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【お盆特別企画】祖母に「JJたすけて!」といわれた話

 エポナさんの記事を読んで思い出したことがあるので書きます。


 曾祖母や祖父母の死についていちいち書くと八百八十八万文字ぐらいになるので、今回は父方の祖母の。とはいえ、その死に向かう前兆から話すとこれもまた八千万文字ぐらいになるので、いろいろと省略する。

 この祖母は、戦時中疎開とか、出稼ぎとかいう複合的な理由で、大阪にいたらしい。紡績工場のようなところにいて、同じ年代の、若い娘たちと寮生活をしており、すごく楽しかったとのこと。空爆でおそろしい思いもしたが、「戦争中が、自分の人生ではいちばんたのしかった」と言っていた。

 と、こういう話をすると、はなしはいつまでも終わらないわけであり。

 この祖母の父という人は、布哇(ハワイ)に渡った日系一世であり、渡って、向こうでも家を為し、結婚もして子どもも作って、その後理由はわからないけれども故郷に帰って、また結婚したのである。この二度目の結婚の、次女として生まれたのが私の祖母、である。次女かな。三女かもしれない。兄さんなのか弟なのか(祖母から見て)、何人かの男は戦争で死んだり、それとは関係なく祖母の姉は子どもを産んだときに発狂して神女(ノロ)になったりした。

 こういう話をすると、切りがない。

 現代文明を生きるわたしたちには、時間がない。結構忙しい。

 求められるものは短時間で、効率がよいもの。

 おそらく(悲観的に考えると)、わたしたちは人とつながりたいとも思っていないかもしれない。エクスタシーというなまえの薬があるらしい。薬なので、おそらく個人で、個々人で投与でき、効果が得られると思われる。

 祖母が死ぬすこしまえ。祖母はもうあらゆる苦しみを全身に受けて、苦しみは施設の職員や自分の生んだ子どもたち(とくに生んだ女の子ども)にぶつけているようだった。

 父は唯一の長男なので、おそらく祖母は遠慮をしていた。父の息子である私は唯一の長男の、その唯一の長男だったので祖母は相当遠慮をしていたと思う。

 ある日、施設に見舞いに行くと、祖母は正気を失いつつあった。こういうことはよくあるらしい。父の妻(私の母)はこういう狂気をよく見ていたらしい。

 しかし私は、祖母の唯一の長男の、そのまた唯一の長男であったのでこんなに動転した祖母を見るのは初めてであった。

「JJ、たすけて」

 と祖母は叫んでいた。私は驚いて、おどろいた。

 ど、どうしていいかわからない。祖母はベッドに車のついた、ぐるぐるの台車みたいなのに横になって、どこかに運ばれていった。

 あ、という間なので。私は何も言わなかったし、言えなかった。

 それからちょっとして祖母は死んだ。

 人は、自分が生きていたいと思えばいつまでも生きられるらしい。という話をきいたことがある。おそらくそれは本当だろうと思う。

 祖母は「たすけて」といったあのとき、もう死にたいと思ったのだとおもう。おそらくね。

 その祖母が死んで7年がたった。つい先日七回忌もした。

 うーん。どうだったんだろう。お盆なので、祖母と話がしたいな。

 というか、祖母の作った中身汁がなつかしい。豚の内臓でつくった汁物。ものすごくあわい味わい。生姜を擦ったのを、たっぷり入れて、たべる。

 祖母の中身汁がのみたい。

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