北海道縦断歩き旅12日目 「出口の見えない日々」寿都町~
4時に起きるが目覚めが悪い。
夢で職場の人間がでてきたからだ。
思い出す、職場の机の下で寝ていた日々を。
ビルの清掃員が扉のカードロックを開ける音1秒で起きていた日々。
民宿 六条館 から出発。
民宿から出る時、支払いをしようとすると、
「お金はいいよ。気持ちだから。」
とサービスしていただいた。
昨日、歩いている所を車で見かけていたそうだ。
話を聞くと熊が一番多い所は抜けたらしく、昨日も一匹罠にかかったと新聞に書いてあったらしい。
ありがたいことに、お弁当まで頂いた。
お世話になりました、ありがとうございます。
とお辞儀して、宿の前を去った。
海岸沿いをあるいていると、湾の向こう側がかすんで見えた。
さらにその向こうに空に溶け込んだ岬があり、
いずれあそこまで歩くと思うと果たしないく感じる。
しかし、歩いている限り、不思議とたどり着く、
この歩き旅にも慣れ始めていた。
この日も晴れて午前中は気持ちよかった。
晴れが続き、日焼けで皮が剥がれてきていた。
廃駅が改築されている。
朱太川
川を渡った後のセイコーマートで、バイクの中に珍しく、自転車が停まっていた。
荷物を多く積載していて、北海道一周をしていそうま感じ。
自転車で旅してる人と話してみたかった為、話しかけてみる。
学生なのか若い感じの人で、
今回、2度目の北海道一周らしい。
野宿のみらしく、少し臭かった。
くさい側は意識しないが、運動して野宿が続くとこれほど臭う事を忘れていた為。彼とあって以降、自分の臭いが気になるようになった。
回り方が逆方向だった為、先の道について聞く。
この先に長い「雷電トンネル」についても聞いた。
トンネルは、歩きの場合は少し段差の上がった所を歩くが、自転車は車と同じ道を走るため狭いトンネルは恐いらしい。
米を5kg積んでいて、坂道はきついらしい。
熊は一度も見かけた事はないらしいが、キツネはよく見たらしい。
野宿にとって厄介でテントの外に置いているパンを食べられたり、去年は靴を持っていかれて、片方サンダルで走る事になったらしい。
道の駅でソフトクリームを食べる。
液晶TVに道路に設置されている各地の映像が流れていた。
自分が歩いてる姿を、ここから涼しく見られているのかもしれない。
道の駅から先を進むと急に道路が悪くなり、歩道も狭く、交通量も増え、この辺りはきつかった。
刀掛トンネル 全長 2754M
ホテルの廃墟
弁慶トンネル 全長1048M
不思議な岩を発見。
後で調べたら「弁慶の薪積岩」という名前がついているらしい。
どうしてあの形になったのか?欠けたり崩れないのか?不思議だ。
この旅、最長となる
雷電トンネル 全長3570M
残念ながら歩道は狭く、交通量も多かった。
トンネルの中央を示す出口の看板。
自転車もむやみに停車できないので、この写真を撮れる人はそういないだろう。
■
長い暗闇の中、この旅の始まりを思い返す。
逃避行のようなこの旅を、なぜ始めたのか。
4年間携わったプロジェクトが終わった。
それはアプリゲーム内の企画の一つ。
一年以上、下積みをしてようやく勝ち取ったポジションだった。
多くがコネで責任者が決まる中で、
下から全ての作業を担当経験がある者が、
叩き上げで上がるのは自分だけだった。
他の大きなプロジェクトの延期に伴って、
代打で打たれた小さなプロジェクトだった。
しかも、過去放棄されたものを再度復活させる引継ぎのプロジェクトでもあった。
最初は、とにかくなめられ、プレッシャーもかけられた。
スタッフの取り合いが激しく、「あの人使えませんから」と言われていたスタッフを一人借りてスタートした。
自信を無くしたスタッフに自信を持たせ、担当作業に誇りがもてるように工夫した。
最初、状況は悪く舐められ、嫌味やプレッシャーが聞こえてきたが、この仕事で”自治権”を得るつもりで休みなく遅くまで仕事をした。
スタッフには必ず定時に声をかけ帰ってもらったが、彼は職場で一人だけ無遅刻だった。
上司に仕様の変更をお願いし、質問返しで圧をかけら却下された。
上司はアプリをろくに起動しておらず、プロデューサーとも連携をとっていなさそうだった。ユーザーから見て変えるべきな事は明白だった。
一つ上の上司を飛ばして他の連携をとるのは封じられていた。
納品前、年末の寒い夜だった。
賑わう街の中でカプセルホテルのお風呂だけ入り、だれもいない職場に向かう時、ふと心に決めた。
身を削って作ったものが悪い状態でだすぐらいなら、
仕様を変更してだそう。
仕様書を書いた人に恨まれるだろうけど、嫌味や小言を言われるような小さな変更ではなく、月のない夜にナイフで刺されるくらい、きっちり恨まれよう。
人を恨むほど真剣にこの仕様書を書いたのなら、死んだとしても嬉しい。
仕様から大きく変更して納品した。
すぐに、上司のほうに人がきて、すこし騒がしかったが。
こちらには何も話が降りてこなかった。
その日、スタッフと2人でささやかに打ち上げをした。
後日、人づてに納品したものが社内で好評だったと知る。
リリースされるとユーザーにも好評でSNSなどにも話題になった。
スタッフが担当した部分も評価されていた。
プロジェクトは大きくなり、他のプロジェクトもいくつか携わることになっていったが、スタッフ不足は変わらないままだった。
プロジェクトは続いていくが育てたスタッフを取られるようになり、いらないと言われたスタッフがうちに来ては評価され、他にとられる事を繰り返すようになっていく。
自治権を得る為に最初は踏ん張っていたが、いっこうに仕事は楽にならずユーザーからの期待は大きくなっていった。
他のプロジェクトでは、もめ事が絶えず2,3か所で起き。
自分のプジェクトで要望があっても反映されない事が続いていく。
規模が小さいうちのプロジェクトは後回しにされ、
大きいプロジェクトが常に優先された。
そのうちに他のプロジェクトの責任者やスタッフたちは、
仕事よりも政治的アピールばかり盛んになっていき。
いかに自分が頑張ってるか、
いかにだれが怠け者か、
行動を伴わない批評、
解決する気がない問題点列挙大会。
なにかミスをすると、くどいイジリ芸。
話の流れに同調圧力をかけて「わかってない」
プロジェクトリーダーの責任追及大会。
上も下も、次々と人が離れ、政治がうまいものが残っていった。
よく深夜まで、他のプロジェクトリーダーと残業をした。
一緒に深夜までやっていても半年もすればリーダーを辞め。
また新しいリーダーと深夜まで残業する。
そして、半年すればまた新しいリーダーと残業し、半年すればまた新しいリーダー。
悪者を探すのが大好きな人が多く、あるリーダーはひどい言われようで降ろされた。
上司は同じ椅子のまま、リーダーがコロコロ変わり続けた。
上司は外注組織の財布と人事、上からの連絡、急所を握っていて離さない。
全ての企画の始まりに関与しているが、アプリをやっていない。
企画の始まりにリーダーは入っていない事が多いが責任追及はされる。
この上司が降ろされる事はないまま、リーダーたちだけが彼の愚行知っていた。
私は自分のプロジェクトにを愛していたから最後まで続けた。
しかし、プロジェクト最後の仕様は酷かった。
コロナの影響で会議がなく、自分が知らないまま仕様が決まって渡された。
仕様を作成した人も、よくプロジェクトの事がわからずに書いたようだった。
プロジェクト最後となるのでユーザーの期待は大きかったが、それを応えるものではなく軽んずるような内容だった。
修正ではなく、方向性から一から作り直さないと、ユーザーの期待には応えられそうになかった。
しかし、これほどの大幅な修正をただでさえ厳しい納期のなかでやるのは厳しかった。
仕様の構築はむずかしく、前に3か月リテイクがかかり、その間納品できず、無収入になり。カード、電気、ネット、ガス。それぞれ止められた事があるほど追い詰められた事もあって上司の許可を取るのが怖くなっていた。
大事なプロジェクトの最後だが、一から直す勇気が持てず。
現状を維持したまま直すことにした。
自分で自分の育てたプロジェクトに泥を塗るような仕様で、
毎日に怒りがこみ上げたが、気晴らしに歩くこともできず、普段飲んでなかったアルコールが増えていった。
さらにコロナ中の仕事はうまくモチベーションが維持できず、弱い仕上がりが続いて悪い空回りがつづいて、納期がどんどん迫っていた。
コロナでスタッフの交渉もしづらくなり、途切れ途切れに在宅でやってもらっても仕上がりが悪く。こちらで直すことも多かった。
まとまって継続的に入ってもらうた人を求めていたら、
他のプロジェクトから、職場のフロア全体に聞こえるほど大声でリテイクをくらい続けた人が、入ってくれる事となった。
大声でリテイクしていた人は彼の担当作業を経験した事がない人だった。それほど、全体を把握できるリーダーが職場に減っていた事でもある。
うちに入ってくれた彼は、最初は仕上がりがぼんやりしていたが、なにが欲しくて何が要らないか明確に示して、すこしでも良ければ呆れられるくらい褒めた。
在宅なので、優先してほしい事と時間があったらやって欲しい事を分けてはなすが、すべて時間内にこなしてくれた。
最後のほうは、自分のほうがへばっていたが、彼のほうがモチベーションが高くなっていき本当に支えてもらった。
そして、納期がきて納品して。
打ち上げもなく4年間のプロジェクトは終わった。
仕上がりはいい部分もあったが、内容そのものが悪いままだったので。
手ごたえは今までに比べて最悪だった。
すこししてリリースされると、ユーザーの評価も悪かった。
身を削って自分の愛したものに泥を塗る事をしてしまった。
正気でいるのが辛く、慣れないのに気持ち悪くなるほどお酒を飲んだ。
前の彼女の看病でうつ病の対処の仕方を知っているはずなのに、
対処せずに狂っていたかった。
仕事を再開するべきだが
もうあの上司のもとで仕事はしたくない。
今はただ歩いていたい。
私は、旅の計画をはじめた。
40分近く歩き体も冷えてきた頃、出口が見えた。
トンネルを抜けるとき安心感と、まだトンネルにいたい寂しさがあるのは不思議である。
トンネルを抜けると外は晴れていて暑かった。
しばらく、歩くと頭からの汗が止まらなくなってきて、
度々、目に入ってわずらわしい。
岩内町につきホテルを探す。
一件目に向かったホテルが営業しておらず、
ビジネスホテルに泊まる。
中は綺麗ですぐに風呂と洗濯をした。
相変わらず足の裏が痛くて、丸いモノを足で転がすマッサージを試す。
これがかなり効いた。
足の裏は限界を超えていたが、
まだ帰りたくなかった。
■12日目終了 歩いた距離 40km
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