ジョン・レノンの弟子
「いい人」の皮を被った「イヤミ」
ある人たちによると、自分はイヤミな人間であるようだ。「ある人たち」とか「ようだ」と自信なさげな言い方になるのは、自分ではそういう自覚がほとんどないからである。そしてまた、それを自分に知らせてくれた人も、今のところは二人しかいない。しかも、二人とも外国人で、日本語で「イヤミな奴だな」と言われたことは、思い出すかぎり一度もない。そうではなくて、英語の sarcastic に当たる外国語でこう形容された。
サーカスティックとは「口が悪い」ということであるが、ちょっと日本語にしにくい含意がある。ただ悪口を言うんでない。「おまえはアホか」、「死ね」などと、他人を罵倒したりしない。そうではなくて、悪口に聞えないようにしながら、それでもそうわかるように悪口を言う。とくに皮肉を使って相手の言うことや思いを否定してみせる。皮肉とは、わざと真意と逆のことを言ってみせることである。だから「イヤミ」とか「冷笑的」というようにも訳される。字面通りに受け取っていてはわかりにくい、いやでも頭を働かされてしまう「口の悪さ」である。
ちくちくと嫁などをいびる意地悪ばあさんみたいのを想像してもらえばいいんだが、必ずしも陰湿にならないサーカズムがあって、むしろ乾いたユーモア・センスとかおおらかな笑いと結びついてる。自分のばあいがどちらかはよくわからんのだが、最初に自分にこれを告げてくれた人は、元かみさんである。かみさんは sarcasm とは無縁の素直な女であったから、これを批判として言ったんだが、自分は「そうかなあ」と半信半疑ながら、別に悪口としては受け取らなかった。「それが知性の証しなんじゃね」くらいに思ってた。
というのも、日本語で「イヤミな奴」というと嫌われるのが相場になってるが、自分が知っている海外ではサーカズムを歓迎する者も多い。国によって大きく開きがあって、むろん嫌う人もいるけど、一般に日本より寛容で、ある種の尊敬さえ受けたりする。自分がそうであることを指摘してくれたもう一人は、自分の大学院時代のイタリア人の友人であり、親友と呼べる数少ない人間の一人だった。
イタリア人の男(女がどうなのかはよく知らない)はサーカスティックな者が多く、しかもこれを誇りとしてるようなところがある。マッチョ文化の一部ではないかと思う。自分の気質はどちらかというと北方プロテスタント系に近くて、イタリア人との共通点はあまりないんだが、このサーカスティックな点が気に入られて仲良くなった。というのも、そういう人間が周囲には他にいなかった。だから、互いに重宝だった。ケンカしてないように見せかけてケンカしてるのか、はたまたケンカしてるように見せて実はしてないのか、よくわからんのだが、コーヒーを飲みながら、そうやってよく共に楽しい時を過ごした。
無自覚のイヤミ
自分がイヤミな人間であるという証拠はこれしかないんだが、人間は自分のことがよくわかってないものである。自分をいちばんよく知ってるであろう二人の証言であるから、そう無碍に却下できない。そして、たしかに自分にはサーカスティックな人の語りを好む趣味がある。先日もドストエフスキーが書いたかなり意地の悪い評論を読んで、心の底から楽しんだ。ドストエフスキーはのび太君だが、ことばで噛みつくことを知ってるのび太君だ。これは自分にとってはほぼ最上級の誉め言葉である。芥川龍之介もまた、そのサーカズムで自分の注意を惹いた。自分がサーカスティックなものを憎むとすれば、それがサーカスティックであるからではない。それが不味いサーカズムであるからだ。
だが、自分でそれを積極的に実践したことはあまりない。「今これを言ってやりたい」という誘惑に駆られることはあるんだが、時と場合と相手を選んで、たいがいは言わずに我慢してしまうことの方がずっと多い。上記の二人には遠慮なく地を見せることができたから、それがわかったんであって、たいがいの人たちには「いい人」で通ってたように思う。
ところが、逆に今みたいに、不特定多数を相手にネットで話をすることが多くなってくると、このサーカスティックな一面がかえって抑制されない。そうなろうとしてなるのではないれども、商売上の配慮を除けば(そして自分にとってこの配慮は弱い)、特定の個人の感情を気にする必要が感じられないから、自然と言いたいことを言うようになる。それで、意図せずともサーカスティックな地が出てしまう。
重ねて言うが、少数の例外を除いて、自分には自覚的にそうなろうというつもりはあまりない。むしろ、できうるかぎりそうならないように気をつけてると言ってもいい。ただ、自分が書いたものをなるべく客観的に見直してみると、そう言えなくもないかなと思うくらいである。
だが、人となりというのは、どんなに隠そうとしてもにじみ出てくるものかもしれない。そして、人の話し方というのは、その人の個性と分かちがたく結びついていて、変えようと思ったってそう簡単に変えることができない。だから、たとえば、挨拶がきちんとできないとか、「ありがとう」とか「ごめんなさい」と当たり前に言えないからって、こいつはダメな人間だなと切り捨てるようなことは、自分には到底できない。第一、みんながみんな気の利いた店員やテレビの司会者みたいに話すようになったら、気持ち悪いじゃないか。話し方の手本みたいのを模倣するように強制すれば、人間の多様性もまた失われていくことを、自分は信じて疑わない。
だけども、自分がサーカスティックな人間であるとすると、人から嫌われるんではないか、いやもう嫌われてるんではないか、という不安が現実的なものになってくる。他人が嫌がることをあえてする奴が嫌われるのは、自然な道筋である。これがもう習慣になってる以上、自分は「嫌われる人間」であるということになる。ひとに好かれようと思ってないうちはどうでもよかったんだが、嫌われると困る人ができてくると、「いや、これは言わんほうがよかったかな」などと気に病む機会もまた増える。それで、今までの無反省な態度を改めることを強いられるわけだ。
なぜイヤミになったか?
そこで、いったい自分はいつからそんな人間になってしまったのかを考えさせられた。自分の想い出と他人の回想によると、子ども時代の自分は、どちらかといえばナイーヴなまでに素直な少年であったはずである。それが、いつのまにかそんな風になってしまったんだから、なにか理由があるはずである。自分のなかに意地悪の遺伝子が潜んでいて、それが知らないうちに活性化されたわけでもあるまいと思う。
そこで思い当たるのは、中学に上がるときに、親の仕事の都合で地方都市に引っ越したことである。自分がそれまで住んでいた場所は、東京通勤圏の典型的な新興住宅地だった。都心で働く若い子連れの夫婦が庭付きの家をもつために移住するような場所であったから、同年代の中産階級ばかりのかなり同質的な社会だった。言ってみれば、親も子もみんなお行儀がいい。これが引っ越した先では、会社員や大学教授もいれば商人や職人もいるという、より多様性の高い場所だった。
だから中学校にも、いろいろな子どもがいた。ちょうど校内暴力の問題が収まって、その代わりにいじめがはびこり始めるような過渡期だったんだが、まだ上級生には「ヤンキー」みたいのが何人か残っていて(その多くは職人の子だった)、便所とか階段の踊り場とかでシンナーなどを吸ってる。自分は「何なの、この人たち」と平気でその前を通り過ぎるくらい、世間知らずのナイーヴな少年だったから、あるときそういう連中が教室になだれ込んできていきなり担任の横面を張ったのを見て仰天した。そんなことをする奴がマンガの世界の外にもいるなんて、想像もしてなかった(ちなみに、自分は金八先生も見たことがなかった)。
そこまでいかなくても、やっぱり職人の子は荒っぽい連中が多い。そういう奴が、クラスの弱い者を選んでは、順繰りにいじめの対象にしていく。自分なんかもいつその標的にされるかと、気が気じゃなかった。ただでさえ小学校の友だちと離れ離れにされて、慣れない環境で動揺してる。すっかり学校が嫌いになってしまって、毎日が憂鬱だった。不登校にならなかったのは、学校に行かずに済むなんてことが想像すらできなかっただけで、登校するのが嫌で嫌でしょうがなかった。
そんなだから、学校との接触は最小限にして、あとは自分の世界に閉じこもった。その学校では部活動に参加しない唯一人の帰宅部員になった。家でも親父が嫌いだったから、自分の部屋に引きこもってギターなんか弾いてた。そこしか逃げ場がなかった。大した悩みがなかったような小学校時代からは一転して、世界はまるで暗闇のようになった。
そんなときに、小学校時代の旧友たちの影響もあって、ロックを聴くようになった。なかでも、自分はジョン・レノンに傾倒した。彼の書いた歌詞や語録を貪るように読んで、ノートに筆写したりした。授業中も、ずっとそのことばかり考えてた。「イマジン」の聖人ジョンじゃない。サーカスティックで悪魔的なジョンの方である。であるから、自分のサーカズムの師は、どうやら彼である。今までなんの疑問を抱いていなかった自分に、世のなかを斜に構えて眺めて、辛辣に批評することばを教えてくれたのである。
ついでに英語力もついたけど、自分の言語能力の成長におけるロックの詩人たちの貢献はそれ以上のものだ。言語は世界とのつき合いかたを反映する。そのかぎりで、世間知らずの少年に世界とのつき合い方を教えてくれた最初の教師は、他でもない彼らであった。それで少年時代の無垢さは失われたが、その代わり世界の重みを笑い飛ばして、なんとかやり過ごす力を与えてもらった。
そうやって自分は、暗黒の中学時代をジョン・レノンとともに乗り切ったんだが、卒業するまでにはもうかなりひねくれた性格になってた。たとえば、こんなことがあった。校内で作文コンクールみたいのがあって、お題が何であったか忘れたが、生徒全員が何か書かされた。しかたないから、自分はレノン風に学校を皮肉った文章を書いたんだが、どういうわけかこれが誰かの気に入られて、一等賞を獲得してしまった。驚いたことに、それで不良連中にまで一目置かれるようになった。そして、全校の教師生徒の前でそれを朗読させられる羽目になった。
せっかく連中のことをくそみそに皮肉ってやったのに、それを褒められてしまったんだから、こっちも複雑な気分である。しかも、それをみんなの前で読まされるんだから、一種の懲罰にしか感じられない。そこで、「お前ら、自分がけなされてるのもわからんくらい頭が悪いんだから、もっと考えろよ」という文章に全面的に書き直して発表したんだが、「なんだか内容がちがったわね、元の方がよかったわ」と担任に言われて、自分はますます世のなかがわからなくなった。
また、こんなこともあった。文化祭で「先駆」をテーマにするポスター展があって、各クラスごとに何か提出しないとならない。自分は天才的に手先が不器用で、字や絵を描くのが何よりも苦手であるのに、意地悪な連中にポスター制作委員に任命されてしまった。
最初は放っておいたんだが、さすがに文化祭が近づいてくると気になってくる。他のクラスはどんなものを作ってるんだろうと見に行ってみたら、当時はやっていたマクロスとかいうアニメ番組の結婚シーンを描いて、「結婚こそが先駆!」とかやってる。「なんだよ、その甘ちゃんは」と、なにか意地悪したくなった。それで、自分の教室に戻って、白紙に黒マジックでレノンの長髪とメガネと鼻の線だけ描いて、「レノンこそ先駆さ!」というタイトルをつけて提出した。制作時間は五分である。ところが、優勝はその結婚ポスターにもっていかれたが、われわれのものもユニーク賞みたいのを獲得しちゃったから、喜んでいいのか悲しんでいいのかよくわからなかった。
イヤミの皮を被った繊細さん
そういうわけで、中学から高校に上がるころには、自分はだいぶんサーカスティックな人間になっていたと思われる。そのせいもあってか、高校ではもうクラスには友人が一人もできなかった。実は、一応は努力した。バンドを組もうと思ってメンバーを募集したんだが、いきなり生徒指導の先生に呼びつけられて不良の仲間にされてしまったから、それでもういやになってしまった。
幸い部活でよい仲間に恵まれたので、それほど寂しい思いはしなかったんだけども、文化祭とか運動会などの学校行事には一切参加しないで、一人で部室で昼寝してるような人間になってた。みんなの話題についていこうなんて気はさらさらなくて、ボクシングや自分の読みたい本、聴きたい音楽ばかりを独りで追求してた。すなわち、世間一般からは距離を置いて、ちょっと見下すような態度をとるようになったわけである。
だけども、このサーカズムは、繊細な内面を守るための殻みたいなものである。レノンやドストエフスキーなんかと同じく、世界からひどく裏切られたと感じたナイーヴな少年が、その世界で絶望せずに生きていくために武装しないとならなかった。世界というのは札付きの裏切り者である。自分に楽観を許すと、すぐにそこにつけ込んでくるから、油断がならない。だから、つねに自分に楽観を戒めるような心性が形成された。
だが、サーカズムの殻の後ろには、柔らかい肉の核みたいのがあって、世界に裏切られることを恐れてぶるぶる震えてる。「世界とはこうであればいいな」とか「こうであるべきだ」とかいう理想が大事にかくまわれていて、自身の自我からさえ隠されてる。今から考えると、青年期特有のセンチメンタリズムは、この大事にしまい込まれた理想に関係してた(その理想には女性とか恋愛が絡んでいて、これさえ後に気を許した女の裏切りでずたずたに切り裂かれてしまうんだが、恥ずかしいのでこの話は勘弁してもらおう)。
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コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。