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【あとがき】夏の恋☀️1991 シークレット・オブ・マイ・ライフ

読んでくれた方と、わかいかたと、わかくないかたたちへ

 みなさんは『夏への扉』という、ロバート・A・ハインラインによるSF小説を読んだことがあるでしょうか。作者は読んだことがありませんが、物語の季節は夏、タイムスリップもの、青春小説、ではないかと想像しています。

 本作は、『夏への扉』を下敷きにしています。読んだことがない本を下敷きに書いたのは初めてのことです。

 登場人物や舞台である首里について、これらは全て実在しています。実在しているものを、見て写すようにして文章にしました。基本的に作者はこのようにして書きます。

 登場人物については、そのまま書くのが憚(はばか)られる場合は(そのまま書くのであればそのまま書くと当人に事前に通知するべきです)、部分スケッチを混ぜるようにして書きました。たとえば、お嬢という人物は実在します。チョッキン・オーケーという人物も実在します。しかし、お嬢もチョッキン・オーケーも、もう随分長いこと会っていません。連絡先もしらないし、そもそも生きているのかどうかもわからないのです。

 そこで、それぞれの実体・実像を3分割、4分割し、それらを混ぜて書くことで、実在のお嬢ともチョッキン・オーケーとも違う、フィクションの、いわゆるキャラクターとして、サンプリングするようにして書きました。

 この方法は、便利だなと思いました。

 便利ではありますが、これは書く人が自在になり過ぎる感じもするので、できるだけ注意を払いました。ここで注意を払うというのは、舞台の、首里については全て実在の場所や店舗をそのまま写生するように書いたということです。

 ですが、例外が一つだけあります。桃子の父親の借りた、アパートというのがそうです。これは完全に架空の場所です。架空の場所をこしらえることはせず、桃子と父親と女の暮らす広いマンションの、桃子の部屋でもいいのではないかと思いましたが、何となく別のアパートというのが出てきて、何となくそのまま使用することにしました。

 この、何となくというのは、本来であれば厳しく排除するべき書き方なのですが、何となく残してしまいました。というか、意図的に残しました。すべてをコントロール下において書くよりも、極く一部においてのみ「何となく」は配置するべきだと、作者は考えているからです。書く者が一から十まで分かって書くものは、何となく余韻に欠けるような気がします。

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 蛇足のような文章を書き加えたのは、読む人に、自分の書き方というものを伝えたかったからです。自分、というか、この書き方はオーソドックスな、伝統的な書き方だと考えてます。

 どうして書き方を伝えたかというと、みなさんにも、書いてほしいからです。読むのももちろん大事ですが、同じぐらい? 書くことも大事です。

 みなさんには、ぜひ書いてほしいと考えていますし、それを期待もしています。 


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#創作大賞2024

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