イベント・お出かけメモ#23 水平社博物館
美術館・博物館・資料館といったミュージアム、そのいろいろな情報が集約されている場所が好きだ。かつては王侯貴族や富豪レベルの人でなければ目にする機会がないものたちを豪華な空間で気軽に見ることができたり、ものとそれに関する説明が整然と並べられた静かな場所で時間を過ごすことができたり、あるいはざわざわとするような違和感を感じるものに遭ったりすることができる場所、建物、品々、そしてそれに関わる人たちの知性や情熱みたいなものが大変好きだ。
だから、というわけでもないが、ミュージアムにはできる限り足を運ぶように心がけている。悲しいかな文化に力を入れてくれない最近の風潮においては、来館者が少ない=ニーズがない=予算削減、となってしまうことが心配だからでもある。
東京をはじめとする都市部に住んでいれば、一日にいくつものミュージアムをはしごしてみることができたり、あるいは用事の合間に立ち寄ることもしやすいが、その点は地方在住者には難しいこともある。また、そのミュージアムが公共交通機関を利用して気軽に行くことが難しいこともある。
今回思い立って行ってきた水平社博物館はその後者の理由で、存在を知ってからも、水平社100周年記念に際してリニューアルしたという報道を目にしてからも、なかなか行くことができなかった。
一人で出かける時は移動時間に読書を楽しむことができるので公共交通機関、私の場合は近鉄を利用することが多い。HPを見ると、近鉄橿原神宮前駅からバスで15分とあるが、そのバスが2時間に1本らしく、鉄道トラブル発生の可能性なども考慮すると、気軽に日帰りではいけないような印象を持っていた。先日、仕事関係の打ち合わせの際の雑談で、水平社博物館が話題になり、その際に近鉄で行くことを考えたことがあるがハードルが高そうで実行できていないことを告げると、車で行けば思ったよりも楽に行けますよ、道路も(渋滞は生じる時間帯はあるが)整備されてきていますし、と教えてもらい、だったら行ってみようかと思い決行した。
父が亡くなった後、大学時代に所属していた漕艇部のOBたちが偲ぶ会(+散骨)を企画してくれたことがあり、その時はまだ子どもが小さくて公共交通機関を利用しての長距離移動は難しかったことから(できなくはないが、基本的に子どもが嫌いな私の母は、特に公の場で泣き叫ぶ幼児を目の敵にするところがあり、それを見聞きしていただけに子連れの公共交通機関利用のハードルが高い時期があった)、車で三重から鹿児島まで行ったことがあるので、公共交通機関が好きだが、自分でハンドルを握って移動することも嫌いではない。
移動にかかる時間を多めにとって片道2時間として、HPによれば名阪国道で天理まで行って南下すれば良い感じだった。カーナビに郡山下ツ道にガイドされてしまったものの、1時間半程度で到着。思ったよりも近かった。
そういえば、三重から奈良(正倉院展など)に車で出かける人がいて、車で行くなんてハードだなと思っていたが、実のところはそれほど大変ではなく、また、駐車場料金を入れても車の方がお手軽に行けることを今回理解した。と言っても多分私は車でないと圧倒的に不便だという時以外は今後も公共交通機関を利用したいとは思う。事故リスクと、読書時間の確保という理由で。
2022年3月3日、日本で最初の人権宣言である「水平社宣言」の100周年を記念してリニューアルされた水平社博物館は、訪問者の4分の1を占める「小中学生に向けたわかりやすい説明」という視点から工夫されている、といったことは既に報道やSNSで知っていた。
2階建ての2階が展示室になっていて、大人1名の入館料500円を払って上に進む。
時計回りにぐるっと一周する形のメイン展示室が基本。そしてメイン展示室とつながる特別展示室もある。こじんまりとしたスペースなので、展示すべきことの取捨選択や説明をどの程度詳しくするか、といった点でかなり検討を重ねたのではないかと思う。
「水平社宣言」がどのような背景で行われたのか、その内容は何かを伝えることに主力が置かれているようで、メインコンテンツである「水平社宣言」についてはシアターが用いられていた。
差別などの社会問題に関する展示は、いわゆる文化財の展示とは異なりモノに語らせることが難しかったり、文献資料が多くなってしまうのでぱっと伝わる展示にすることが難しい。
三重県の場合は四日市公害に関して2015年に「四日市公害と環境未来館」が既存の四日市博物館に足す形で開館したが、そこでも公害状況、原因解明、訴訟、解決に向けてといったところはデータや文献資料だけではなく、証言映像や被害者の肉声を用いて理解を深めようとしている。水平社博物館でも最後の方にビデオコーナーがあって、私が展示構成を考える場合でもそうなるよなと思った。ただし、ビデオを用いる場合はその語りが場合によっては古くなってしまうので、どの程度の頻度でビデオ資料の入れ替えを検討すべきかということも考える必要があるのだと思う。
話を展示に戻す。
入ってすぐのところに、差別とは何か、「普通」と違うことは何か、自分と異なる人を「おかしい」と考えてしまうことはどういうことなのか、を考えさせる子供向けの問いかけがあった。報道されているように、権力者によって好ましくない存在を排除しようとしたりすることや、自分たちと異なる人を攻撃しようとすることについては、『鬼滅の刃』や『ワンピース』の関連するページが紹介されていた。
今回のリニューアルでは、こういった漫画や音楽(日本のロックやレゲエ)、10代に人気がありそうな本などが説明と対応させる形で何か所か紹介されていた。これはそれを少しでも知っている来館者にとっては親近感を抱かせる効果が期待できるとは思う。ただ、マンガなどのはやりすたりがあるものとの相乗効果をどの程度の期間期待できるのかといった問題や、異なる文脈のものを示してしまうリスクなどは考えられ、それらを用いる必要が本当にあるのかと言う点からの考察も必要であるとは思う。
極端な例になるが、私の子どもの場合、鬼滅やワンピースはじっくり見たことは無いけれども、学校のコミュニケーション上、知らない、興味がないというわけにもいかないので、「あーそうね」と言う感じで聞き流している方だし、今回の展示に関連して、「今、学校でどんなマンガが一番人気なのか」と質問すると、「みんなバラバラだからわかんないなー」という答えが返ってくるように、「みんなちがって、みんないい」を軸にするのであれば、「(子どもだったら、日本人だったら)みんなこれを知っているよね」と言う感じでマンガを用いることは私は懐疑的だったりする。
ただし、来館者の、特に子どもに向けて、「この博物館は別に難しいことを頑張って勉強しなければならないというものではない、君たちも聞いたことや見たことがあるかもしれないものにも、部落差別として苦しむひとたちと同じようなが描かれているんだよ、部落差別を含む差別問題は、君たちも既にかかわっている問題なんだよ。そしてこの博物館はたくさんある差別の中で、部落差別について、そんな差別はおかしいと声を上げて頑張ってきたひとたちの活動や、今の世の中にある差別問題を紹介して、君たちに考えてもらうことを期待しているんだ。」といった、子どもをメインのお客さんとして扱っていることのひとつのメッセージにはなっているとは思う。私自身はわかりやしさを重視しすぎるあまりのリスクに注目してしまうが、このあたりのバランスが難しい。その点で、今回のリニューアルはひとつの決断だし、それはそれで頑張ったと思う。
水平社宣言のシアターは、これは仕方がないのだけれど、導入部分の父娘の演技がちょっと「そんなわけないだろ」という感じで気になる。服装からみてもここはリニューアル前のものが継続して使われているのだろう。また、当時の社会状況からいって仕方がないのだけれど、登壇者は男性ばかり(大正デモクラシーで揺さぶりはあったものの、1900年の治安警察法以降、女性の政治参加は基本的にNG)、その中で現代の娘(男性が説明し、女性はそれを聞くという図式のままになっている)だけ、というのが引っ掛かった。
どうせするなら娘を息子に変えてしまってオールキャストを男性にすることで、この時代の社会問題に女性が声をあげることの難しさ、政治や公の場に女性がほとんどいないといった、今から考えると奇妙な状況であったことも伝えた上で、フランス革命および人権宣言同様に、水平社宣言も、時代の制約などからこの時点では人権の主体として当然女性も含まれるということを明記することはできず、登壇者も諸事情から男性だという限界がありました、と説明した方が、その後の展示で「決して女性をないがしろにしていたわけではない」という感じで、子どもや女性の水平社活動を紹介していることにつながっていいのではないかと思った。
まあこれは、差別の中でも、女性が被害者となりやすい差別や犯罪、そして家庭の中の人権問題などに私個人が強い関心を持っているからであって、シアターの内容そのものに対する批判ではないし、当時の社会事情からすればそうだろうということはわかるけれども、それだけに現代版で娘(女性)を登場させたことが鼻についた、というだけのことではある。シアターの内容は、ミュージアム側がシナリオから参加することもあるかもしれないけれど、電通などの会社に委託した場合、そこそこ注意しておかないと従来の枠組みでシナリオを仕上げてくるのではないか、と思ったし、また、こういう画像資料の有効性(時代の変化にそぐわなくなってきているという点での有効性)はどの程度の期間を想定しているのかという点も気になった。
とはいえ、それほど大きなスペースではないので、椅子に座ることができる人は子どもでも5,6人で、あとは立つことになるとはいえ、1922年3月3日京都の岡崎市公会堂で行われた「水平社宣言」の臨場感は多少なりとも味わえるものになっている。また、セリフに合わせて展示人形(聴衆や憲兵?)を動かすことはせず、ライトアップに留めている点はメンテナンス面で妥当だと思う。
展示は最初に水平社宣言に至る背景、単なる「気の毒だから」といった、対等な関係を否定する同情融和思想を否定し、自分たちは同情される存在ではなく、人間としての尊厳を持つものであること、また、おかしいことはおかしいと声を上げていく必要があるのだということを強調する「全国水平社創立の夜明け」や、1922年以降の水平社の全国展開(「共感を呼んだ水平社運動」「水平社運動の展開」)および戦争の影響を受けて消滅する過程(「アジア・太平洋戦争と水平社運動」が紙資料や写真パネルなどとともに紹介されている。
このあたりはやはり紙資料がベースになるので、その資料内容を読ませるのであれば該当部分の拡大もしくはそれができるデジタル展示によるサポート、もしくは解説者とともに展示を見る必要があるのではないかと思った。小中学生が社会科見学でここに来る場合は、解説者(案内者)による展示品の説明と、その後の感想などを話し合う際のファシリテーターの存在が大事になってくるのだろうと思った。それによって、部落差別およびそれを含む差別や人権問題について理解を深めることができるのだろう。
水平社の博物館なので、水平社に重点を置いた展示が行われるべきである一方で、それ以外の差別について考えるきっかけを提供することも求められることから、日本の植民地問題や朝鮮半島における部落差別に関する展示も多少はあり、また、SNSで話題になっていたエピローグ(ことばの美術館)はおしゃれな空間になっていた。ここでは自分を励ましてくれることばなども募集され、社会とつながる博物館としての発展や、いわゆる来館者(館外者)との双方向性を考えたつくりになっているのだと思う。
部落問題からは少し離れてしまうかもしれないが、インターネットによる誹謗中傷問題のように、差別の多くはことばによって行われる。他者とつながるための道具であることばが差別という暴力に用いられてしまう問題や、他者とのつながりにおいて自分が使うことばを大事にすることを考えるきっかけとして、ことばの美術館は今後の発展を期待したい。
水平社博物館の道路を挟んだ向かいが西光万吉の生家である浄土真宗本願寺派西光寺、その他にも水平社宣言および水平社に関わった人たちのゆかりの土地を見て回ることができるフィールドワークもできるようだったが、今回はその時間的余裕がなかったので残念ながら帰路についた。帰路では往路とほとんど同じ道で良かったのが、ナビに任せていたら、樫原神宮、三輪神社、長谷寺といった近鉄並走ルートを案内され、それはそれで日頃使わない道を走るので良いかとも思ったのだが、信号が多かったので、途中で針テラス方面に向かい、名阪国道経由で帰宅した。
帰宅後、買い求めた図録や書籍を読み、浄土真宗をはじめとする仏教と部落問題について、そういえばと言う形で思い出したことがある。
宗教の話は同じ宗教、宗派の知り合いでもない限り、子どもが気軽にすることはあまりないと思うが、中高が寺の境内の中にある仏教系の学校だったため、同級生にその寺に関わる人がいたり(寺の中に複数の寺があり、その中のひとつ寺の子)、仏教の授業(すみません、団塊Jrの女子生徒には「三従の教え」を授業で説明されても、「はあ?」という反発しか感じなかったことを覚えています。)があったので、宗教の話が世間話に出てくる環境ではあった。その中で強い印象に残っていることを2点挙げる。
1.「浄土真宗の信者って部落や貧しい人が多いよね」
そんなことを真顔でいう同級生がいた。おそらくは親が家庭でそんなことを言っていたのだろう。他者とは違って自分は優れていることをアピールしたい傾向がある人の、他の差別的発言の中のひとつだったので、「またか」と思いつつ、耳が汚れるなと思った記憶がある。1980年代の大阪はまだ、「沖縄」=「外国」(本土復帰してかなり経過しても侮蔑的にわざとそう言う、「九州から大阪に出てきた人」=「貧乏」「くいっぱぐれてきた」「下品」、といった「は?」という発言がちょくちょく出る時代だった。私の父が九州出身だったことを知った上でそういう発言をする同級生(もちろん少数の人)には、本当にうんざりしていた。
2.差別的戒名
仏教の時間にこの問題を扱ったビデオかテレビ録画を見た。これは眠いことばかりだった仏教の時間では非常に興味深かった。日本の仏教の中でも親鸞聖人を仰ぐ浄土真宗は、どんな人であっても仏の御前ではひとしく救済される存在である、ということを主張するし、そもそも世を捨てて(出家して)衆生済度のために身を尽くすことが建て前のはずの仏教関係者が、もちろん全員ではないとは思うけれども、そんな許されないことをしていたのか、そんなことをしても日々のお勤めをしていたのか、とかなりショックを受けたことを覚えている。そこそこ立派な衣装を身に着けた僧侶から厳かに与えられた戒名で、そんな裏切り行為が行われていたとは、宗教ってそんな面もあるのか、と、経営が非常に上手だったらしい仏教系学校に通っていたことと相まって、なんであろうとも無条件に信じ込むことは怖いと思うにいたった一つの出来事であった。
安易に「ダーク・ツーリズム」(もしくは「グリーフ・ツーリズム」)として、「観光産業」につながることは警戒しているが、綺麗なもの、芸術的に価値があるもの、貴重なものかつプラス評価されるもの、財産的評価の高いもの、それだけがミュージアムに保存されるべきだとは全く思っていない。水平社博物館の「知ることから部落差別の解消へ」のように、心安らかではいられないようなこと、人が行った醜さや酷さについても、語らなければ、そこに残っていなければ「なかったこと」にされてしまうことが心底怖いと思っているので、四日市ぜんそくをはじめとする公害、ハンセン氏病の隔離問題、部落差別、在日外国人差別、戦争遺跡、その他の、あってはならないことに関するミュージアムにも積極的に足を運んで、考え続けたいと思っている。