「あるものさがし」をするということ
Xで『ないものさがしをやめてあるものさがしをした方が幸せになれるんじゃないか』という投稿を見かけました。
この考え方、すごくいいなと思います。なので、今回はこの「あるものさがし」にテーマにnoteを書いてみようと思います。
私達は人生において、何かが「足りない」と感じることばかり考えていませんか?
もっと時間があれば
もっとお金があれば
もっと才能があれば……。
でもその「ないものさがし」を続けていると、いつの間にか心が疲れてしまいます。人の欲望は底なし沼の大飯喰らいです。手に入らないものを追い求めると、まるで終わりのない砂漠を歩き続けるような感覚に陥ることもありますよね。
ただ、「ないものさがし」をやめると、驚くほど気持ちが楽になります。けれど、ただやめるだけというのは人の性で難しいものです。代わりになにか自分の心・思考を埋めてくれるなにかが必要になってきます。その代わりが「あるものさがし」です。
今そこに存在しているあなたは、空虚な存在ではないはずです。生まれてからここまで、色々なことを思い、経験し、乗り越えてきました。
ここまでの人生においてすでに持っているもの、感じられる幸せ、目の前にある小さな喜び。それを探し始めると、意外とたくさんの「ある」が見つかるものです。
たとえば、晴れた日のおだやかな空、ふと飲んだコーヒーのほっとする味、友だちや家族との何気ない会話。
「あるもの」とは別に特別なスキルや他者と比較して優位であろうなにかである必要はないのです。
特別なものでなくても、あなたの日常の中には「あるもの」がたくさんあふれています。そして、それを意識するだけで、ほんの少し心が軽くなる瞬間が生まれます。
もちろん、「ないもの」に目を向けたくなる気持ちは自然なことです。あれが欲しい、こうなりたいという欲求は悪ではありません。
ただ、その「ないもの」ばかりに目を向けてしまうと、まるで自分が無価値な存在であるように思えてしまったり、自己肯定感が損なわれるリスクもあります。
ないものを見て自己否定をするだけではなく、今あるものもちゃんと見てあげると、自分の中にある「満たされている部分」を感じられるようになるでしょう。
それは、自分自身を肯定する一歩にもつながります。
テキトピア教においても、「あるものさがし」はとても大切な考え方です。自分の中にすでにある心地よさや、目の前に広がる自然の美しさを見つけることで、無理せず、気楽に、テキトーに生きることを提案しています。
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教典には、「何かを手に入れるために頑張る」ではなく、「今の自分に満足する」ための考え方がたくさん書かれています。たとえば、日常のちょっとした楽しみ方や、心の余裕を作るヒントなど、どれもテキトーに生きるための手助けになるものばかりです。
もし「ないものさがし」に疲れたら、少し立ち止まって「あるものさがし」をしてみませんか?
テキトピア教の教えを通じて、自分の中にある幸せを一緒に見つけていきましょう。その第一歩として、教典やホームページをぜひのぞいてみてください。きっと、心がふっと軽くなるヒントが見つかるはずです。
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