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兼業作家の時間術⑦私の発達障害サバイバル
(文責:伏見瞬)
「顔の広さ」はどこから?
タイトルを裏切りますが、今回は時間術ではなく、社交術の話です。
私の半生から、「コミュニケーションが苦手な人間はどうやって社交性を身につけるか?」を考えていきます。
私は、文筆の仕事を始めてから、よく「顔が広い」と言われるようになりました。
人から言われるまで「顔が広い」と思ったことはありませんでした。でもたしかに、私にはライターや編集者はもちろん、音楽家・小説家・映画監督・劇作家・美術作家・デザイナー・経営者などの友人がいます。そこには、有名な賞を取っていたり、世間で知られていたりするような作家の方も含まれます。
文化産業の多分野に広く知り合いがいるという点で、たしかに私は顔が広い。文学フリマのような催しに出店すると、知人・友人への挨拶で一日が終始したりします。
幅広い仕事が飛び込んでくるし色々な情報を得ることができるので、顔の広さが私の仕事の武器になっているのは間違いありません。
しかしながら、私はもともと大変にコミュニケーションが苦手な人間です。
先日、映画『ファースト・キス』を観たのですが、主演の松村北斗さんは古代生物学者の役(※)で、もう一人の主演である松たか子さんに向けて自分の好きな古代虫の話を延々と続けるシーンがあります。松村さんの役は、他人が見えていない、人とのコミュニケーションがうまく取れない人として描かれている。今風の言葉でいえば「発達障害」の傾向を感じさせますし、その傾向は二人の結婚生活が破綻する一因になっています。
※正確には結婚を期に学者の道を諦めて会社員になる役なのですが、タイプスリップものである話の筋を細かく説明すると脱線が大きいので簡略化します。
映画の中では、そうした発達障害的傾向も半ばチャーミングに描かれているのですが、実際に他人が見えていない人間はもっと面倒な問題を抱えます。
そう、発達障害的な問題を抱えていたのは私自身で、10代から20代まで非常に重たい時期を過ごしました。
ASD✖️名声欲は最悪
私は、「ASD傾向がある」と医師から診察を受けたことがあり、長年付き合っているパートナーからも「ASDだね」とずっと言われていました。そうした診断名を得たのはここ4,5年のことです。それまで、特に10代の頃は、なんで人とうまくいかないか、なんで人から嫌われるのか、理解できなかった。今ならよくわかります。
以前にも書いた通り、私は昔から有名になりたい・人気者でありたいという心情を強く持っていました。この傾向は、ASDの性質と掛け合わさると最悪の結果を生みます。自分の好きな話ばかりして他人との距離感がわからないのに、声が大きく目立とうとする。自ずと嫌われていきます。
具体的な例を一つあげるとわかりやすいかもしれません。
中学生の頃に、あぶらとり紙というものが世に出ていました。私はオイリー肌なので、顔の油脂がよく取れました。その油脂を吸ったあぶらとり紙の模様が面白くて、友人に見せつけていました。半年くらい後になって、友人から絶縁宣言を食らった時に、あぶらとり紙を人に見せるのは気持ち悪いという言葉も含まれていました。言われるまで、それが「気持ち悪い」と認識されているとは、中学生の私は気づかなかったのです。
あとは、まわりの友人の様子や人気のお笑い芸人をみていて、「人をいじったり悪口をいったりするのはかっこいいんだ」という認識を得て、そこまで親しくない人をいじったりしていました。そんなことをしたら嫌われるのは自明の理ですが、当時の私には他人の気持ちが全く分かっていなかったし、テレビ番組が「お約束」の上で成り立っていることも勘付いていませんでした。
このような恥ずかしいエピソードが、いくらでも浮かんできます。
中学生の後半で、ようやく自分のコミュニケーションはなにか間違っているんだと気づきます。しかし、どうすればいいかがわかりません。「悪口を言わない」という指針を立てましたが、それだけで事態は改善しない。高校生の頃も、大学生の頃も、私はまわりから浮いていて、友人関係をうまく築けないことに苦しみ続けていました。
変化のきっかけ
ようやく、人並みの付き合いができるように感じられるのは20代の中盤です。その辺から、多くの人とそれなりに楽しい会話ができるようになっていきます。
何が変わったのか?
もちろん、人との会話のうまくいかなさに苦しむ中で、色々学んできたことがあります。二度と繰り返したくないたくさんの失敗のなかで、自分なりのルールや身体知ができあがったとも言えます。
しかし、それだけではない。私のコミュニケーション不全を改善できるきっかけは、自己啓発書やビジネス書を読んだことでした。
それまでに、私はたくさん本を読んでいました。大学生になった直後に周囲を溶け込めず、好きだった同級生に気味悪がられるようになったころには、なんらかの救いを求めてヘッセの『デミアン』を必死に読んでいました。
在学中に、ドストエフスキーもニーチェもフロイトも大江健三郎も三島由紀夫も読みました。まぁ、一般的なインテリ文系大学生と言っていいのかもしれません。そうした本は好きだし、今でも読みます。
しかし、そうした古典的な書物は、人と円滑にコミュニケートする方法を教えてくれませんでした。
音楽が好きだった私はバンドで成功したかったので、卒業後はとりあえず残業が少なそうな会社に入りました。
しかし、入社してから、そこでの業務が全く向いてないことがわかりました。他の人に比べてスピードも遅いしミスも連発する。
しかも周囲はヤンキー的な、休日にはパチンコ行くのが当たり前みたいな人たちに囲まれた環境。
周りからは冷たい目で見られだし、非常に苦しみます。
その頃。ずっと、自己啓発書は詐欺みたいなものだとなんとなく馬鹿にしていたけど、是が非でもどうにかしないといけない一心で一冊の本を手に取っていました。
『「人たらし」のブラック心理術』という本でした。
コミュニケーションの基本を学ぶ
いかにも胡散臭い、自己啓発臭がぷんぷん漂うタイトルですね。
しかし、手にとって読んでみると、なかなか馬鹿にできない。
これは、人との上手な接し方について書かれた本でした。
本にはこのような項目が並びます。
・〝性悪説〟を信じて行動せよ
・人間関係では、〝細かいこと〟こそ気をつける
・人に会う前に、「舞台」を整えておく
〝性悪説〟を信じるとは、人の関係は脆弱であり、親しい仲でも驕るな、という意味です。
人間関係は「善」より「悪」に流れやすい、だから親しい仲でもサービスを心がけようという話をしています。
〝細かいこと〟というのは、挨拶であったり、ちょっとした冗談に笑って返したりといった、小さな出来事こそ気を配ろうといった話。
「舞台」を整えるとは、相手を迎えるに相応しい環境を作っておこう、話してる時に携帯電話をみないように、みたいな意味です。
…「ブラック心理術」というより、「人間関係の基本」じゃないですか?
この後、疲れてるときや空腹なときは不機嫌になりやすいから人と会うのを避けようとか、笑う時はきちんと声をだそう、みたいな具体的なアドバイスも出てくる。
私が感銘を受けたのは、「嫌われたらリカバリーは難しいから諦めよう」という話でした。一度悪い印象を持たれるとリカバリーは非常に難しくなるのは実験結果でも出ており、無理に回復しようとしても得られるものは少ないという。データや実験の結果を論拠に持ってきているのにも、気持ちよく説得されました。
この本を読んだ後、私は別の部署に移るチャンスをものにして、それ以降の人間関係はかなり円滑になりました。
また、同時期にTwitterを通して知人・友人が増え、大きい読書会などにも顔を出し、色々な人との付き合いが増えていきました。
この時期に知り合ったのが、YouTubeチャンネルとこのnoteを一緒に運営しているてけくんだったりします。
質より量の社交術
本を読んだからといって、全てがいきなり解決したわけではありません。
本に書かれてる内容を実践するのが大事です。
効果のない方法は「自分には向いていない」と外していったり、効果的だと思ったらより洗練させていったり。
別の悩みが出てきたら他の方法を試したり別の本を読んだりと、知識と行動の積み重ねで少しずつ変えていきました。
もともとが相当にコミュニケーション不全だったので今でも問題がないわけではないはず。でも、学生の頃に比べたら、はるかに充実して楽しい日々です。
『「人たらし」のブラック心理術』で特に役立ったアドバイスは、「長くしゃべればしゃべるほど、信頼感は強まる」というものです。
話した内容ではなく、話した会話の量で信頼度が変わる。これもテキサス大学の実験で導かれた結果なのですが、たしかに、人に会って話した時間が長いほど、信頼は出来上がっていく。
質より量を大事にした方がいい。
「顔が広い」と私が言われるのは、興味を持った人とはなるべく会って話して、長い時間を共有しているからだと思います。
人と会う時間は、「時間術」としてケチらない方がいい。
むしろ、色々な人と会う時間を中心に、スケジュールを設計していきましょう。
そうすれば自ずとチャンスが回ってきたり、人からの刺激で新しいアイディアが生まれる。人との付き合いや情報収集から、リスクを減らすこともできる。
話を長くするのにも技術がいるのはたしかです。ですが、ひとまず人に会いに行くことはできる。
その時間は、たとえうまく話せなかったとしても、無駄にはなりません。
両極の効用
検索してみると、「発達障害と自己啓発書は相性が悪い」という内容の文章を多く見かけました。しかしそれは、「本を読みさえすればうまくいく」という思い込みだとうまくいかないという話で、実践を加えれば社会生活に有効であることは変わりません。
そう考えると、難解な哲学書や古典的な小説も役には立っています。私が自己啓発書やビジネス書を読んでも全部を鵜呑みにせず「使えるところだけ使おう」という態度でいられるのは、その前に色々本を読んでいたからです。
私は大学の卒論でフランスの文筆家ジョルジュ・バタイユについて書きましたが、バタイユの思想は話のスケールがデカすぎる&キリスト教神学とヨーロッパ哲学が背景にある&実践するには破滅的なことばかり書いている、ということで日常的には全く役に立ちません。そもそもバタイユは、役にたつこと=有用性という概念を批判した人でもあります。
しかし、普段の日々から感じ取ったものを別の観点から見るための力をくれるのは間違いありません。
すぐに論旨を理解できる直接的に役に立つ本と、何を言ってるかわからない日常にすぐ応用できない本。この両極を行き来する。
両極の行き来は、二つの仕事を行き来する兼業生活ともつながりますし、人といる時間と一人の時間をどう行き来するかの社交のバランスにも繋がっていくものです。
以前に書いた「行きと帰り」の話にも繋がってきますね。
おまけ:オススメ本と読まなくてもいい自己啓発書
もしかしたら、今回は多くの方にとっては余計かもしれません。
本なんか読まなくたって人と付き合うこともできるという人もいるでしょう。
しかし、私のように言葉でヒントをもらえないと他人と関係を作れない人もいます。
さらに、兼業生活は他の会社員と違うことをしている分、社交術をうまくこなす必要が出てきます。
そういう時、自己啓発書やビジネス書から社交を学ぶことは、決して馬鹿にできません。
もちろん、中には役には立たない本もありますので、最後に私が読んでよかったと思ったもののリンクをいくつか貼っておきます。
こちらを参照してもらえれば幸いです。
ちなみに、役に立たなかったものだと『仕事ができる人は知っている こびない愛嬌力』という本はダメでした。
「愛嬌力」を全然示せてなくて面白くないし、実践的でもありませんでした。
というわけで、色々読み漁る中でよかった本を紹介しているので、信頼できるラインナップだと思います。
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