#73 こんなことがあった(青春18きっぷの思い出2:「そぞろ神我にとりつき旅をする青春18切符期間は」)
「青春18きっぷ」と短歌についての話。
前にnoteのどこかで書いたような気がするが、短歌を作り始めたのは短歌結社「かりん」入会とほぼ同時なので1993年。既に「青春18きっぷ」を利用して大阪への帰省に使うことに慣れてはいたが、そのことをはっきり詠んだ歌はあまりない。ただし、日常とは異なる車窓の風景を楽しみながら、あるいはうとうとしながら過ごす電車に乗っている時にフレーズが浮かんだ、あるいは一首にまとめた歌はとても多いと思う。
所属している短歌結社「かりん」の月詠でとってもらった歌の中で、はっきりと自覚がある「青春18きっぷ」利用に関する歌はタイトルに入れた歌で、これは2002年に作ったものだ。
同じ年には
・そぞろ神我にとりつき旅をする青春18切符期間は
以外にも、
・待ち合わせするたび常に待たされる普通列車で行く九州路
・余所者がよそものならぬ場所求めよそからよそへ向かえり今日も
といった歌もあって、
これらは熊本に単身赴任中だった父の家の掃除に向かう時の歌だ。
これより古いものとしては、1995年のもので、
・風よけを持たぬホームに人降ろし快速電車行ってしまえり
の他、「山口行」としてまとめたものの中に
・美しきもの眺めれば安らぎて右に翡翠の海が広がる
・異端者は群れてもわびしさみどりに春めく山と枯れ行く竹と
・西へ行きやがて東に行く浪に弱き思いを沈めてしまおう
・ハイウェイを見下ろす雨のアカシアのはかないまでに異国めく花
といったものもあり、
これらは山口(下関)に単身赴任中だった父宅の掃除に向かう時に見たものなどから想を得てつくったものだ。父の下関時代の話は、「#7 こんなことがあった(ひとりで食べた河豚とケーキ)」でも書いている。
「西へ行き~」というのは壇ノ浦のことで、父の社宅が長府にあったので、城下町長府や整備前の下関駅付近、壇ノ浦の海を眺めたり、関門トンネルを抜けて福岡側へ行ったり、あるいはそこから唐戸市場に船で戻ってきたりと、父宅の掃除の合間に下関を楽しんだことを思い出す。
娘が訪ねても「せっかく娘が来たのだから」と言った感じでどこかへ行こうかという発想はない人(それでも母が訪ねた時よりは多少はマシなので、私が派遣されることになる)だったが、そういうことには慣れていたので、「じゃあ、せっかくなので周囲を探索しましょうかね」という感じで楽しんでいたし、実のところ、誰も私を知らないところをふらふらすることは今でも好きだったりする。
そう、父の仕事人生の最後は熊本(出身が熊本県山鹿市なので、いわゆる故郷に錦を飾る人事的なものだと思う)、その前が山口で、その当時の私は大学院生。
親、特に母にとっては「大学を出たのに働きもしないごく潰し」(女性の大学院生に対する理解が無かったため遊んでいるようにしか見えなかったらしい)という扱いで、「稼ぎもしないのに家に置いてやっているんだから、それぐらいして当然」という感じで、「青春18きっぷ」が利用可能な長期休みの時には父宅の掃除と一時的な身の回りの世話を託されたのだった。そしてその際、浪費家の父のしわよせで節約至上主義の母にとっても、新幹線代などを出さずに済む「青春18きっぷ」は大変好ましいものであったので、「あんた、どうせ青春18きっぷ使うんでしょ。」と言う感じで、「青春18きっぷ」を使うことが既定路線。
ただし、もともと母にそれを紹介したのが私なので、「よし、じゃあ、今度はどのルートにしようかな」と言う感じで、新幹線なんて贅沢なものは稼がない人にはもったいない、という状況でも大変楽しませてもらいました。
当時はまだ「乗り換え案内」がないので、「時刻表」で行程を確認しつつ、ただしとにかくその日のうちに付けば良いというルールの気安さから、前回と多少ルートを変えてみたり、寄り道をしたりして大いに楽しみました。宮島への渡し船もJR経営のため「青春18きっぷ」で乗ることができました。
そんな感じで、2005年くらいまでの私の歌は、かなりな程度電車の中で作られています。