国際政治経済学講義ノート 2(国際政治とグローバル経済秩序)
国際政治経済学講義の第二回です。今回は第一部の第二講で、前回おあずけにした国際政治経済学の「国際」の部分を検討してみましょう。政治経済学が国家と市場の相互作用について追究する学問であるとすると、国際政治経済学の「国際」はどういう意味なんでしょうか。それが今回の話題です。
覇権と国際経済秩序
前回の講義で、パーソナルな信用が成り立つ範囲を超える広域市場(イチバではなくシジョウ)の創設・維持には国家権力というものが不可欠であるという話をしました。そうであるなら、国際経済やグローバル市場にもまた国家権力が必要だということになります。
ところがです。国民経済/国内市場と異なり、国際経済/グローバル市場には国家に相当するような組織がありません。世界帝国はまだ実現していません。世界政府というものはまだ樹立されたことがありませんし、近い将来にもできそうにありません。
国連とかWTOや世界銀行といった国際機関があるじゃないかと言われるかもしれませんが、それらの組織は領土を有していませんし、それゆえに主権を有する組織ではありません。国際機関というのは主権者である国家の合意によって創られ維持されている組織であって、厳密な意味での政府でも国家でもありません。国家から見放されれば自立できない官僚組織です。
しかし、政府の存在しない国際社会にも曲がりなりにも経済秩序と呼べるものが存在しています。つまり一定の規則に関して主要なアクター間の合意が存在している。それはだいたいにおいてリベラルな秩序であり、自由貿易と国際分業とを通じて富の生産を効率化するような秩序です。
そのような秩序がなければ「国際経済」とか「グローバル市場」というもの自体が意味のない言葉になってしまうので当たり前のような気がするのですが、そもそも世界政府が存在しない国際社会でどのようにしてそんな秩序が創られ維持されてきたのでしょう。
その答えの一つは覇権国です。世界帝国の存在しない国際政治においても、とびぬけて力のつよい国が出てくることがある。具体的には19世紀であれば英国、20世紀は米国、そして21世紀には中国が米国に並ぶ覇権国になると言われていますね。
この覇権国がアメとムチを駆使して、国際経済のルールを定め他の国々に遵守させる。この覇権国がリベラルな国であれば、リベラルな国際経済秩序ができる。たまたま(?)19世紀の英国、そして20世紀の米国はおおむねリベラルな覇権国であり、それゆえに今日のリベラルな国際経済秩序がある。
となると、現在のリベラルな国際経済秩序やグローバル市場は、米国の覇権と強い結びつきがあるということです。この覇権が弱まると、経済秩序もまた崩れかねない。
そして、実際に米国の覇権は相対的に弱まってきている。まずドイツや日本などのかつての敵国が経済的に復興し経済上のライバルとして再び台頭した。ソ連との冷戦に勝利し唯一の超大国になったかと見えたのも束の間で、今日では中国が台頭しており経済のみならず軍事的にも政治的にも米国の覇権を脅かす存在となりつつある。この国際政治における動きが国際経済秩序にじわじわと圧力をかけて、最後には破壊してしまうんではないか。そういう懸念が長いこと抱かれてきています。
大恐慌と第二次世界大戦
というのも、単に理論上の推論だけではなく、過去にも覇権国の覇権が弱まった際に自由主義的な国際経済秩序が崩壊したことがあるからです。これはチャールズ・キンドルバーガーという経済史家が指摘していることなんですが、大恐慌があれほど長引いた理由は経済的要因だけでは説明がつかない。そこには国際政治における権力構造上の大きな変化があったとされる。
その変化とは、日の沈むことのない大英帝国の覇権の衰退です。工業生産においてドイツのような大陸の新興国に追い上げられ、第一次大戦で勝利しながらも手痛い打撃を受けた英国には、もはや国際経済秩序を維持するための費用を負担する余裕がなかった。しかし、第一次大戦後に英国に代わりうる覇権国として台頭した米国はまだ大国意識が低く、国際秩序維持の負担を自らが担う気がなかった。
この覇権の空白が大恐慌の悪化を止めるための国際協力を阻んだ。危機に際してリーダーシップを発揮する国がなかったんですね。そうなると、それぞれの国が自分によかれと思う措置を一方的に取り始める。自分たちの市場を囲い込み始める。そのような措置に対して当然に報復が行なわれる。そして負の連鎖が生じて、グローバル市場はいくつかの経済ブロック圏に分裂してしまう。
植民地獲得競争に出遅れていた日独伊のような国は、この苦境を戦争によって打開しようとした。第二次大戦は現在ではデモクラシーとファシズムとの戦いとされることが多いんですが、植民地獲得競争における「持つ者」と「持たざる者」の間の争いという一面をもっていたんですね。
このように、国際政治経済秩序の安定要因を覇権国の存在という国際政治の権力構造に求める見方は、覇権安定理論と呼ばれるようになっています。
ブレトンウッズ体制
戦後の国際経済秩序は、この大恐慌と大戦の反省に基づいて築かれました。まず、第二次世界大戦後に史上稀に見る大国として浮上した米国がリーダーシップを発揮する決意をしました。これにはもう一つの大国ソ連との冷戦という理由もあります。共産圏の拡大を防いで自由主義諸国の生活様式を守る、それが米国自身の利益にもかなうという判断が米国民のあいだにも共有されるようになったのです。
しかし、反省には、戦前の自由貿易体制の崩壊にはリベラルな国際経済秩序自体に原因があったという点も含まれていました。あまりに厳しい自由貿易体制というのは、民主化が進みつつあった各国の事情を汲み取るには柔軟性が欠けた。人々の生活がグローバル化した市場の荒波にのまれているのに、政府は手をこまねいて見ていないとならない面があった。そのため、リベラリズムがコミュニズムとファシズムという左右からの挟撃に合い、正統性を喪った。このリベラリズムの修復という意味もあったわけです。
一応、戦後の国際経済秩序を支えた四つの柱の概要を下にかかげておきますが、この講義では細かい説明は省略します。暗記する必要もありません。専門家でない人にとってはいろいろな国際機関の名前や特徴を覚えるよりは、そうしたレジームの根拠となった思想の方をしっかり理解した方がよいからです。もっと勉強したい人はいろいろな教科書が出ていますし、ネット検索でもかなりの程度わかるはずですから、調べてみてください。「レジーム」というのは国際関係論の術語で「体制」と訳されることもあります。後で詳しく説明します。
1.国際通貨レジーム:固定為替相場、IMF
・各国通貨は米ドルに連動(ドルペッグ制)し、ドルは金に連動
・資本移動は制限される
・流動性不足の国にはIMFの援助を受けられる
2.国際貿易レジーム (GATT, WTO):
・多国間交渉を通じた貿易自由化
・貿易自由化はほぼ財にかぎる
・サービス業や農業は自由化対象外
3.国際金融レジーム (バーゼル I, II, III)
・金融規制に関する国際取り決め
4.国際開発レジーム: IBRD (世界銀行)
・旧植民地への開発資金供給
さて、戦後の国際政治経済体制は、国民国家による緩い協力体制という形をとりました。大英帝国に見られた帝国主義とは決別して、国民の福利厚生に対して責任をもつ主権国家ができる範囲で自由化を行うという形です。これはブレトンウッズ体制と呼ばれたりします(狭義にはブレトンウッズ体制は戦後国際経済レジームのうち国際通貨にかかわる部分だけを言うのですが、広義にはレジーム全体を指すものとしても使われます)。
限定された自由化だったのですが、経済ブロック化と戦争によって縮小した世界経済は、このブレトンウッズ体制のもとで飛躍的に拡大します。以下のグラフを参照してください(Source:Trade and Globalization--Our World in Data https://ourworldindata.org/international-trade)。世界のGDPに占める貿易の割合を示したグラフです。オレンジの部分が戦後です。同時期にGDPも絶対額では拡大していますから、それ以上に貿易が伸びたということですね。各国の事情に応じた自由化を許したことが、かえって功を奏したと言えるかもしれません。
しかし、ブレトンウッズ体制は早くも70年代からさまざまな挑戦にさらされます。その理由はもちろん経済的なものもたくさんあるんですが、国際政治における変動もまた関係しています。国家と市場の相互作用ですね。
ある意味では、ブレトンウッズ体制はそれ自身の成功の犠牲になったと言えます。典型的なのは国際貿易レジームです。自由化交渉が成功裏に進んでいけば、工業製品以外の分野もまた交渉のアジェンダに上らざるを得なくなる。しかし、金融などのサービス業や農業といった分野は各国の利害が錯綜するところで、なかなか容易には合意に達することができない。それで自由化の速度が目に見えて鈍化していく。それだけであれば、それ自体はそれほど悪いことはないかもしれません。
しかし、ブレトンウッズ体制が侵食された最大の理由は、米国の覇権の低下です。これには冷戦も関係しています。米国は自由主義諸国のリーダーとして各国にある程度の自由を許しながら、自らの市場は開放してリベラルな国際経済秩序を支えようとした。自由主義諸国や反共独裁国を取り込むのにムチだけではなくアメも多用しました。しかしそれはまた米国の経済に大きな負担を強いることにもなったのです。
その結果として、日本やドイツなどの旧敵国の経済復興が米国の経済覇権の犠牲のもとで行われ、世界市場に占める米国の地位は相対的に低下していきました。それに気づいた米国は、時になりふり構わぬ自国優先主義をふりかざすようになったんですね。覇権を国際経済秩序の維持ではなく、せまい意味での国益の追求に用いるようになる。そうしているうちに冷戦が終了してしまいました。米国の同盟国に遠慮する最大の理由が消失したわけです。
米国だけの責任とも言えません。ドイツや日本などの新興大国も自国利益優先で「タダ乗り」を厭わないところがあった。そして先進自由主義諸国の間で貿易摩擦などの経済的対立が増えていきました。高等政治と呼ばれた安全保障の分野ではなく、下等政治と呼ばれた経済分野が政治化した。みなさんが今学んでいるこの国際政治経済学というのは、まさにそうした時代の要請に答えて出てきたものです。
今われわれはどこにいるのか
そういうわけで、すべての面ではないですが、今日の状況もまた大戦前の状況に似てきています。今までの覇権国の力が相対的に弱まって、国際秩序の維持よりは自国の狭い国益を優先させるようになっている。だが、新しい覇権国には、自らが世界秩序を担ってやろうという意志も能力もまだない。そういう過渡期と言えます。
実は、覇権安定論にはいろいろ批判があります。自分抜きでは国際経済秩序が成り立つわけないという米国の過剰な自負心の現れじゃないかという人もいます。実際に、米国の覇権の衰退は1970年代初頭以来ずっと言われ続けてきたんですが、リベラルな国際経済秩序はまだ崩壊していない。確かにあちこちでほころびが出ているんですが、それでも大勢としてはリベラルな秩序が維持されてきたと言えそうです。
しかし、だからといって楽観できるわけでもありません。英国のEU離脱やトランプ政権による「アメリカ・ファースト」政策の衝撃というのは、自由主義的国際秩序の担い手であった新旧の覇権国が、それに表立って背を向けたということです。なぜならば、両国の国民のあいだでリベラルな国際経済秩序やそれによって促進されるグローバリゼーションによって得をするより損をしていると考える人々が増えたからです。
そして、今台頭しつつある中国は貿易大国ではあるが、リベラルな文化をもつ国とはいいがたい。偶然、これにコロナによる移動の制限が加わった。仮にコロナ騒ぎが収束しても、どうも元には戻りそうもない。リベラルな国際経済秩序の命運はついに風前の灯火となりつつあるのかもしれません。
そこでとびぬけた覇権国が存在しない世界で、どのように国際経済秩序を維持するかという問いが浮上してきます。これも決して新しい問いではなく、1970年代からやかましく言われていることですが。
世界には政府(government)はない。あるのは統治(governance)である。 つまり政府のような実体ではなく、主権国家が集まって共同統治をしていく。そういう体制が望まれるわけです。
先ほどブレトンウッズ体制の話をしたときに、「レジーム」という言葉を使いましたが、レジームというのは政府や企業のようなかっちりした組織ではありません。S・クラズナーという人の有名な定義によれば次にようになります。
[レジームとは]国際関係のある分野において行為者の期待がその周囲に収斂する暗示的もしくは明示的原理、規範、規則、および決定手続きのことである。
なんだか歯切れの悪い定義でよくわかりませんね。こんな定義は暗記しなくてもよいですが、ひとつ覚えておいてもらいたいのは、国際経済秩序というのはこんな曖昧なものによって支えられているものであるということ、そしてそれは行為者のあいだの主観的な合意形成によるところが大きいということです。
しかし、国際政治の構造的変化はこの合意形成にどのような影響を与えるのか。どこかの先生がネットでシェアしてくれたパワポを拝借したものですが、以下の図を見てください( John Paul Tabakian, "Political Science 7--International Relations - Power Point 4." https://www.slideshare.net/tabakian-inc/pols-7-power-point-4 )
「国際政治の構造」というのは、権力が国のあいだにどのように配分されているかということです。この権力をどのように測るのかという問題があるんですが、まあ政治力、経済力、軍事力の混合だと思っておいて支障はないです。そうすると三つの理念型が考えられる。覇権国が一つある単極型(図の右)、二つある二極型(図の真ん中)、際立った覇権国が存在しない多極型(図の左)です。
冷戦時の共産圏を無視すれば、戦後の国際政治における権力構造は、図右側の単極構造に近かった。米国の覇権構造です。これが次第に左側の多極構造に近くなってきた。中国という圧倒的な潜在力を持つ国の台頭により、真ん中の二極構造に収斂していく可能性もあるのですが、しばらくはこの多極構造のなかでわれわれは生きていかないとならないようです。
しかし、覇権安定論によると、この多極構造というがいちばん不安定な構造です。多くの国が競争するから、いわゆる「共有地の悲劇」になりやすい。「共有地の悲劇」というのは、誰の所有でもない共有地にみなが自由に家畜を放牧すると、我先にということになって、共有地が荒廃してしまう。国際経済秩序もこの共有地としての性格をもっている。個人として合理的な行動が非合理的な結果をもたらすので、集団として見れば非合理な行動になるんですね。
そうした多極構造の国際政治に対応してできたのがG7です。主要国七か国が経済を含む重要な国際的な問題で連携を行う枠組みです。しかし、途上国の世界経済に占める割合も高まっているから、そうした国々の協力もまた取り付けないとならない。それでG20というものもできました。最初は蔵相会議であったんですが、2008年からはサミット(首脳会議)に格上げされています。
だけども、G20は思ったよりうまくいってないようです。それで、近年はまたG7の方に重心が戻りつつある。なぜでしょうか。ちょっと古い写真ですが、以下の二つを比べてみてください。
上がG7、下がG20サミットですね。この二つを比べて見て何か気がつきませんか。そうです。G7では日本の首相を覗いてみんな白人ですね。いわゆる「欧米」です。みなスーツみたいなものを着ている。G20では民族・文化的、社会経済的により多様です(でも、興味深いことに女性の姿はほとんど増えません)。すべての大陸から人々が参加してる。スーツ姿がほとんどですが民族衣装を着てる人もいる。これだけ多様な背景をもつ人々が集まれば利害もまた多様にある。そうそう容易に交渉が妥結しない。
しかし、途上国の台頭はまた、先進国の相対的な地位低下の現れでもあります。先進諸国もまた余裕のないところが増えている。比較的同質的なG7においても、トランプ大統領のような人が出てくると紛糾する。もう容易には合意に達することができなくなっていますね。
(2021年9月8日追記:今日ではトランプ氏はひとまず去りましたが、トランプ主義というものはなくなっていません。トランプ政権の政策のうちもっとも人々から支持を得たのは国際経済政策、特に中国叩きでした。バイデン政権になっても、政治家はそれを無視できないようです。つまり、米中による覇権競争がこれからも激化していく可能性が高い。)
これを要するに、集団的リーダーシップがこれほど必要とされている時代はないんですが、同時に集団的リーダーシップがこれほどむずかしい時代もまたない。どうやら、これが今われわれが立っている地点なわけです。
コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。