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【読書感想】「反知性主義」とは何なのかー説教師とラッパー、あと東洋の「反知性」の在り方について

「反知性主義」を生んだのはアメリカである。日本における「反知性主義」の報道のされかたや、その言葉の使い方を見ると、何となくネガティヴな要素が強い。どちらかというとルサンチマンの表出のような感じで使用されている。

反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』を読むと、その正体はもっと複雑である。そこには高学歴で裕福なエリート層への単なる恨みつらみだけではなく、知性と権力が膠着した社会に対するアンチ・テーゼがある。

 この本を読んでの感想は、「反知性」と「知性」を分断してはならないということである。ある程度の知性を持ちながら、権力とか膠着した構造に収監されない、反骨、批判精神、いわゆる「反知性」を持つ。否定はしない。この世のあらゆることには良いものも悪いものも、それなりに必然的な理由がある。その理由をさぐりながら、悪いものに対して、時には大きな声で「わたしはそうは思わない I do'nt think,this or that」と述べることである。必要なのは。

反知性主義と宗教のからみを論じた文章に出てくる「巡回牧師制」と言うのが興味深かった。引用する。

メソジスト教会の発展
(前略)
 また巡回牧師制とは、それまでのリバイバリズムで活躍した「自称」巡回説教者を正式に採用したものである。西部では、人びとが広い地域に点在していて人口密度が低いため、従来のように一定の教区を決めてその住民に伝道したのでは効率が悪い。そこで、馬に乗って各地を回り歩く牧師を任命し、広い地域を担当させることにしたのである。

 伝統的なピューリタン牧師は、一度赴任したら生涯そこにとどまる。たいてい町で一番大きな邸宅である牧師館に住み、人びとの尊敬と高給を得ることになる。しかしメソジストの巡回牧師には、まったく違う境遇が待っていた。彼らは、雨風をものともせず旅を続ける。ひどい嵐の夜には「こんな時に戸外にいるのは、カラスかメソジストの説教しぐらいのものだ」と言われたくらいである。

(中略)
 米国メソジスト教会の創始者フランシス・ベアリー(1745-1816)は、フィラデルフィアに到着した翌日から巡回伝道をはじめ、馬の背に揺られて三〇万キロを旅し、一万七千回の説教をしたと言われている。夜は寝床があればましな方で、野宿もすればノミだらけの皮布一枚を敷いて寝る時もある。彼らの催す集会は、礼儀正しいひとばかりが集まるわけではない。なかには乱暴をはたらく者や、はじめから酔っ払っているような連中もある。騒動になれば刃物も鉄砲も飛び出す。それでも、開拓者の家族がまだ幌馬車から荷物を降ろしている頃、最初にやってきて挨拶をしてくれるのはメソジストの説教師だった。

 そんな百戦錬磨の彼らであるから、話が面白くないはずがない。庶民的でわかりやすく話さなければ、たちまち野次が飛んでくる。巡回伝道は、駆け出しの説教者にとっては厳しい実地訓練の場であり、成功した説教師にとっては最高の晴れ舞台なのである。

本文147ページ~148ページ
馬の鞍こそわたしの説教壇

 この文章を読んで、連想したのはラッパーである。

 ヒップホップは貧困層の黒人のストリート文化から生まれた。楽器がないので、みすぼらしい音声再生装置でいい感じのビートを流して、暇なのでみんなで身体をうごかした。ろくな仕事もないので体力も余っていたのだろう。やがてこの音に合わせて、なにやらしゃべる人たちがあらわれた。場をことばで仕切るひとたち。MCである。ラップというのはどこか説教くさいところがある。そのことばがおもしろくなければブーイングされ、そうでないなら喝采される。その淵源は、おそらく18世紀頃の説教師たちにまで遡れるのではないかと思う。

 アメリカは、膠着したヨーロッパの文明・文化にうんざりした人びとが遠路はるばる船に乗って新たにつくった、有史以来の人類の歴史上では比較的新しい国である。そのはじまりから、古い伝統に反骨精神があった。新しい大陸・土地で理想の国をつくろうという理念があった。

 しかし、建国からしばらくすると、というか建国というは何からなにまであたらしいことばかりで為すことはできない。なのでヨーロッパから持ち込んだ制度、思想、知性を土台として、やがて元の木阿弥のような、わたしたちが以前にやったことの繰り返しがやはり起きた。ヨーロッパVer.2のような現象が支配的になった。おそらくヨーロッパに近い東海岸において顕著にその傾向が見られたと思う。

 なのでその権威から零れ落ちた人たちは荒野に。西へ。月は東に日は西に、太陽を求めて人びとは西に向かった。その西にも、もともとは豊かな文化はあったのだが。原住民の。まあ、それはここでは措いておく。

 信仰心のあつい善男善女もいたろうが、どこの馬の骨ともわからない粗暴な人たちもいた。彼ら彼女らは黒人や有色人種の奴隷を連れてそれぞれの理想郷を目指して西へ、西へ走った。大草原に小さな家を造り、聖書読んだ。

 出自や個人の性向に導かれて現在のアメリカ全土にひろがっていった。先述したがそれらの人びとに神の声、真実の声を伝えるために説教師たちも全土に散らばっていった。

 そして出来上がったのがアメリカという国だと思う。元々自分の土地ではない土地を開墾するので、あらゆる場所で戦いが行われた。原住民や、ときには主義主張を異にする同胞?との間で。戦いは武器を持って行われる。これは文明の特徴である。あらゆる文明の先鋒には武器が必ずある。

 文明自体には目的はない。文明は人の理想や妄想を内燃にひろがっていくが、いわゆる理想とか理念というのとは別の境地で自動的にまだ自分の土地ではない場所を無理矢理自分のものにしようとする。

 文明が先に未知の大陸・土地に侵入する。そこでは文明の発展具合によって勝敗が決する。武器の優劣、方位磁針と計算と計画の具体性によって劣るものは負けて奴隷となり、勝ったものは根城を築いてその場所を支配する。

 誰もが支配層になれるわけではない。支配層は征服した土地で「平等」の教育を行い、遅れてきた文化を利用して付会して強力な地盤を形成する。新しい思想・あたらしい理想郷。しかしそこから零れ落ちるものたちは必ずいる。零れ落ちたものたちはまた新たな未開の土地に向かうか、支配層が必要とするダーティ・ウォークを担って裏の顔になる。

 西洋文明と西洋文化の正体は、こういうものだと思われる。

あとがき
(前略)
 ここまで書き終えて、最後に残るのはやはり日本をめぐる問いである。

(中略)
「日本に知識人は存在するか」という問いはよく聞かれるが、その答えは「日本に反知性主義は存在するか」という問いに対する答えと即応しているようである。(中略)教育社会学の竹内洋は、反知性主義が「きわめてアメリカ的」であり、日本にはあからさまな反知性主義も生まれず、逆に強力な知性主義がなければ、それに対抗する反知性主義も生まれず、逆に強力な反知性主義がなければ、知性主義も練磨されることがない。どちらも中途半端な日本にあるのは、「半」知性主義だけである(後略)

271ページ~272ページ

 このあと、著者は「剣道」を例に挙げて現代日本における「知性」と、「真の反知性主義」の出現の可能性について触れている。

 この指摘は間違っていないが、もうすこし付言すると、日本という島国においてだけではなく、もうすこし視界を広げるひつようがあると思われる。「知性」「真の反知性主義」というこの文字に注目するとよい。この目に見えるそもそもの文字はどこから来たか。

 現在、地球上の殆どを支配している西洋文明を見直すためには。

 いや、もっとひろく文明を考え直すには、文化について早急に考え直す必要がある。

 勿論西洋にも文化はある。それも素晴らしい文化がある。これは否定のしようがない。しかし、現状、西洋の文化は、西洋文明を批判する力はもうほとんど持っていない。なぜか。彼の文化はほぼ完全に文明に取り込まれているからである。別のことばで言い直そう。西洋の文化は、ビジネス(文明)と骨がらみになっている。全部とはいわない。しかしほぼ全部がそうなっている。

 私は日々西洋の文化をたのしんでいる。享受している。音楽、文学、映画、演劇などなど。私の暮らす東洋のちっぽけな島国の、さらに小さな島は、西洋とは物理的に距離がある。なのでその距離を埋めるためにどうしても文明の力を必要とする。インターネット、サブスクリプション、マスメディア、ロジティクス、核兵器、日米陸空海軍による安全保障、アメリカを筆頭にする圧倒的な西洋文明という力に守られて快適と便利と金銭的な余裕を貪っている。時には、いや、今もまさにどこかこの島では同胞たちの娘が強姦され、傷つけられ、涙をながしている。また文明の矛盾に苦しむ軍人たちは怯えている。「たたかう覚悟」「国のためにイノチを賭ける」という馬鹿げた老人の戯言に翻弄されながら。

 いちおう確認ですが。東アジアの、いや世界の安全とか、平和というのは、無料ではありませんよ。勘違いしないでね。

 弱い人たちの犠牲の上に成り立っています。それが、文明の正体です。それが今、わたしたちが生きている世界の有様です。

 これでいいですか?

 私はいやです。

 私は必然的に東洋の、この島に生まれたみたいです。だから、今こころがけているのは、できるだけ、生まれた場所に関する情報を集めようと思っています。古今を問わず。物理的にちかい場所にある文化について蒐集し、それを元に考えていこうと思っています。

 東洋です。西洋については、ほぼ絶望しています。だから今自分のいるばしょの歴史や、そこにのこされたことばを読もうと思っています。

 文字や、ちかくに暮らす人々と話して聞いて、なんとか打開策を練ろうと、そう思い、考えているのです。 

 

◇引用・参考文献
『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(森本あんり 新潮選書2015年2月20日)

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