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思い出す時 【書きたくなる場所 01】

 ‐ このマガジンについて 
喫茶手紙寺分室のマガジン【書きたくなる場所】では、手紙寺のメンバーそれぞれが手紙を書きたくなる場所について綴ります。喫茶店あり、街中の雑踏あり、それは自宅や旅先の風景の中にあるかもしれません。

こんにちは。手紙寺の勝田です。
マガジンのトップバッターを務めるのにあたって想いを馳せた結果、「書きたくなる場所」というマガジン欄なのですが、「思い出す時」というお話しをさせていただきたいと思います。

私は30歳の時、二度ほどとある大学病院に入院をしました。ハードな仕事とストレス、食生活の乱れもあり、大きく体調を崩してしまったのです。
入院中はしっかりと療養することができ、退院することになりました。しかし完治までにはいたっておらず、その後も自宅療養が必要でしたので、電車等で帰ることも出来たのですが、退院日には両親が車で迎えに来てくれました。

いざ後部座席に乗り込もうとドアを開けたとき、驚きました。
座席に布団が敷かれていたのです。
退院前に私が「まだ痛む」「めまいも起こりやすい」と言っていたことを覚えていたからでしょう。座って帰れるだけでも十分なのに横になれるように布団まで敷いてあったのです。
しかも平日だったので両親とも仕事を休んで迎えに来てくれていたのです。

時を経て、私も子を持つ親となり、車で実家へ帰省する際、この大学病院の前を通ります。
その度に、あの退院時の光景を思い出します。

当時の私は自分のことで精一杯で、感謝の言葉もそこそこにその車に乗り込み横になっていました。きっと「親ならそのくらいやってくれるだろう」くらいに思っていたのでしょう。

親となってはじめてわかる子に対する想い。
私が「親ならやってくれるだろう」も分かったうえで、両親はやってくれていたのでしょう。
そこには何の見返りも求めずに。

写真 2021-05-07 18 36 57

当時の写真ではないのですが、幼い日の父と自分です。


この大学病院の前を通るたびに考えることがあります。
今の父は認知症となり会話が繋がらないときもありますが、若いころの働いている後ろ姿を通して寡黙でありながらも芯が通った生き方を私に見せてくれていた父であったことに出会い直すことができます。
認知症の父の世話をしている母の姿を通して、時に厳しく朗らかであった母であったことに出会い直すことができます。
そして両親の姿を思い出すことで、両親から願われていた私であることに気付き直すことができます。

当たり前の話しですが、両親、祖父母、曾祖父母といったご先祖様がいなかったら今の私は存在していないということ。そのように繋がれてきたいのちの中に私はいま生きているということ。

私にとっては車の中から見える一瞬の風景ですが、そこからじわじわといつも心に染みわたるように言葉や想いが広がってくるのを感じることができる、とても大切にしていきたい瞬間だったりします。


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勝田 裕人 | 手紙寺 代表
小1と幼稚園年少の子を持つ2児の父。子どもから「ポケモンのパンを帰りに買ってきて」と、毎日のように頼まれています。


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