ずっとちゃんとしたかった
覆水盆に返らず、今年の盆は帰らず。
本当はずっと、実家に笑顔で帰れるような大人になりたかったんです。
次の冬は帰ります、私の家族も連れてゆきます。
文明堂の手土産持って、笑顔で参ります。
ここまで長かった。ここまで来れると思わなかった。まさか生きているなんて。
20歳の何処かで人生がフェードアウトする事だけを祈っていました。終わらないので始めた今日が、26歳の今日まで続いている。
覆水盆に返らず、今更凡に変えれず。
産まれた時から人に合わせようとする度にズレていくのが耐えられず、奇を衒ってばかり生きて、おどけて、ちょけていた。
面白い話が出来ているかと人の顔色を伺って、生きてもいいかを相手に委ねた。
人生の責任なんか取りたくないから、走って逃げて転んでそれを見せびらかし笑っていた。
何に対してもだらしなく、男遊びに明け暮れた。
べったりと私に染み付いてた生き方を、剥がしてべったりシール跡。うげぇで上塗りキリがなしの節操なし。
そんな私にも家族が出来て、いよいよ人生は終わりそうにない。私だけの責任では死ねそうにない。
どっち転んでも底辺な私、すってんころりん最低な私。落ちたまんまの穴の中からじゃ、ちゃんとしてる人の姿すら見えなかった。
責任の取り方が分からなかったから、とにかくお金を貯めることにした。
お金さえあれば、いつか時間も出来る。お金さえあれば、いつか何処にでも行ける。
穴を掘り深く掘り、小銭を集め懐にしまう。じゃりじゃりと積み重なる銭の音が、現実を忘れさせてくれた。
じゃりじゃり、じゃりじゃり、誰かの為を言い訳に働く日々。家に帰れば家族が居ることに未だ慣れない苦痛、未だ成れない普通。
がむしゃらに家から目を背けて働いて、貯めて、時たま少し遠くに逃げて。そんな日々を過ごしていたら大切なものを何個も壊した。
覆水盆に返らず、彼等は家を帰らず。
家族を蔑ろにして微銭を稼いでいるだけじゃ、私の家族を壊してしまった。
私のせいには誰もしないが、私は時折私のせいにする。
もう会えない家族が出来た、母親だった。彼女の顔をもう何年見てないだろうか。
父親は私に似て、ずっと、それこそ私が産まれるより前から「家族を蔑ろにして銭を稼いで」いた。
残った私よりも若い家族たちが、文字の通りに部屋に残って居た。
それでもやっぱり終わりは来なくて、再スタートを強いられる。
ゴールテープも、スタートラインも無い場所から始めなきゃ行けない。人生は分かりづらい。
家族との時間と、仕事の時間がちょうど半分になるように生活を変えた。
仕事を蔑ろにして、家族を大切にした。
家族を蔑ろにして、仕事をした。
仕事だけしていた時よりも全然忙しいのは何となく分かっていたが、思慮分別する時間も無いほどのはやさでやってくる時間に追いかけられ、過ぎ去っていく日々にしがみついていた。振り落とされて重症を負っても、やはり死ねないから。
小銭の音が聞こえ無くなる程忙しない日々の中で、残された家族との時間を過ごす。会えなくなった家族が空けた席に代わりに座ることで、皮肉にも私の責が分かるようになった。
覆水盆に返らず、しかし盆は無くならず。
今まで家族なんてものからは常に逃げ出したくてしょうがなかった私も、いよいよ腹が据わった。
父親のように稼ぎ、母親のように家を守ろう。
出来損ないの私でも、もう代わりが居ないなら、代わり映えしない日々を残された彼等が紡げるように。
けれども私は、何をするにも足りなくて、未熟で。その分を埋めるように家族を連れて何度か旅に出た。稼いでいた銭が役に立った。経験が私達を繋いでくれるように、思い出を沢山作った。
初めての新幹線、初めての駅、初めてのホテル。知らない土地が増える度に、見知った我が家の輪郭が分かっていくようだった。
布団を干した。ホテルのベッドのようにふかふかしたら良いだろうと思ったから。
荒らしてばかりだった家を掃除するようになった。旅の目的地が何処だろうと、何度帰ってきても「帰る場所」は此処にしか無かったから。
新しい家具を置くようになった。家に執着出来るように、私の愛しやすい形に変えていった。執着が自発的に快適を生むように。
旅から帰る度に、空っぽだった我が家という器になるべく私の痕跡を注いだ。私の帰る家はここなのだと、私が忘れないように。
覆水盆に返らず、複数盆を満たす。
自覚的に帰る場所が出来ると、自然と職場に居場所が生まれた。当時はそれが本当に不思議だったのに、今なら「何処にも居場所が無いと憂う女」なんて、どこに居たって誰もが持て余すと分かる。
仕事も上手く回りだして、変な男遊びも店仕舞。支払いの滞納も減った。習い事を始めた。帰る場所というのがあるだけで、「ちゃんとする」がこんなに容易くなるなんて。
ずっとちゃんとしたかった。
今やっと形になってきたのを感じる。
ちゃんとしている人の姿も見えなかった暗くて狭い穴蔵から、少しずつ自分の顔が出てきたような、周りが開けて、他者と比べられる土俵に立てて、やっと呼吸が思い切り出来たかのような。そんな晴れやかな気分になれる日も、時折ある。
しかし、「ちゃんとする」とはなんとお金がかかることか。ちゃらんぽらんだった頃の私は、稼ぐだけ稼いだ金の使い道も分からないような顔をしていたのに。何時だって死にたそうな顔してたのに。
今では毎日、生きるのにいくらもかかってしょうがないと頭を抱えている。
家族との時間は減らせない、かと言ってこれ以上家族への出費も減らせない。そんな真っ当な悩みでいっぱいになっている。
ただがむしゃらに稼いでいた時より明確に、10年後のことや、非常時はどうするだの、何も知らないままから手探りで探している。
ひとつの盆から零れ落ちても、ひとつの盆がすくい上げる。ひとつの盆が壊れても、まだ満たされてる盆がある。そんな日々を目指して。
覆水盆に返らず、もうあの日には帰らず。
責任のある大人が当たり前にやっている事に頭を悩ませる所まできた。
20歳まで生きる予定の無かった私が、ここまできた。まるで想像していなかった未来だ。
届かないと思って諦めていた「ちゃんとした人」に、自分なりの鈍足で、進んでいる。
相変わらず人とはかなりズレている。けれども今は、人に合わせて作った私ではないから、もうふざけてはぐらかしたりもしない。
家族が出来て、まだまだ人生は終わりそうにない。どっち転んでも盆の中。彼等に何があろうとも、転げ落ちていかないよう、守れる者でありますように。
私の元が、帰る場所でありますように。私がそう願い続けられますように。
ずっとちゃんとしたかった。まだ明日の自分も想像出来ない私だけれど、どんな明日が来ても歩いていける私にしてくれた。願いを叶えてくれた彼等に、明るい未来がありますように。