大切な事を思い出すためのきっかけは、何個でも持っていたい/水晶体に映る記憶
創作するきっかけの感情は、大抵怒りからのことが多かった。こんなのむかつくから、変えたいと思っていた頃のエネルギーが凄まじいものがあった。
強い原体験があることの悲しい側面として、それを解決することが使命なのだと信じて疑わない自分がいることだ。私は長年それに囚われていたと思うし、自分を縛っていたとすら思う。成功しても失敗しても、「本当」には辿りつかなくて、注いでも満たされないコップを見つめているしかなかった。
あれから数年が経って、怒りを感じることの方が減って、ただ落ちついて自分のできる範囲で「明日も生きよう」という瞬間を作りたいと思っているのだけども。もう、自分の人生をエンタメ化しなくていい。はは、苦しかったんですよね〜〜!なんて笑い事にしなくていい。
そう思った途端、どこかで気持ちが昇華して、あの頃を話すことは全くなくなった。しかしそれは無くなったわけではなくて、ずっと私の一部であるということは認めていきたい。
この文章は、いつか私が何かを諦めそうになった時に読んでほしい文章だ。馬鹿らしいなとか、私じゃなくてもいいじゃん、とか。そんなことを手帳に書くようになったら読んでほしい。
その時は、私が師匠とした会話を辿れば、自分の正直な気持ちに戻れると思う。いつだって自分でした選択は、正解にできることを知っているから。
私には、師匠がいる。神様が引き合わせてくれたんじゃないかと本気で思うほどに、運を使い切ってしまったのではないかと思うほどに。ずっとずっと出会いたかった人だった。
師匠は、人の感情を優しく捉えた空間デザインする人で、たとえば、肌に触れる素材は冷たい金属ではなく、木材にすること。季節を感じられるように窓の近くに植栽を植えて触れられるようにすること。そのほか無数の工夫を、一部屋に詰め込むような。私が言い換えるなら、「誰かの一瞬を、優しいものに変える」ということに、人生の時間をかけている人。
そんな仕事をしている人を、私は師匠以外に知らない。綺麗で落ち着く建物は五万とあるけど、あるゆる人の感情を想像して、脳みそから出るアイデアを一滴残らず絞り出した建物は、全く感じるものが違う、唯一無二なのだ。
今、そんな師匠がそばにいる。日々、沢山のことを教えてくれる。これまでの集積、苦労をして得てきたものを惜しげもなく。
そう、一年前までは遠い存在だったのに、画面の向こうの存在だったのに。ああ、まだ私は夢の中なんじゃないかと頬をつねりたくなる。
この記憶を、夢にしたくなくて、忘れたくなくて、ずっと思い出していたくて、たまにこんな奇跡に、怖くて泣きそうになって。ふと、布団で師匠に出会えた意味を考えていた。
師匠に会って4回目の時だったと思う。私は師匠に「サードプレイスというか、人の光を作る、空間デザインをしたいんです」と伝えた。
家でも、学校でもない場所や物に、救われる時があると私は信じていて、ただ一つでもそういう場所が見つけられたら、生き延びられると思う。
ある研究では、人は居場所が多いほど幸福度が高いというものもある。
依存先が複数あると、もしもの時の命綱になる、私はそんな場所が作りたいのだ。
それを話した日から、師匠は会うたびに、サードプレイスについての本や話を紹介してくれた。こんなカフェがあったよ、こんなことやっている人がいたよ、、、と教えてくれるたびに涙が出そうになった。
私がサードプレイスのデザインを本当にするのだと信じてくれて、疑わないのだ。いつも真っ直ぐな瞳で語ってくれる。
ある時、自分が本当にサードプレイスのデザインができるのか分からなくなったことがあった。
仕事でも自信を無くしていたころだったし、なにをしているんだろうと自問自答の日々。
まだ、空間のポートフォリオもないし、サードプレイスっていったって、著名な人がバンバン作っている。…気づいたら25歳。
自分の頭からネガティブな言葉を掬い取ってしまうんです、と淀屋橋駅近くのドトールで話した。
そんな私に師匠は言った。
「ひかりちゃんは、まだ世の中にないものを作る人なんだと思う。」
一度じゃない、何度も言ってくれた。
そして説明してくれた。
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