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一日一書一画③

さて、3回目です。

本日は11画~15画。
10画台が一番漢字の種類が多いので選び放題でした。
なので今回は全部臨書。まぁ意臨(雰囲気を拡大して書く臨書)もありますが、全臨です。

臨書だと楽ですね~~。
今ツイッター(www.twitter.com/teika_higuchi/)と
インスタ(www.instagram.com/teika_h/)
では20画台で、しかも画数多すぎて臨書対象の文字が無いから創作でヒーヒー言ってます。

臨書と創作では四倍ぐらい知力体力時の運が持ってかれるように感じます。

11画「動」
平安時代・離洛帖(臨)・藤原佐理。草書。

佐理は忘れっぽい性格らしく、謝罪文の作品ばかりが残っています。
天皇を待たせたエピソードもあるほどのうっかり屋さん。
『如泥人』という異名がつくぐらい常に泥酔していたそうな。
そんな生活から普通は三跡には選ばれないと思うところ、残りの二人、藤原行成と小野道風が絶賛したことにより無事三跡の仲間入り。

まぁ、それは置いといても、彼の迷いのない伸びやかな謝罪文字は晴れ晴れとした筆致で名筆です。

12画「敦」
BC100~・居延漢簡(臨)。隷書。

1900年代、木簡を発見したのはなんとスウェーデン人のスウェン・ヘディン探検隊。場所は砂漠のど真ん中です。
実は中国は砂漠地帯なのですよ。
本来木簡は現代では発見できないとされてきました。
土に埋まった木は2000年経てば表面の文字などボロボロに腐っていると思われていたからです。
それが砂漠では当時のままで大量に発見できました。
砂漠には水分がなかったため腐らなかったんですね。
主な発掘地は居延・敦煌・楼蘭の三ヶ所となりました。

スウェーデンには木簡の博物館もあるらしく、ぜひ一度訪れてみたい場所です。

13画「群」
BC100~・楚帛書(臨)。篆書。

帛は絹のこと。当時はまだ紙の製法が成立していなかったので、素材は石か木か布でした。

楚帛書は丸みがあり横長で隷書への移行期だということが良くわかります。

というか可愛い。楚帛書可愛い。コロンとしてべらぼうに可愛い。
書道の古典の中でも一二を争う可愛らしさだと思うわけです。

14画「像」
501年・鄭長猷造像記(臨)。楷書。

造像記とは像を作った由来の石碑のこと。像造記群がある龍門は世界遺産にも登録されています。
造像記は異民族国家・北魏が製作しました。
整った字形も多いのですが、異民族なので誤字脱字も多い。
特にこの鄭長猷造像記は字がギリギリ崩れるか崩れないかを(意図的かどうかは分からないが)攻めている一品。
また、造像記は筆感よりも掘りを意識した文字なので、やたら文字をとがらせたり、点を3角形で書いたりとなかなかユニークな作品です。

15画「歓」
1018年・白楽天詩巻(臨)・藤原行成。行書。

白楽天は白居易の別名。白居易は長恨歌を制作したことでも知られています。

藤原行成はしっとりしつつも筆の弾力があり、文字も大柄でかといってやり過ぎ感の無い、真面目さのにじみ出る雰囲気がとても良い書家です。
藤原道長と同時代に生き、藤原道長と同じ日に亡くなりました。

私の臨書はかなりイマイチでしたね。
ぎこちなさがダメダメです。

伝・藤原行成の仮名作品はかなり多いのですが、後付けの『自称・行成作品』が大半で、仮名で彼の作品だと確定しているのは……あったかな??

さて、以上5文字でした。
今回は読める文字が多かったのではないかと思われます。

年末の歓喜の歌はどんな状況で迎えられるかな。

では次の16画~20画でお会いしましょう。

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