視野を広く持つってどういうこと?
私はこどもの頃から、考えが偏っていたと思います。
臨機応変に動くことができなくて、Aだと思ったらAしか考えることができなくて、友達や先生からBという選択肢があることを言われて
「あ、そうか・・・」と行動を変えるような子でした。
何回も同じようなことを繰り返していたので、先生にも友達にも呆れられたような表情で見られていたのを思い出します。
社会人になって初めての職場は、手術室の助手業務でした。
お昼休みに、看護師も助手も一緒に休憩をとるんですが、休憩場所が奥まった狭いところにあり業者のひとが来たらまず出ていくのは助手でした。
ある日の休憩中に、業者の人が来られて入口で「すみません」と言っているのに話に夢中になって聞き逃していました。
そのときは、助手の先輩が気づいて出てくれましたが、看護師の1人が私の顔を見て
「気を使いや。自分から動いていかなあかんのんやで」と言われました。
また、あるときは
看護学生になって病院実習のときも、実習記録を見せた時に引率してくれる先生からも
「大竹さんは視野が狭すぎるのよ。」
と言われました。
気を使う?視野が狭い?
精いっぱい気を使っているし、視野も広げるように勉強しているのになんでまだ言われるんだろう。
と、思いながら更に気を使っているとしんどくなって、私ってなんでこんなに頑張っているのに気が利かないんだろう。と自己嫌悪に陥り投げだしたくなるということがありました。
(あのころは生きづらかったな・・・。)
と昔のことを回想しながら考えていました。
ふと、なんで生きづらかったんだろう?と思い考えてみることにしました。
・うつむいていることが多かった
こどもの頃はいじめられていたこともあり、うつむいていることが多かったです。
うつむいていると目線が下がって見えるのは地面です。
子供のころは、目の前があまりにもつらい世界で直視できずにいました。
うつむいていると、人の動きを読めずに、流れに乗り遅れてしまうことも多くなります。
いわゆる、空気が読めない人になりやすいなと思いました。
・自分のなかの独り言が多かった
言葉には出さない独り言が多かったと思います。
頭に中が言葉でいっぱいだと、思考に意識が集中して周りの音が聞こえにくいことはないでしょうか?
自分のなかの独り言のことを心理学の言葉では内的対話といいます。
内的対話をしている人は自分目線で世界をみて、良い・悪いの判断を自分でしてしまい偏った考え方になるパターンが多いです。
先入観は自分の想像で創られるということを知らないときは、目の前にある情報がすべてと思い込んでいました。
今となっては本当にこわいなと思います。
・目の動きが少なかった
うつむいて考え事をしていると、目の動きは止まることはないでしょうか。
特に昔のことを考えたり、落ち込んだり、仕事のときは集中しているため目の動きは狭くなります。
そのときだけならいいですが、考え事が多かったり、落ち込むことが多くなると日常生活でも同じように目の動きが少なくなっていきます。
私の経験上、目の動きが少ないと考え事(悩み事やネガティブなこと)を探す傾向があるのかなと感じます。
気がつく人になるには・視野を広げるためには
①顔をあげる
顔を上げることで、景色が変わります。
人の動きもあるので、自然と気づくことができると思います。
②目線を広げる
集中しているときの目線はど真ん中の一点を見つめていることが多いです。
目線を広げる習慣をつけると、自然と気づいたり視野が広がっていきます。
目線を広げるには、
・両目ともに左右の目の端をみること
・テレビを見ているとき、CMになったらテレビから視線を外してテレビ画面をみる
・人混みを歩くとき、遠くの上の方を見て歩く
(意外と人にぶつかりません)
③目をきょろきょろさせる
眼球が動くと、視野は広がります。
顔を動かしたらいいのでは?と思うかも知れませんが目の後ろから伸びている神経は後頭部のつながっていて記憶や考える部分と深くつながっています。
目を良く動かしている人は、気がつくとともに柔軟な考え方をする人が多いように思います。
以上のことを実践していると最近、気が付くことが多くなってきたように思います。
気が付くことで、周りのひとのお困りごとをお手伝いすることができることと気配りもできてくるんだなと最近思うようになりました。
もっと気配りができるようになって職場の雰囲気を良くしていけたらなと思います。