LGBTQAI+の難民たちの抱える困難
今日は今までとはちょっと違うテーマで、読み切り的な備忘録です。うまく書けるかわからないのですが、とりあえず書いてみます。
先週の水曜日、ケルンにある映画館ODEONでFutur Dreiという映画を観てきました。この日はただ映画を観るだけではなく、その後緑の党の議員さんが司会かつこのテーマに関連する方をスピーカーに呼んでディスカッションや意見交換をするというような会が開かれるということで、spontanで観に行くことに。
この映画はベルリン映画祭でも数々の賞をとる快挙を遂げた映画だそうで、私は実は映画については全く知らず、もっと言ってしまうとそんなに興味もないため、全然前情報がない状態で行ってみました(映像系が何故か昔から苦手なんですね…克服したいと思ってもダメなんです)。でも観てみると、この映画に出てくる人々について、葛藤、アイデンティティの問題、セクシャリティ、迫害、いつ強制送還されるかわからない不安、故郷を懐かしむ気持ち、移民1世と移民2世からなる家族間の関係の難しさといった多くのテーマを見出すことができるとても深い映画だなと思い、1週間が経った今も忘れられないくらい印象が強い、そんな映画でした。
詳細を書くとネタバレになってしまうので、できるだけ確信には触れず、また、映画が終わってから聞いた話にフォーカスするようにしたいと思いますが、登場人物についてだけ触れておきたいと思います。主人公のParvisはいわゆる移民2世で、イランからドイツへ移住してきた両親を持ち、ドイツで生まれ育ったという経緯を持つ青年です。またゲイであり、難民としてドイツへやってきた人たちが生活するHeimで通訳として働いています。そこで、イランから難民としてやってきたAmonとBanafsheという姉弟と知り合います(どちらが年上かちょっとわからなかったんですが、多分Banafsheの方が年上?)。Parvisが同性愛者であることはすでにHeimにいる中東系のグループには気づかれており、そのグループにいたAmonは連中から「あいつとは話すな。同性愛がうつるぞ。」というようなことを言われ、距離を取ろうとしますが、実は彼も同性愛者であることが最初のBanafsheとの会話で暗示されています。3人はそれぞれの立場の違いから生まれる葛藤や羨望などを対話と一緒に過ごす中で乗り越えていくのですが…というようなお話です。また、家族の物語をみると、Parvisの両親が、移民1世でイランから何もない状態でドイツへやってきて、ドイツでの生活を全て自分たちで作っていったのに、自分の息子はその自分たちが異国の地で作り上げていったものを当たり前のものだと思っているというところに不満を感じている様子や、やはり自分たちの居場所はイランにあると感じていること、それに対しParvisは自分はドイツで生まれ育っていて両親がなぜイランに戻りたいと思うのか、その故郷を恋しく思う気持ちが分からないというやりとりもあり、家族の間でのアイデンティティの違い、そこから生まれる溝なども丁寧に描かれているなと感じました。Banafsheについて言えば、映画中ではParvisやAmonほど注目されにくいキャラクターではありますが、女性である、難民である、という点で、いくらドイツ語ができて、いくら仕事中に上司を手伝うことができても、いつもその立場を利用されやすく弱い立場であり、でもその理不尽さに負けず弟を守れるように必死でいる様がとても印象的な存在です。
映画自体には、かなり過激なシーンもあるので大人向けかなとは思いますが、とても繊細で全体として静かで激しいドラマがあるわけではない、でも大きな出来事が所々に散りばめられている、そんな映画です。そして多くの場面がペルシャ語(Farsi)が使用されており、ペルシャ語の美しい響きを楽しむことができます。
さて、この映画を鑑賞した後に開かれたディスカッションの場には、この映画中のAmonやBanafsheのようにセクシャルマイノリティとして、イランから難民としてドイツへやってきた方が登壇されていました。彼はドイツへやってくる以前からアクティビストとして活動をしてきていたという経緯を持っており、その時点でものすごい勇気を持つ人なんだということを感じました。
難民という言葉を聞いたときに、ドイツに住んでいる私が一番に想像するのは紛争難民だったのですが、1951年の「難民の地位に関する条約」では「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れた」人々のことを指すと定義されているそうです(出典:UN HCR Japan)。イスラム教圏では、同性愛に対し厳しい措置がなされているという国もあります。ただ、私はこの点については全く詳しくないですし、イスラム教にも様々な宗派や様々な立場が存在すると思うので、全く何も言えませんが、そういった国で同性愛者として生きるというのは難しく、上記の定義のうちの「迫害を受ける」または「迫害を受けるおそれがある」という人々に含まれるわけです。
彼の話の中で初めて知ったことは、ドイツの難民用のHeimには、同性愛者の人たちのためのHeimもあるということです。ただ、彼のいたHeimでは同性愛者の男性だけではなく、独り身の女性も一緒に生活をしていたそうです。そしてこのHeimは、その他の難民が住むHeimからは少し離れているんだそうです。これは恐らくその他の難民のうち、宗教的な背景から同性愛者を認めない人たちとの対立を防ぐための方法なのだと考えられるそうです。
さらに、彼の語る話の中で難しいなと感じた点は、その同性愛者が生活をするHeimの中でも常にジャッジされる、ということです。セクシャリティを理由に国を離れ難民としてやってきた人たちの中には、自分のセクシャリティを自覚してからずっと自国で迫害を受けてきた、または迫害を受けるかもしれないと怯えながら生活していた人々がいるわけです。こういった人々の中に存在する疑心や恐怖心、不安は消えるまでに時間がかかるし、もしかしたら一生消えないことだってあります。だからこそ、同じような立場である人たちの中にいても、あるいは同じような立場の人が新たにやってきたとしても、その人が本当に自分たちと同じセクシャリティを持つのか、本当に自分たちの仲間なのか、というジャッジの目を持ってしまうんだそうです。あるいは、疑心に由来するのだろうとは思いますが、例えば相手が「ゲイらしさ」を持っているかどうかを判断対象とし、「お前は自分たちの仲間じゃない、だってゲイらしさがない」という風に言われるというようなこともあるそうです。差別を受けた者がまたさらに別のものを差別する、という悲しい現実がそこにはあるそうです。
さらにジャッジの目は難民申請をするときにもあるそうです。難民申請をする場合、なぜ難民申請をするのかという理由が当然必要になるわけです。セクシャリティを理由に迫害を受けてきた、あるいは迫害を受ける可能性がある人々はそれを理由にもちろん申請をすることになるのですが、その際にも「この申請者は本当にセクシャルマイノリティなのか」ということを何らかの形で示さなければならないのだそうです。でも、そんなものを証明できる書類なんて普通ありません。同性愛はドイツの社会の中でも差別はまだまだ存在するものの、特に病気とは見なされていないですし、診断書なんてものはないわけです。じゃあどうするのか。この彼も分からなかったそうです。ただ、申請の時に「どれだけゲイらしく振る舞えるか」ということを自分自身が意識しなければならないという風に感じていたそうです。
ただでさえ迫害を理由に故郷を離れてきて、言葉も分からない人が多く、同じように難民としてやってきた人たちからは時にひどい言葉をあびせられ、一方でHeimではジャッジされ、bürokratischな手続きもこなさなきゃいけないし、そこではまた自分がセクシャルマイノリティであることを何らかの形で示さなきゃいけない。こういった難民の方々が乗り越えなければならない試練がそんなに多いなんて…と、自分の無知を恥じました。そして自分がいかに恵まれた立場なのかということを思い、外国人局でちょっと意地悪なこと言われたからってブチブチ何を言っていたんだろうとどんどんどんどん小さくなっていったのですが、それと同時にこういうことがあるんだということを学べて大変有意義な時間でした。
じゃあどういうAlternativeがありうるのか?何を導入したら差別やジャッジのない難民申請が可能になるのか、という話に進んでほしかったのですが、時間の関係上このテーマに関する議論にまでは至らず、またこういう会やってほしいです!とだけ司会の緑の党の議員さんにお伝えし帰宅したのですが、私自身、問題はわかったけどどんなAlternativeや解決策があるのか未だにわかりません。少し別の話だけど、ここ数ヶ月、トランスセクシャル法(Transsexuellengesetz, TSG)の名前の変更・性別の変更にあたってのGutachtenについてや、Gutachten作成にあたって聞かれる質問の数々が差別的であるということが言われており、法の改正や撤廃を巡る議論が連邦議会でもなされ、連邦議会の決定を巡りコミュニティが声をあげているというような状況です。ここでも名前の変更や性別の変更にあたっての複雑すぎる手続きや、自分が性別を変更するために「いかに自分が男あるいは女らしいか」を証明しなければならないという、まさに上記のセクシャルマイノリティの難民が抱えるのと同じ問題が見受けられるのですが、じゃあどういう改善策があるの?というのは、当事者との話し合いが不可欠であると感じます。この二つのテーマ、実はすごく似ている点が多いなと思っているのですが、これについてはいつか別の機会に譲りたいと思います。それにしても、私自身が初めてこのテーマに触れたこともあり、実際どういう手続きが必要で、何が無駄なのか、何が必要なのかということがわからないので、何も言えないし何も思いつかないのですが、もう少し色々と調べてみて色々と知りたいなと感じました。
ただ、自分自身がLGBTQAI+コミュニティに属することもあり、セクシャルマイノリティの難民の方々が抱える問題しかり、TSGしかり、解決できるところは解決に向けて進んでいってほしいなとだけは思っています。
まとまりのない話でしたが、今日はここまで。皆さんの知っていることがあったら、是非教えていただきたいです。
*今回の表紙には_kei_さんの作品を採用させていただきました!テーマとなる多様性や色々な思いと重なるような絵だなと勝手に思いまして素敵だなと感じた次第です。ありがとうございます!
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