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「でも、だって、どうせ」を捨てる方法
「でも、そんなの無理だよ。」
「だって、今の状況じゃどうしようもない。」
「どうせ、私にはできないんだ。」
こんな言葉が頭をぐるぐる回って、前に進めないと感じることはありませんか?
こういった言葉は人の行動する意志を阻害する言葉です。この言葉を使って先に進めなくなっている自分に気づき、自己嫌悪に陥ったことがあるという人も多いのではないでしょうか。
ただ、安心してください。それは決してあなたが弱いわけでも、怠けているわけでもありません。
そもそも人という生き物は不安を感じたときや、自信を失ったとき、自然と「できない理由」を探してしまう性質を持った生き物なのです。
やったことがないことをする、いったことがない場所に行く、新しいことに挑戦するー
自身に経験のないことは、誰だって不安に感じます。不安に感じると、人は自然と「やらなくていい理由」を探すものです。やらなくていい理由が見つかれば、人はチャレンジすることを諦めてしまう。
諦めることで、経験のないことを避けるとこができるのです。
つまり、でも・だって・どうせは危機から逃れる本能が慣れる生物としての性のようなものだともとらえることができます。
危機から逃れることは悪い事ではありません。そのこと自体を咎めたり、自己嫌悪に陥ったるする必要はそもそもないのです。
ただ、チャレンジしないことによって立ち止まったままでいると、視界はどんどん狭くなっていきます。これは人生においてデメリットでもあります。
そして、生物的に但しことだとしても「でも」「だって」「どうせ」に閉じ込められたままでは、どうしても心は重たくなり、そのうち動けなくなってしまいます。
そんなとき、テキトピア教では「とりあえず」という精神をおすすめしています。
▼テキトピア教…?なんそれ…?という方へ▼
「でも」の次に続くのは、「とりあえずやってみる」かもしれません。
「だって」と言いたいときも、「とりあえず一歩進んでみる」でいいんです。
「どうせ」が頭をよぎるなら、「とりあえず違う視点で見てみる」を試してみてください。
多くの場合、でも・だって・どうせの気持ちの先には「完璧にやり遂げなくてはいけない」「失敗をしたくない」という気持ちが裏に隠れています。
なにかにチャレンジするとき、完璧である必要なあるでしょうか?
そんなことはありません。完璧じゃなくてもいい。失敗したっていい。そもそも挑戦するきっかけも動き出すタイミングも、テキトーでいいんです。
だって、それはすべて他ならぬあなたのために与えられた人生という時間だから。
たとえば、家事が山積みで動けないなら「とりあえず1つだけ片づける」でもOK。
仕事がうまくいかなくて動けないなら「とりあえずお茶を淹れる」でもいい。
そんな小さな「とりあえず」が次の一歩につながり、結果的に「動けない自分」を救うきっかけになることもあるのです。
自動車や自転車を運転する時、一番エネルギーを使うタイミングは「最初の一歩」です。動き出しの最初のエネルギーはとても大きなものなのです。
でも、車輪は一度回ってしまえば、あとは割とスムーズに進んでくれるものです。
物事を決めるということにおいても同様です。最初の一歩は精神的にも肉体的にも大きな負担がかかるものなのです。
だからこそ、その負担を少しでも「負担と思わない」心を育てることが、自分の人生を広く自由に生きるための第一歩なのかもしれません。
テキトピア教では、どんな状況でも「完璧を目指さない」ことを大切にしています。失敗したらそれも一つの経験。動けなかったら休んだ日として記憶に残せばいい。人生は、いくらでもテキトーにやり直せるんです。
だって、あなたはあなたで完全に自由な存在だから。
テキトピア教典には、「とりあえず」を活用した考え方や、心の負担を減らすためのヒントがたくさん詰まっています。「でも」「だって」「どうせ」に悩む日々から抜け出したい方は、ぜひ一度教典やテキトピア教の教えをのぞいてみてください。
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完璧じゃない毎日こそが、あなたの人生を彩る大切な一部なのです。今日も「とりあえずやってみっか」という気持ちを味方につけて、あなたの今日をゆるやかに進んでみませんか?