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【記憶より記録】あれから15年:二日間という僥倖
今から15年前の 2008年6月14日(土)午前8時43分 。岩手県内陸南部が震源となった「岩手県・宮城県内陸地震(M7.2)」が発生しました。
1:地震が発生した日のこと
地震が発生した時刻、設計を手掛けた新築物件の現場打合せで登米市(宮城県の明治村と呼ばれる地域)に向かってた僕は、その途上の高清水(震源エリアから直線で凡そ40~50km)という場所にある交差点で信号待ちをしていました。
大きな揺れは、北北西の方角から波のうねりの様に襲ってきたのです。
突然、2,3台先の車が大きく上下したと思ったら、普通なら見えないはずの前方車両の屋根面が視界に入ってきました。それと同時に、自分の車が浮き上がり、そして地面に音を立てて着地しました。
その刹那、僕の車の背後から、制御を失った大型車両が対向車線にはみ出した格好で急停車。さすがに「これはヤバい!」と思いましたね。
目の前の信号はブラックアウト。そうなれば、宮城県を南北に縦断する国道4号も同じ状況に陥っているはずだと考え、自宅に帰還するのではなく、信号の少ない県道と農道を使って、登米の現場へ向かうことに決めました。
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現場に到着すると、大工さん達が至って普通に仕事をしていました。
「凄い揺れだったっちゃねぇ。」と言うと、「こっちは、ラジオで言う程感じなかったっちゃ。」と、互いに顔を見合いながら頷くといった具合。
確かに、平屋建て且つ地盤を柱状改良しているからとて、あの激しい揺れを「そんなに大きく感じなかった。」と当事者達が口を揃えて言うのだから、建物を支える地盤や建物の構造計画の重要性が分かろうものです。
いずれにしても、午前中は各所が混沌・麻痺していたとの事でしたから、地震後に現場へ向かった判断は正しかったと言えるでしょう。
午後15時頃に、携帯電話の通信状態や主要幹線道路の信号も復旧したとの情報が入ったのことから、仙台の我が家に向けて車を走らせたのでした。
とまぁ、地震当日は、こんな感じで過ぎ去り …… 否!その日の晩を待たずに、僕のスケジュールは急転直下を辿るのです。
所属する団体から、栗原市役場へ集合するように指示が飛び、パートナーと共に玉造郡界隈の被災調査に向かうこととなるのでした。(これもまた建築士の役割ですので、合点承知の助で動きますよ。)
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2:岩手・宮城内陸地震の特長を表す言葉
それでは、この地震による被害の特長について触れておきましょう。
特長とは、この地震を契機にメディアが伝えた聞き慣れない言葉に表れていると考えています。
その一つが「山体崩壊」。更にもう一つが「土砂ダム」です。※より専門的には「河道閉塞」と呼ばれる。
この二つの地学的な用語は、少なくとも僕が物心ついてから起きた地震災害においては使われてこなかった言葉(火山活動による山体崩壊は別にして)だと思われます。
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上の画像を見て頂くと分かる通り、山全体が崩壊することにより、尾根筋を走る道路が完全に崩落しています。
こうなると、その先にある集落は完全に陸の孤島になります。救助活動に支障が出るのは火を見るよりも明らかです。
また、下の画像の様に、山体崩壊によって渓谷に滑り落ちた土砂や木が川をせき止め、土砂ダムが形成された場合は、時間の経過と共に水圧に耐えられなくなった土砂ダムが決壊した際の二次被害(下流地域の水害・鉄砲水)が懸念されます。
今更ながら、状況は劣悪だったと言えるでしょう。
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3:予定は未定 そしてそれは 僥倖へ繋がる
さてと、いよいよ本稿の核心に入ります。
実は、この地震が発生した日の2日前(6月12日)に、僕は友人のS氏と共に、震源域から程近い 一迫川の上流部に釣りへ行っていたのです。
より詳細に記すならば(この釣行が忘れ難い出来事になっている理由)、当初は地震が発生した6月14日(土)に釣行を予定していたのです。しかし、僕の現場打合せの予定が変わったことで、平日の6月12日(木)に前倒しさせて貰っていたのです。
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この経緯をどう見るか?ですよね。
「虫の知らせ」と言ってしまえば簡単ですが、それ以上に気になるのは2日間という時間の差です。
それを大きいと受け取るか、小さいと受け取るか … 。
僕自身は、僥倖に恵まれたのだと捉えています。
高々54年しか生きていませんが、その人生の長さに対する2日間を「19710日:2日 = 9855:1」と表せば、自ずと見えてくるのです。
分母に人生の長さを置いた時、それは正に Δとしか言いようがないくらい小さな数値となり、文学的な語彙に乏しい僕が言い表すとすれば「偶然が生み出した整合誤差」としか表現のしようがないのです。
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4:貧果に泣いた釣行
それでは、釣行時のことを振り返りながら、核心部の中にある肝心要の話を綴らせて頂きましょう。
興味のある方は、上下の地図を対比してご覧いただければ分かって頂けるかと思います。まずは、ランドマークとして「白糸の滝」を見つけて頂ければ、下の地図と合致させやすいでしょう。
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6月12日の早朝6時頃(渓流釣りとしては遅い時刻)に、上地図 ↑ の赤丸地点から僕ら二人は入渓しました。
そこから沢を遡行して、湯ノ倉温泉前 ↓ に到達します。下の写真 ↓ は、当時の温泉宿(左側にも建屋あり)になります。この湯ノ倉温泉は、愛好家の間で「ランプの宿」としてよく知られていました。
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この温泉の秀逸な点は、何と言っても露天風呂!
僕らは朝早く通過したので、露天風呂に浸かっている湯治客はいませんでしたが、時間が時間なら裸の老若男女を前に、釣りの格好をして通過する羽目になり、バツが悪いことこの上ないのです。(本来なら、裸の方が恥ずかしいはずなのですが、当地の場合は立場が逆転する。)
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ヤマメを愛する僕は、遡行範囲の中でヤマメが優勢となる下部を先行し、イワナが釣りたいS氏は上部を先行しました。
がしかし、魚が出ないのです。
平日とは言え、入渓した時刻が時刻(遅い)だったので、地元の釣り師が先行していたとしても不思議はないのですが、目立った足跡も無し … と。
とにもかくにも、水勢といい水量といい水色といい水温といい、限りなくベストに近いのに、いつもなら感じる生命感がないのです。僕ら二人は、何かしら解せぬ思いを胸にしながら釣り上がっていったのでした。
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結局、魚止めの滝までの間に、僕がヤマメ2尾。S氏が魚止めの滝壺でイワナを追加して計2尾ということで、仲良く貧果とあいなりました。
僕ら二人は、この滝で納竿して湯ノ倉温泉まで沢通しで戻ることにしました。そして、温泉建屋の傍で休憩した折に、温泉宿の関係者が「このところ温泉の温度が上がってるんだよ。」と湯治客に話す声を耳に挟んだのです。
当然の事ながら、その時は何も感じませんでしたよね。「あぁ、そういうこともあるんだろうよ。」と言った程度の話でしかありませんでした。
しかし、今にして思えば、合点がいくのです。
・温泉の温度上昇
・条件が揃っていたにもかかわらず活性が低かった魚
「これら二つの要素が、二日後の地震と関係があるのではないか!?」という推測に結びつくのです。
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5:僥倖を反芻する
前出の通り、僕ら二人は「二日間という僥倖」を賜り、今も平穏無事に生きています。
何の因果か、地震が発生したその日に、同じ水系の上流域に入って釣りをしていたアングラー1名が、ヘリコプターに救助されています。
こうした後日談に触れる度に、僕らが得た僥倖を「運が良かった」で済ますわけにはいかないという気持ちになりましたよね … 。
そこで、S氏と二人で「あの地震の時に入渓していたら、俺たちはどうしたんだろうね。」と話し合いました。
二人に共通した意見は、土砂ダムができるというメカニズムは、いわゆる鉄砲水が発生するメカニズムと近似しているので、地震直後に水量が減る現象があったとすれば、上流に異変が起きている事は分かるだろうと。
そして、地震が起きた時刻に我々がいた場所は、即座に林道に戻れる場所ではないから、高い尾根筋に上がれる場所を探しながら、湯ノ倉温泉方面へ向けて下っていたはずだと。
結論として、土砂ダムが決壊して急激に増水したとしても水に浸からない尾根筋に身を置き、ヘリによる救助を待つ格好になっていた確立が高いという結論に達した … そう、達したのではあります … が … 。
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果たして、そんな風に冷静に行動できたでしょうか?
最終的に、前出の様な決断に至ったとしても、家族や仕事のことが心配になったり、林道に駐車した車のことが気になったりして、逡巡を繰り返したはずです。そして、自分に都合の良いバイアス(確証バイアス)をかけて誤った判断をしていたかもしれません。
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仮に林道へ復帰して幹線道路に出れたとしても、その日の内に帰還することができないことが分かりました。
それは、下の画像 ↓ で分かって頂けるでしょう。
一迫川の浅布渓谷付近を走る国道346号が、大規模な土砂崩れで通行止めになっていたのですから … 。
即ち、安全を確実に確保できる状態を維持して待機することが一番正解だったということになるでしょう。(それとて、行動食や防寒の対策を講じておくという大前提があっての話。)
※当時、国交省のHPに掲載された写真を確保していたので改めて掲載させて頂きます。因みに、冒頭のウキペディアのリンク画像も同じ写真ですね。
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6:教訓のまとめ
申し訳ないことに、毎度の如く長くなってしまいましたね。
ともあれ、屋外を舞台にしたアクティビティーに興じる際には、相応の準備(食料・衣類のみならず技術・体力的な部分も含め)を前提に、万が一の事態に陥った時の覚悟を持たねばならないということを、僕達は認識しなければなりません。(先頃もありましたよね。北ア界隈の群発地震が … 。)
それが例え、単なる観光地を周るだけのツアーであっても、安全の全てを第三者に委ねるのは愚の骨頂に過ぎるというものです。
何故なら、自然災害自体を他責にすることはできないのだから。
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自分に降りかかった災厄を、苦痛を、どうやって緩和させるのか?
自然災害を未然に防ぐことができない以上、個人レベルで出来ることはその点に絞られるはずです。
「覚悟」は、それを包括する言葉として存在していると捉えています。
それでは、最後に可愛らしい「 一迫川の住人 カジカガエル君 」に出番を願って筆を置かせて頂きます。
どうか皆さん、日々の備えを忘れずに … 。
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追記:被災地域の現在
当該地域は、ジオパークとして学びの場に変貌しました。
是非、街中の有体な観光に飽いた時には、散策と学びの旅先として検討してみては如何でしょうか?
地球の圧倒的な力を感じることができるでしょう。