関する誤解」にまつわる語を綴らせて頂きましょう。
蔵王連峰は、日本海と太平洋を分かつ脊梁の一角を成している山域です。
多くの人々が「蔵王」という言葉に初めて触れるのは、概ね小・中学校時代の地理の授業といったところではないでしょうか。(大人になってから旅行雑誌などで知った人も多いかもしれませんね。)
過程はともあれ、蔵王は奥羽山脈と一体的に記憶されてきたと思われますが、なかなかどうして「人の記憶」というものは当てにならないようです。
学生時代に蔵王の温泉街で住込みのアルバイトに精を出した経験を持つ私は、ことある毎に「明日、蔵王山に登るんですよ!」とか「蔵王山からお釜を見たいんだけど、何処に行けばバスに乗れるの?」なんて珍妙な会話を観光客の皆さんと交わしたものです。(世はバブル全盛)
悲しいかな、現実はそんなところなのですね(寂笑)。まぁ、それでも観光を楽しめるのだから構わないとは思うけれど・・・。
まず第一に、蔵王連峰に「蔵王山」という名前の山はありません。
蔵王連峰を構成する峰々は数多ありますが、いわゆる主峰と呼ばれる山は熊野岳と刈田岳の二峰になります。因みに、山形県側の主峰が熊野岳(1841m)で、宮城県側の主峰が刈田岳(1757m)と大枠で捉えておいて差し支えないと思われます。
更に、旅行雑誌等で見かけることが多い「山形蔵王」は、蔵王連峰の山形県側を指すと同時に、熊野岳界隈を含めた山域を包括した表現とも言えるわけです。それと同様に「みやぎ蔵王」と呼ばれる山域は、刈田岳及び南北に派生する尾根(北蔵王・南蔵王連峰)が当て嵌まると考えてよいでしょう。
因みに、世に知られたカルデラ湖「蔵王のお釜」(別名:五色沼)は宮城県側に位置していますが、実質的には両県の共有財産ですね(笑)。
ここからが、この話の核心部です。
多くの人々が蔵王と聞いて連想するのは、実は「山形蔵王」ではないかという点について触れなければなりません。
例えば、冬の蔵王の象徴「樹氷」を一つ取り上げてもそうです。大抵の人々は「観光情報として喧伝される樹氷=山形蔵王の樹氷」と認識されているはず(苦笑)。
さわさりながら、みやぎ蔵王でも樹氷は形成されるのです。勿論、エビの尻尾もシュカブラも、そして霧氷だって見れるのです(必死)。
でも、どう足掻いても山形蔵王に負けている感は否めないと・・・。
いやいや、嫉妬なんぞ致しません。むしろ、無理もない話だと思います。やはり、蔵王連峰を舞台にした観光誘致の歴史を鑑みれば、宮城県よりも山形県の方に一日の長があるのは明々白々。
もはや「あっぱれ 山形!」と称賛するしかないのです。
学生時代に足繁く通った蔵王連峰・・・。
思えば、純粋に登山を楽しんでいる時分には、「みやぎ蔵王」「山形蔵王」といった括りは必要としなかったはず・・・。
荒々しい印象を放つ2つの主峰から派生する南北の尾根は、東北の山を象徴するかのような穏やかさと豊かな表情を兼ね備え、季節を問わず静かな山旅を味わうことができる身近な山域でした。
山々はシームレスに繋がっていて、常にどっしりと構えてくれています。浮き沈みの激しい観光産業の有様を知ってか知らぬか、その姿は無為そのものであり、人間が決めた線引きが意味を成していないことを教えてくれているようです。
嗚呼・・・岳樺の枝についた霧氷が、風に揺られてカラカラと鳴っている・・・そんな光景を思い浮かべただけで冬の蔵王連峰が恋しくなります。
とにもかくにも、諸行無常のインバウンドで盛り上がっている観光業界ですから、みやぎ蔵王と山形蔵王の観光誘致合戦に注目しておきましょう。
(どうか、自然環境を過度に脅かさないように・・・。)
といったわけで、収拾がつきそうもない話を観光情報に刷り変える格好になってしまいましたが、山形蔵王に対するジェラシーの香りする「蔵王連峰ビギナーズガイド」は、この辺で締めさせて頂きましょう(微笑)。
まったくもって、冒頭から余談が過ぎました。
それでは、閑話休題よろしく「この日、蔵王へ向かったわけ」について淡く備忘させていただきましょう。
去る2019年4月5日。私の親友のご尊父にして、第二の親父とも言うべき恩師(以下、小父ちゃん)が天に召されました。
あの日のことは忘れません。何しろ、長男の入学式(大学)を終えた夜のことでしたから忘れようがないのです。翌未明に宿泊地を発ち、高速道路をひた走ったことも鮮明に覚えています。
加えて、長男が入学した大学が小父ちゃんの母校であり、なおかつ同じ学生寮で暮らすということもあり、そんなこんなの顛末を小父ちゃんにお会いして報告するのを楽しみにしていた折のことでした。
親友から訃報を伝えられた時の落胆を言葉にすることはできません。けれども、過去記事(下リンク)でも記したように、天寿を全うしたと言えるような晩年を後進に見せてくれたからこそ、喪失感に胸を痛める時間が短くて済んだような気がしています。
そして時は 2024年4月8日 。
命日からは少し遅れてしまったけれど、小父さんが眠る蔵王町の遠刈田温泉を訪れ、仏前に花を手向けながら、次男坊もまた小父さんの後輩になったことを伝えることができました。
この日、私がこよなく愛する不忘山や屏風岳は、厚い雲の中に隠れてしまっていたけれど、私の心は畦に咲く水仙の黄色とあいまって晴々としていました。