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【わたしのヤヴァイ思想】スピリチュアル? 唯一無二というはありません。松尾芭蕉、ニュートン、アインシュタインというひとたちも本質的にはいません。
私の文章は、私が書いているのでわたしっぽいわけですが、本質的にいうと、私というのは常に変化したり、もともといなかったりするので、私の文章というのはありません。
私が書かなくとも、誰かが書く。文章というのはそういうものであります。
あんた何言ってるの? とよく言われるのですが(友だちとか家族とか妻から)、なんでこんな簡単なこともわからないの?と私は思うのです。逆に!
たとえ話をします。
古池やかはづ飛び込む水のおと
というのは、松尾芭蕉の発句です。有名ですよね。この、五・七・五をさいしょに発見したのは松尾芭蕉です。いちおう、最初に発見したから、松尾芭蕉さんは有名になり、のこった感じなわけです。のこったのこった。
しかし、かりにこの五・七・五の組み合わせを松尾芭蕉が発見しなかったとしても、確実にほかのだれかが発見しました。これは数学的にかんがえれば、一目、瞭然であります。
同じように。
ニュートン
引力を発見したひとです。林檎が落ちたのを見て、ん?と思ったのがきっかけ、だそうです。初めて引力を発見したのは、ニュートンさんです。有名な話ですよね? 知ってましたか。
かりにニュートンが引力を発見しなかったとしても、確実にほかのだれかが発見したはずです。これは物理現象学的にいって、当然なのであります。
アインシュタイン
この人は相対性理論というのを唱えました。有名ですよね。べー、と舌を出した写真がかわいい人です。有名。しかし有名なわりに相対性理論というのは、理論的にいってよくわからないですね。何言ってんの、あんた、みたいな。
アインシュタインがもしかりに相対性理論というのを唱えなくても、相対性理論的にいってほかのだれかが唱えました。これは相対性理論的にいって完全に確実な事実であります。
だから、であるから、そういうわけでして、
松尾芭蕉もニュートンもアインシュタインも、本質的にはいないんです。そーゆーこと。それな。
だから、私の文章というのも、本質的には、ない、のであります。
私が書かなくても、だれかが書くんです。まったく同じものを。宇宙は百何十億年という、歳です。だそうです。ヤヴァすぎる。宇宙。
だから、まったく同じことが、まったく同じこととして、起こるんです。確実に。だって百何十億っすよ。
これは、ニーチェも指摘していますし、般若心経というものを読むと、そういうことが書いてあるわけです。
何言ってんの?
と思うわけですが、はっきり言って、しかし、ニーチェの指摘や般若心経に書いてあることは、あながち間違いではないのではないかと、私は思うんです。いない私が思うし、いるわたしもそう思うわけですな。
ま、そんな感じです。
何言ってるか、わかりましたか?