【遺す物語】親指小仏観音立像 / 親父の独り語り 完結編
§ 息子達へ
この二体の仏さまを彫り終えたのは、梅雨の季節には似つかわしい程の酷暑が続いていた6月下旬のことであった。完成して直ぐに、君たちのお袋さんに依頼して縮緬生地の緩衝材を作ってもらい、予てから準備していた桐箱に収めることができたのは、この親父の56歳の誕生日が間近に迫った頃合いになっていた。
それから梅雨の晴れ間を待つこと暫し。
折を見て、家から程近い場所にある田んぼの畦道で仏さまの記念撮影をすることが叶った。君たちは「何故に畦道で?」と疑問に思うだろう。それは実にさもない話である。蓮の葉の一等席なんぞ望むべくもない私にとって、畦に咲く白詰草の方が相応しいように思えたからだ。
それはともかく、ちょっとばかり想像してみて欲しい。
朝露に濡れた畦道で腹ばいになってファインダーを覗いている親父の滑稽な姿を。さすれば、苦笑いのひとつも込みあげてくるだろう。この仏さまに手を合わせる時には、そんな光景を思い浮かべてくれれば幸いだ。
さて、親指小仏観音立像 について「締めの一闋」を綴らせて頂こう。
「親指」の意は、この仏さまの身の丈と作者である親父の立場を表している。一方「小仏」は、天冠台の正面に彫り据えた小さな菩薩坐像を指す。
小仏を彫ったのは、「子」を「小」に掛けて「親子」を表現したかったからだ。根付を嗜んだ親父の「つまらぬ洒落」と思ってくれて結構である。
何はともあれ、親もかつては子であり、子もまた親になるということだ。
ここで言う「親」とは「大人」を指し、「子」は「未来ある者」を指すと捉えて欲しい。さればこそ、君たちに「大人の存在意義」について思量してみることをお勧めしたい。その上で「大人の本分」を全うしてくれたまえ。
今更確認する必要はないのだろうが、君たちと私達夫婦は、ただならぬ縁を以て「親子」という括り方をされてしまう間柄になってしまったわけだ。と言っても、たかだか四半世紀足らずの時間を、一つ屋根の下で共に暮らしたというだけなのだが・・・。
この事実を肯定的に捉えるか、はたまた否定的に捉えるかは、君たち次第なのだが、君たちの親となった私達夫婦は、喜怒哀楽に満ちた濃厚で抑揚ある時間を家族で過してこれたという点については些かの自負がある。
勿論、それは親子間に起こり得る一通りの出来事(君たちにとって看過できない場面もあったかもしれないが)を経たからこその感慨であり、その上で、私達夫婦が感じている「人生の喜びと充実」は、君たちの存在があったればこそ得ることができたと確言しておきたい。
こうした飾りのない想いは、仏さまを彫り続ける推進力となった。加えて、この彫刻という地道な行為の最中に「子育てを終えようとしている時節の訪れ」を感じることができたし、身に余る程の充足と細やかな幸せをも見い出すことができたように思う。
自分に相応しい「始末の作法」について考えたこと。
君たちにどんな仏さまを手渡したいのか思案を繰り返したこと。
材料選びや作法に苦慮したこと。
へんちくりんな道具を沢山こさえたこと。
七転八倒の末に一本の木から仏さまを彫りあげたこと。
仏さまに亜麻仁油を塗布したこと。
桐箱に筆を入れ、印を押したこと。
畦道に腹ばいになって写真を撮影したこと。
全てが私の思い出であり、それら全てが君たちに繋がっている。
葬式 仏壇 戒名 無用 の
木彫 山櫻一木造 親指小仏観音立像
は、これにて完成。
あとは、君たちの平穏と無事を祈る日々に勤しむばかりの親父である。
§ 道程
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