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LSD

※ファンタジーですのであたたかな目でご鑑賞下さい🌈🦄


あなたは、LSDを服用した際に起こるトリップ体験を、経験したことはありますか?

気分がハイになるイメージをお持ちだと思いますが、その作用の中で、自身のコンディションやマインドの関係でネガティブなベクトルにある場合、「地獄世界」だとか「永遠世界」とか「破滅的な世界感」とかいうと陳腐でありきたりに聞こえるけど、恐怖体験や不安を感じる事があるかもしれません。

まぁあなたがそれを服用しなければいい話、と思うかもしれないけれど、あなたはやってしまうかもしれません。

私にこの話を聞いてしまったから。

そんな不気味な世界を望んでいる訳ではなく、そうならない事を確認したくて、やってしまうと思う。

そしてあなたは、その病的作用が慢性的に続く間、意識の中に広がる物騒な世界観を、後悔しながら眺めると思う。

自分でそうしていることに気付いていても、その作用に苛まれそれから逃げられない。

でも大丈夫、その作用は効き目が切れる

そして時間とともにその記憶は徐々に薄れていく、そしてしばらくしてまたその機会に直面すると、なぜああなったのかを確認しようとする。

それはおばけ屋敷に入って、最初は余裕の表情を浮かべていたのに、いざ入ってみるとめちゃめちゃ怖くて後悔し、それを終わりまで体感するが、出てからしばらくすると「おばけ屋敷結構面白かったな、なんであんなに驚いていたんだろう」と思い、また安易に確認してみようとするそれに似ている。

それが1つのエンターテイメントとして確立しているのだけれど、おばけ屋敷に何度も入っていると流石に慣れてしまう。

LSDとおばけ屋敷とでは次元が雲泥の差で違うが、そのロジックをLSDに当てはめると分かりやすい、LSDを服用した経験があるほど、その世界感に耐性がつく。

「慣れる」と言った方が適切だろうか。

だが実際私は、トリップに慣れていない、私の意識する世界にはネガティブな感情が多い、まだ考え方が拙く下手くそで全然慣れていない。

このバッドトリップというものを、少し掘り下げていこうと思う。簡易的に言うとバッドトリップというのは、自身の思考がネガティブ感情にあり、その状態からなかなか抜け出せずにいる状態と、ここでは理解していただければいい。

バッドトリップに陥る要因として、人間の判断能力における所で、1つの物事に対してそれを行動に移すモーションまでに至らず、やろうかやらないか迷ってしまい、それをずるずる長引かせてしまう思考停止状態になり、その永遠のジレンマから抜け出せずに悶えている場合がある。そこはやるときはやる、やらないなら次のフェーズに移っていくことの方が建設的だと思った。

もう一つ思うのが、目的意識が不明確だからだと思う、ふと自分が今何をしているのか存在意義を問う事がある。その哲学的なラビリンスの中で頭を悩ませる。

私は時にバッドトリップに陥りネガティブな感情から抜け出せずにいる時、地獄世界のような体感を覚えるが、それは人間にある煩悩(ぼんのう)つまり迷いの元や心身を悩ませる欲望が働き、その作用するベクトルがネガティブな感情にあるとき、バッドトリップに陥るのだと推測している。

そのロジックの根本にあると思われるのが、猜疑心(さいぎしん)という人を妬み、疑う心によるものではないかと思う。

その猜疑心により自身の妄想が膨張し、暗躍を始めたら、もうそこは地獄のような世界になる。

これは恋愛などに当てはめてみると分かりやすい。自分が好意を示す人に対して、浮気などの疑う心を持ち、ありもしない事を不安からか、過剰に妄想してしまい、その妄想は自身を苦しめるものになる。

そのような経験に身に覚えはないだろうか?

私はこのような疑心暗鬼の状態に何度か陥ったことがある。

その状況で私が見た光景は、いつも普通に接していた友人が、人間の皮を被った悪魔に見えたり、現実味の無い世界感を感じたり、抽象的ではありますが自身で感じる思考の中での話、いわゆる幻覚の様な作用を感じる事がありました。

その時は本当に夢であってほしいとも思うほどに精神的に支障をきたしていて、それは自分の頭の中で作り出された、妄想の世界でした。

その作用の中で偏執病的な感覚をもよおしました。

後になってから思い込みというものは、怖いものだと思い、私は自分で作り出した世界を自分で味わって苦しみ、精神的恐怖体験を目の当たりにするのでした。

その愚行を払拭する為に、私はこの世界を自身で、より良いものにしていきたいと思っている。

考えている事が自分でもよくわからず、混沌とした状況に陥り、不安で悶える際の経験から学んだ対処法を改めて振り返りたい。

私はトリップを探求して間もない頃、そのネガティヴなマインドに陥った時、何度かこう思った事がある、「なんでまたここに来てしまったんだろう」と、先程も触れた様にその経験の記憶は、時間とともに徐々に薄れ、また安易に確認してしまう傾向にあり、そしてその悪夢の様な作用に気付いた時にはすでに遅し。この永遠のループをも感じさせる自分の行動に、また落ち込んでいく人間ほど皮肉な事はない、だが一般的な人間というものは、感情の変化はつきものだと思う。すぐにマインドを切り替える能力を養いたい。

バッドなマインドになると不安や緊張からか、興奮し困惑する、そこで重要なのが思考の転換だと思う。

例えば煙草を吸ったり、飲み物を飲んだり、行動から気分を変えるのは、やっていて凄くいいと思った。体を横にして目を瞑り、リラックスしようとするのも有効だと思う。

だが、このバッドトリップになる根本的な原因と向き合う事が、この世界をより良くする、重要な鍵なのではないだろうか。

自分を落ち込ませる理由、状況というものを見つめて、そこからどう打開し改善出来るのかを自分自身で分析し、自分自身で改めてみるのは向上していく過程で、ポジティブになっていく秘訣だと確信している。

しかしネガティブな感情の火種となる猜疑心、煩悩、(妬み、疑う心)を無くそうと思っても難しいのではないでしょうか。

ましてや私が今、得意げに提唱しているこの思想ですら、たかが20年少し生きただけの、未熟で発展途上の人間の一説でしかない。この説を全て鵜呑みにしてしまうのは、非常に良くないと思う。疑う事も忘れてはいけない。

この人間が感じる感覚というもの自体、受け手によってその時の心境や感受性で、感覚に生じる外界から受ける印象、感じ方、捉え方というものは異なってくると思う。

なので自身で見ている世界が全ての人に当てはまるわけではない。

だからこそ疑う心を持ち、この事柄の部分的な共感や肯定的な箇所だけをピックアップして、自身の役に立てて頂ければ私としては幸いです。

疑う心があるからこそ、騙されずにその様な人間からの災難が回避できる。猜疑心がもたらした不安が解消された時の喜び、というのもある。またその安堵とは対象に、不安になる場合もある。このことからその状況に応じて一律ではない事がわかる。

一般的な人間の情緒だ。

その上下する情緒の振り幅が、LSDによって可動域が大きく変化するという見方ができる。

このLSDを服用して精神に異常をきたしているとは思えない程、けろっとしているつわものを稀に見るが、彼等はLSDに耐性が付いていると言わんばかりに、LSDの世界感が普通になっている。

LSDを服用した彼等を観察していると、動きに無駄があまり無い、俯瞰の目で物事を判断し、且つ日常的な行動を、然も何も感じていないかの様に、スムーズにこなす落ち着きがある。

私だけがこんなに、行動に支障をきたす程思考に変化があるのだろうかと、不安になる。

その病的作用の中で平然な様子の彼等は、それに慣れているとしか言いようがない。

そこでその状態に慣れることに意味があるのか?

と、疑問に思った方もいるだろう。

その意味を問われた時答えるとすれば、

「危機回避能力の向上」

といったところだろうか。

この非日常的な逆境にあえて身を置くことで、そこで起こるイベントやアクシデントを、臨機応変にこなしていき、冷静さや物の捉え方を覚えていくのだと思う。そこで感じた達成感充実感の感情の大きな変化に、多幸感を感じる。

それがLSDの魅力の一つかもしれない。

LSDは好き嫌いが別れるドラッグだと思う。

MDMAやDXMといったドラッグなどに比べ、個人的に感情のコントロールが難しいと思ったからだ。

このLSDに慣れた彼等は、LSDのある人生を遊び慣れている。日頃のパニックに慣れているので、ちょっとやそっとのアクシデントには屈しない、こんな事は落ち着いて冷静に対処すればどうって事はない、というスタンスで一般的にパニックになり立ち往生する土壇場を、彼等は遊び感覚で冷静沈着に対応出来る能力に長けている。この人達は、パニックに慣れているなと感じる節が私にはある。

人生を生きていく過程の中で、その様な能力向上的部分が、LSDの醍醐味なのだろうかと感じる。

具体的に言えば生きることに負荷をかけて、自身を養うドーピングの様なたぐいだと思う。

要約すると一種の精神修行と解釈している。

これには自身を鍛える、という趣旨がある。

だがこれはあくまでも一個人の見解で、率直に自身で感じたありのままの感覚を、随筆文として表現しているので、前述にもあった様に、万人の方に該当するとは限りません。そこだけご了承下さい。

しかしこの私の見てきた記憶も、LSDによる思考作用により構築された、ただの妄想だったとしたら。

このLSDの本質に触れることに対しての探求心はより深まるばかりで、客観的に見ると、精神世界を永遠に流浪し続ける、底なしの脱線ゲームをしている様にも感じるだろう。

だが私はそこから人生においてのポリフォニーを感じ、その中で畢生の能力を得られていると感じるからこそ、LSDは面白いものだと思っている。

ここまで見ていただき、本当にありがとうございました。

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