中学歴史教科書 自由社VS学び舎 1.強制連行・強制労働(2)
学び舎の側注の河野洋平元官房長官談話の中に慰安所とか慰安婦という言葉があります。かつては、慰安という言葉はごく普通に使われていました。例えば従業員をねぎらうための慰安旅行とかです。しかし、「従軍慰安婦」ということばが、ある時から教科書に載るようになり、またあるときから消えてしまうのです。理由はそもそも戦争当時、慰安婦ということばはありましが、従軍慰安婦ということばはありませんでした。つまり戦後に誰かが作った言葉なのです。
またこのことばは、おとなの男女関係を意味することばですので中学生諸君の年代にはふさわしくない、つまり道徳上よろしくないということもあり教科書から姿を消してしまったわけです。
ところが学び舎は、今でもこの用語を教科書に載せているわけです。
かつて「従軍慰安婦」の記述が最初に中学歴史教科書でつかわれるようになった、平成9年、国会で教科書の記述は、事実なのですかという意味の質問がされました。これに対し大臣が回答しています。少し難しい用語を使っていますのでやさしくいうとこうです。「従軍慰安婦」という用語が、複数の辞書などに載っていることや、広く社会一般に用いられていることから、教科書でもその用語を認めているところです。このことは、辞書の記述が正確であることに責任を持つことを意味するものではありません。」と。また、「いわゆる従軍慰安婦問題に関する政府調査においては、発見された公文書等には、軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接的に示すような記述は見られなかった。」と答弁したのです。このことはとても重要なので、学び舎も談話の下に米印をつけて記述しています。
なかったことを証明するのはとても困難ですので悪魔の証明とよく言われます。ではなぜ広く一般に従軍慰安婦という新しい用語が、広まり、辞書にのるようになったのでしょうか。
誰が従軍慰安婦の宣伝を始めたのでしょうか。
それは、平成4年(1992年)2月に、福島瑞穂社民党議員のご主人の戸塚 悦朗という弁護士資格を持った人が、スイス、ジュネーブの国連人権委員会(後の人権理事会)に行って、従軍慰安婦問題と戦時労働者の強制連行問題を訴えたからといわれています。武漢コロナで中国寄りだと問題になったのは、WHOという国連組織でしたが、国連人権委員会にわざわざいって日本軍はこんな悪いことを女性にした。強制連行した、女性の人権を踏みにじった。その責任を今の日本政府はとるべきだと世界中に訴えたわけです。彼は、「性奴隷」ということばも宣伝のために作ったといわれています。
アメリカの元ニッキ・ヘイリー国連大使が、この国連人権理事会で、「偽善的で自己満足のための組織、人権侵害国の擁護者で、政治的偏見の汚水槽」といって激しい表現でこの理事会を批判し、脱退したいわくつきの国連組織です。また、3年後の平成7年(1995年)1月には、日本弁護士連合会が、「『従軍慰安婦問題』について「歴史教科書へ事実の記載は、不可欠である」と発言しました。どうして弁護士会が教科書に口をだすのでしょうか。実は、産経新聞の記事によれば、この日本弁護士連合会は、北朝鮮の影響を強く受けているといわれています。奥様の福島瑞穂さんは、社民党の前進、旧社会党にいて、当時社会党は、北朝鮮による日本人拉致事件はなかったと言い張っていました。拉致被害者やご家族にはつらいことだったでしょう。わが国の国益は大いに損なわれたと言ってよいのではないでしょうか。
彼女は、最初に日本軍の慰安婦だったと名乗った金学順さんの担当弁護士の一人でした。金さんがNHKテレビに出演する時も一緒で、話す内容は、すべて彼女が指示していたことが後で明らかになりました。苗字が異なるのは夫婦別姓を主張しているからです。お二人だけでこんなことができるでしょうか。お金と大きな組織がバックになければできないのではないでしょうか。