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【2024年の旅を振り返る前編】2024年3大旅を振り返る



2日間に分けて2024年今年も旅について振り返ります。2023年版を読みたい方はこちらをご覧ください。

2024年は1月の東日本太平洋側縦断旅、5月の北海道横断旅、8月の東日本日本海側縦断旅を中心として、12月前半までに、21都道県を巡りました。

他にも、行きは北アルプスを横断し、帰りは岐阜県を縦断した10月の富山旅、静岡私鉄めぐり旅なども印象に残っています。

前半では、2024年元日に決めていた3つの大がかりな旅について話します。

東日本太平洋側横断旅

1月、北海道東日本パスを活用し、東京から奇跡の一本松を目指して東北地方の太平洋側を縦断しました。

行きは常磐線を北上する

東京駅から常磐線に乗って仙台市に向かいました。途中、日立市、いわき市、双葉町、浪江町に寄りました。

日立市では、日立駅で降りて、海の見えるカフェ、日立市立科学館を訪れました。なぜ、日立市が工業都市として繁栄しているか学びました。

いわき市では、小名浜港、湯本温泉で降りました。

小名浜港では、メヒカリなど常磐灘ならでは海の幸を味わいました。アクアマリンふくしまで、サンマなど、福島県沖の海を観察しました。アクアマリンふくしまでは、釣り、缶詰作りなど、さまざまな体験もできます。

湯本温泉は、元々、炭鉱で栄えました。閉山後、邪魔もの扱いしていた温泉を観光資源として活用した結果、街の繁栄を保ちました。硫黄の香りが漂いつつ、塩の力により、上がってもポカポカ感が続く温泉でした。

東日本大震災の爪痕が今も残る

翌日、双葉町、浪江町に行き、震災後の復興状況を目で確かめました。浪江駅周辺は2017年、双葉駅周辺は2022年、避難指示は解除されました。双葉町は、ようやく時が進み、新しい街づくりが行われていました。

浪江町は、生活拠点として歩みを進めています。イオン浪江店は衣食住のライフラインになり、道の駅は、町外からも人を呼び寄せる施設になりました。浜通りを中心として福島県の名物が道の駅なみえで売られていました。

陸前高田では、1本だけ津波に耐えた「奇跡の一本松」を眺めました。柳津から先、海に近い地域では、東日本大震災の津波により、線路も流された場所がありました。バスに切替が行われました。震災時から残された建物を車窓から見えます。

陸前高田まで北上後、東京へ戻るとき、ルートを変えました。帰りは、東北本線を軸として寄り道しながら旅を続けました。

米沢経由福島市

仙台市から福島市へ普通電車で行く場合、東北本線を利用することが一般的だと思います。今回はあえて、仙山線、奥羽本線を経由して福島市まで戻りました。米沢市に寄ることが目的でした。米沢市では、米沢ラーメンと米沢牛を味わっただけではなく、上杉鷹山による米沢藩の財政再建策も学びました。歴史を学ぶことにより、日常でも生かせるのではないかと考えました。 

福島市へ行く途中、峠駅では、明治時代から続くスタイルで売り子さんが法被を着て販売していました。1000円のため、おつりが出ても渡しやすいです。

1週間かけて陸前高田~東京間を往復する高密度な旅になりました。

東日本日本海側縦断旅

8月、新潟市から日本海側を縦断して札幌市へ向かいました。4日間かけて青森市まで移動しました。

東日本日本海側縦断旅は2020年から検討していました。しかし、新型コロナウイルス流行により2度延期しました。2024年夏、ようやく実現できました。延期していた4年間で、新潟市、鶴岡市、酒田市、秋田市を訪れました。今回は、訪れたことのない場所を立ち寄りつつ、青森市に向けて歩みを進めました。 

未踏の路線を活用する。

2024年は、山梨県、長野県を経由して新潟県に入りました。飯山線を利用して千曲川沿いを北上しました。長野市から千曲川(信濃川)に沿って新潟市を目指しました。

夜、新潟港からフェリーを利用して移動しました。東京から夜行バスを利用する方が安く済みます。しかし、新潟市までの道のりを楽しみたかったこと、船旅を楽しみたかったことから、あえて船旅を利用しました。目を覚ましたら、秋田県に到着していました。

男鹿半島を巡る

秋田県に上陸後、男鹿半島に向かいました。なまはげ、ハタハタについて学びたかったからです。真山神社、男鹿水族館GAOに行きました。

真山神社の麓にあるなまはげ館で、なまはげの歴史を学びました。男鹿真山伝承館では、真山地区に伝わるなまはげの風習を体験しました。

入道崎では、北緯40度の通過標識をみました。

男鹿半島の岩肌の色の変化、火山活動によって誕生した独特の地形に魅了されました。 

津軽半島を巡る

翌日、津軽半島に向かいました。津軽半島は前回、青森県を訪れたとき、大雨により断念しました。今回は、リベンジのために行きました。

途中、大館では、秋田犬と青ガエルに会いました。青ガエルは、2020年まで渋谷駅のハチ公の横で観光案内所として働いていました。第3の人生は休憩所として利用されていました。目の前はのどかな芝が広がっていました。

碇ヶ関温泉という熱い湯に浸かるところから津軽半島の旅が始まりました。太宰治ゆかりの地、金木では、太宰治が過ごした家を巡りました。五所川原市では、立ちねぶたに圧倒されました。津軽半島ならではのグルメも味わいました。

奥羽本線だけではなく、津軽鉄道、弘南鉄道を利用しました。田んぼアートは上から観る価値があります。田んぼアートは年々進化するため、毎年観ても飽きません。

北海道横断旅

北海道横断旅は、5月、8月の2回に分けて実現させました。5月、根室から札幌へ向かい、8月、青森から新幹線で函館に上陸し、札幌へ向けて鉄道を乗り継ぎました。

函館

函館市では、五稜郭公園、函館山の夕方の風景も見学しました。五稜郭タワーから観られる五稜郭の星形、函館山から見える函館の地形は脳に刻み込まれました。

ラッキーピエロのハンバーガー、ハセガワストアのやきとり弁当も名物です。湯の川温泉にも浸かりました。

函館→札幌

青春18きっぷを利用して函館本線で札幌まで上陸しました。大沼→駒ヶ岳→噴火湾→羊蹄山→日本海→札幌のビル街という風景の移り変わりにワクワクが止まりません。

函館本線は海の幸を使った駅弁も楽しみました。森町、長万部町で、それぞれいかめし、かにめしを食べました。

函館から9時間かけて札幌に着きました。5月に行った根室~札幌旅と合体すると、北海道鉄道横断旅は完了です。


5月は、釧路空港に降り立ち、根室へ向かいました。根室市から北海道横断旅をスタートしました。

根室

根室市は、北海道本島かつ日本最東端の都市です。納沙布岬で北方領土を眺めました。歯舞諸島は知床半島より近いです。わずか37km先に貝殻島が見えます。曇り空のため、島々を眺めることはできませんでした。花咲港では、名物の花咲ガニを食べたり、車石という自然が創り出した巨大タイヤを眺めました。

喫茶店では、「エスカロップ」、「オリエンタルライス」など、ユニークなカタカナグルメもいただきました。

釧路

釧路市は道東地方の中心都市です。釧路湿原、和商市場、ザンギ、釧路ラーメンが主な目的です。タンチョウを探すため、釧路湿原を探索しました。結局、タンチョウは見つからなかったものの、広大な釧路湿原を一望し、ヤチボウズなど湿原ならではの植物も目の当たりにしました。

釧路市は、ザンギ、釧路ラーメン、スパカツと言ったご当地グルメの宝庫でもありました。和商市場では、道東地方の海の幸を中心に、自分好みの海鮮丼を作って味わいました。

帯広

帯広では、ばんえい競馬、スイーツ、豚丼、温泉が主な目的でした。

ばんえい競馬では、世界で唯一、ソリを曳く馬のレースが観られます。賭けなくて誰でもも楽しむことができます。1トンもの馬が豪快に坂道を上る姿に迫力を感じました。

帯広市を中心とした十勝地方は、アメリカのように機械化が進んだ大規模畑作を行っており、小豆、小麦など生産が盛んです。十勝地方でとれた食材をつかって、六花亭など有名なスイーツ屋さんも集まります。おみやげ、軽食を求めて、お店を回りました。

帯広のご当地グルメといえば、豚丼です。豚バラ肉を厚く切り分け、鰻の蒲焼のように、こんがりと焦げ目もつけて焼き上げます。ご飯の上に乗せると見た目は鰻丼です。鰻丼のように、山椒をかけていただくと、より美味しさが堪能できます。

琥珀色をしたモール温泉は十勝川温泉と呼ばれています。帯広市は市街地でも温泉を楽しむことができました。ちょうどよい湯加減で、旅の疲れを癒すことができました。


前半では、北海道横断旅、東日本縦断旅を話しました。後半では、2024年の鉄道旅について振り返ります。

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たびてく@一人旅ガチ勢
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