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孤軍奮闘する者達へのエールー論語「徳は孤ならず、必ず隣有り」

こんにちは、ともしびnoteの雅です。
先日、安岡定子先生の論語講座に参加してきました。

私は定子先生の語り口がとても好きです。
いつかしっかり論語を学びたい、読みたいと思うきっかけとなったのが、定子先生の著書『実践・論語塾』です。論語に興味があっても、なかなかそのきっかけがない、初めて論語に触れる方にはお勧めです。

今回は、その論語講座で教わった章句を取り上げたいと思います。


論語「徳は孤ならず、必ず隣有り」

今回取り上げるのは、『論語』の「里仁篇」にある言葉です。

「徳は孤ならず、必ず隣有り」

論語「里仁篇」

徳人は孤立せず、必ず理解者や協力者が現れる。
という現代語訳です。

この「徳」とは、ただの善行や道徳心を指すものではありません。孔子が言う「徳」とは、リーダーとして人々を導く資質、すなわち 「他者を思いやり、誠実で正しい行動を取る力」 を意味します。

徳人は、その誠実な振る舞いによって、自然と周囲の人々の信頼を得ていきます。たとえ目に見える形ではなくとも、その行動を見ている人は必ず存在し、支え、「隣」という理解者がいるということです。

孔子が求めたリーダーの姿「徳」

孔子が言う「徳」とは、単に善行を積むだけではなく、 「自らの行動で周囲を良い方向に導く力」 を意味します。例えば、日々の仕事に誠実に取り組み、人に対して思いやりを持つことで、その姿勢が周囲の人々に信頼感や影響力を与える。これが、孔子が求めたリーダーの姿です。

孔子が遠くの国で要職に就いている弟子たちへのエール

「徳は孤ならず、必ず隣有り」という言葉には、孔子が遠くの国で要職に就き、孤独の中で奮闘している弟子たちに送ったエールが込められています。

孔子の弟子たちは、各地で役職を与えられ、国や地域を治める重要な役割を担っていました。しかし、当時は戦乱の世でした。新しい土地や文化に飛び込み、理想を掲げながら政治を行うことは、簡単ではありません。その中で、時に孤独を感じ、くじけそうになる弟子たちに向けて、孔子は励ましの言葉を送りました。

「孤立しているように感じても、あなたが誠実に徳を積み続けるならば、その姿勢は必ず周囲に伝わる。そして、あなたを支えようとする理解者や協力者が現れる。」
これが、この言葉に込められた孔子のメッセージです。

孤独な経営トップやリーダーたちへ

この言葉は、現代の経営者やリーダーたちにとっても心強いメッセージになるのではないでしょうか。
トップに立つ人は、常に孤独と隣り合わせです。判断の責任を負い、周囲の期待に応え、先を見据えた決断をし続ける日々。そんな中で、時には孤軍奮闘しているような感覚に陥ることもあるでしょう。その心の奥にある孤独感を決して口にすることはできませんし、ましてや部下に言えないものです。

しかし、孔子の言葉は、そんなリーダーたちにこう語りかけています。

「貴方の誠実な仕事ぶりを必ず見ている人はいます。」

孤立しているように感じても、あなたが積み重ねている行動や誠意は、周囲の人々に伝わっています。そして、その姿勢に共鳴し、支えようとしてくれる、理解者の「隣」が必ず現れるのです。

今、報われていないと感じている人たちへ

孔子の「徳は孤ならず、必ず隣有り」という言葉は、リーダーだけでなく、すべての「誠実に仕事をしている人」へのエールでもあります。
報われていないと感じるとき、私たちはつい「自分の努力は誰にも見られていない」と思いがちです。

私自身、若い頃にはそのように感じていました。
特に20代、30代の頃は、結果を出し、報酬やポジションという形で報われている人たち(私がそう見ていただけですが)が羨ましくて仕方ありませんでした。

一方で、自分がしている仕事は目に見える成果が分かりにくいもので、周囲からの評価も思うようには得られませんでした。
「なぜ自分だけが報われないのだろう」――そう思うことも何度もありました。
しかし、その「くさりそうになる気持ち」を何とか原動力に変え、続けてきたのだと思います。

誠実な姿勢は必ず誰かに届いている

そして、孔子の言葉が教えてくれます。

「その誠実な姿勢を必ず見ている人がいる。」

たとえ直接的な形で報われなくても、誠実に取り組むその姿勢は、必ず誰かの目に映り、意味を持っています。
その努力は、今すぐには結果に繋がらないかもしれません。それでも、信じて続けていれば、いつか必ず別の形で実を結ぶ時が来る。孔子のこの言葉は、そう語りかけてくれるようです。

今読むと、グッとくるものがあります。20代・30代で知らなかったこの言葉に今、励まされいるような気持ちにさえなります。

「誠実に生きる」ということの価値は、年齢を重ねるごとにその重みを増していくのだと、改めて感じます。報われていないと感じるすべての人に、この言葉が小さな光となって届くことを願っています。

私自身も、誰かの「隣」となって応援する

「徳は孤ならず、必ず隣有り」という言葉は、リーダーや誠実に生きるすべての人たちに向けた励ましであると同時に、 私たちが誰かの「隣」として存在することのも教えてくれます。

ここで言う「隣」とは、単に物理的に近くにいる人のことではありません。その人の努力や誠実な姿勢を見守り、時にはさりげなく支え、そっと寄り添う存在のことです。
「隣」であることに気づかれなくても構わない。その人が見えないところで、努力を認め、応援し続ける。それが孔子が説く「隣」の意味なのではないかと感じます。

誰かの「隣」であり続けること。それは、目に見える形でなくとも、確実にその人を支える力となります。このnoteが、読んでくださる皆さまにとって、その小さな「隣」となれれば幸いです。

ともに孤軍奮闘する方々へのエールとして心を込めて。