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ドイツ語と日本語の間で~具体的で具体的でない大げさな数字たち~

皆様お久しぶりです。まだnoteを読んでくださる人がいるのだろうか、というのは分からないのですが、それでも「記事を読みました」というようなご連絡を最近いただいたこともあって久々にこのサイトを開くと、いくつか書きかけになっていたものがあることに気づきました。なので、久々にそういった私のふと思い浮かんだものたちをインターネットの世界へ送り出してみようと思います。

具体的な数字なはずなのに具体的じゃない数字

幼い頃、母に怒られた時によく言われたことばの中に「何百万回言わせんのよ!」という文句がありました。数が100まで分かるか分からないかくらいの年齢だった私にも、この「なんびゃくまん」という数字が100よりも大きいことは何となくわかっていましたし、それが途方もない数字であるという予感もありましたが、実際に存在する数字なのか、そして実際に母がそんな途方もない回数同じことを繰り返し言っていたのかはよく分かっていなかったと思います。そのうちにこの「なん」の部分に具体的な数字を入れれば、実際の数字になるということを小学校に入るちょっと前くらいに理解した私は、母に「何百万回言わせんのよ!」と言われると、怒られている恐怖心から「きゅ、九百万回…」と1〜9のうち一番大きな数字を入れて具体的な数字を返すようになり、まさかそんな具体的な数字を言われると思わなかった母が笑ってしまいながらも「そんなに言わないと分からないのかい!」とさらに怒られる、ということがあったのは今でも忘れられません。あの時、母に怒られるというのは非常に大きな恐怖だったのですが、怒っている時に母が笑ったという出来事は、何だかその危機的状況を回避できたという成功体験に近いようなものだったから、今でも忘れられないのかもしれません。そして、その時に自分が言った「九百万」という数字は、具体的な数字なはずなのに、全く想像がつかなくて何か気味の悪いものだったのも覚えています。

それからしばらくしてティーンエイジャーになると、「久しぶりに」何かをすることを「三億年ぶりに」と、これまた大きな数字で言うようになりました。これは私の周りがそうだっただけかもしれませんが、皆さんの周りはどうだったでしょうか?そして、私の記憶が間違っていなければ、同じくらいの時期に『創世のアクエリオン』という歌が流行っていて、アニメは観ていなかった私も結構好きなアニソンなのですが、その中に「一万年と二千年前から愛してる」、「八千年すぎた頃からもっと恋しくなった」、「一億と二千年あとも愛してる」という歌詞があります。この歌詞の数字は、三億と比べるとキリ番性(?)はないような気がして具体的に思えたのですが、それでも想像もつかない年数であることは間違いなく、曲を聴くたびに幼少期の私が持っていたのと似たような具体的なのに具体的ではない数字の不気味さを感じていました。

ドイツ語にもそういう表現はある

そしてドイツ語を学習し、ドイツ語を日常的に使う環境下に身を置くようになると、ドイツ語にも似たような表現があることを知ります。話しことばの中で、私の夫はよく"hunderttausendmal"という表現を使うのですが、初めて聞いた時、きっとこれがドイツ人にとっての「具体的だけど具体的ではない大げさな数字」なんだろうと思い「なんで10万なの?」という野暮なことは聞かずに話を聞いていました。でも心の中では「10万か、それなら何だかまだ具体性あるな。大げさではないな」と思っていました。大げさな表現なはずなのに、初めて不気味さを感じなかったのでした。

一方で、口語ではそんなに大したことないような数字を大げさな表現をするのに、チャットなどの書きことばではキリ番ですらない、何なら端数がありすぎる超ランダムな数字を使うドイツ人に出会います。そのドイツ人には夫も含まれるのですが、夫とは関係のない同僚や友人たちもよく分からない数字を書いてくるのです。どうやらキーボードの数字をランダムに打つことで、この具体的すぎるけど具体的じゃない大げさな数字表現が生まれてくるようなのです。その発想はなかった…とびっくりしましたし、このランダムに生まれてきた具体的な数字を見ると、内容はどうあれ、日本語の時に感じる不気味さにより拍車がかかり、何となく身の毛がよだつ、そんな感覚になるのでした。

余談:文語表現のabertausend

日本語の「何百万」の「何」のように具体的な最大の位に数字を用いずに大規模さを示す文語表現に"abertausend"という語があります。この表現の"aber"というのはドイツ語基礎単語で逆接のaberに由来するのですが、語源をDWDSで調べてみると、もともとはかつての様々なゲルマン諸語で"weiter entfernt, später"の意味だったのが繰り返しを意味する"wieder, noch einmal"に変化し、そこから古高ドイツ語後期になりようやく現在の逆接の意味も持つようになったんだそうです。繰り返しを意味するaberの使用は、16世紀以降に徐々にwiederにより置き換わっていき、今では決まった表現の中でのみその余韻が見られ、この余韻の一つがabertausendなんだそうです(参照:https://www.dwds.de/wb/Aberwitz)。abermalsも文語表現ではありますが、「もう一度」を意味する副詞として今でも存在しています。

最後に

具体的に存在する数字なはずなのに、具体的でないが故に大げさに聞こえる表現について取り上げましたが、他の言語ではどうなのでしょうか。ヨーロッパの言語の中でも大げさな表現としての大きな数字の使用はあるのでしょうか。また、その他の世界の言語でもこのような表現は見られるのでしょうか。私はまだ調べていないので分からないのですが、もし知っている方がいれば教えていただきたいです。私も他の言語で同じように不気味さを感じることがあれば、追記として載せていきたいと思います。

それではまた。

*画像はhiragiさんのものをお借りしました。ありがとうございました!

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