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秋の読書で味わう読書の秋

結論

木曽川を中心に、色づく山々を眺めながら、読書で読書を楽しむことができる。


読書週間

毎年10月27日~11月9日は読書週間です。10月27日は読書の日であり、読書週間(10月27日~11月9日)の初日です。

読書週間は、1924年、日本図書館協会が制定した「図書館週間」(11月17日~23日)がはじまりです。当時は図書館の利用PRが目的でした。

戦後、1947年、読書週間実行委員会によって読書の力で平和な文化国家を作ることを目的とした「読書週間」(11月17日~23日)に改称されました。読書週間実行委員会は、日本出版協会、日本図書館協会など、書物に関する団体、マスコミなど約30の団体が参加して結成されました。1週間では短いという意見が出ました。1948年、11月の文化の日の前後にまたがるように、2週間に延長しました。

2022年は、本の紹介、2023年は、東京神保町で開催されていたブックフェスティバルについて書きました。ぜひ、下の記事をお読みください。

2024年の読書週間のテーマは秋の読書で楽しむ読書の秋

2024年は「秋の読書で読書の秋を楽しむ」ことがテーマです。

このテーマは、今回の塩尻→富山→名古屋の三角形を描く旅のもう一つの大きな目的でもありました。これを達成するため、読書へ向かいました。

読書地区に散策する。

読書地区は、南木曽町にあります。南木曽町は、国道19号と中央西線が通り、東海地方との玄関口になっています。江戸と京都を結んでいた中山道の時代から、三留野宿、妻籠宿という2つの宿場町を中心に発展しました。

「読書」という地名が誕生したわけ

南木曽町には、読書という地区があります。1874年、与川村ヨガワムラ三留野村ミドノムラ柿其村カキゾレムラの3村が合併して読書村が誕生しました。合併前の3村の頭文字を合体させて、「与三柿村」→「読書村」という村名になりました。読書という当て字には、「学問に優れた村になろうという願いが込められていました。

読書村は、吾妻村、田立村と1963年に合併して、南木曽町の一部になりました。読書地区は、南木曽町の北部を占めています。南木曽駅周辺も読書地区です。

SL公園

日本では、蒸気機関車が走っていました。1940年に製造され、約30年間北陸地方、東北地方日本海側、中央西線を走っていました。1974年5月、教育に役立てるために南木曽町に置かれました。当時の線路も残されていました。枕木は撤去され、芝生に覆われているものの、線路がはっきりと見えました。

木造のベンチ、机もあり、お弁当も楽しめます。10月前半は、まだ日が強く、昼間は20℃を超えて暑かったです。しかし、徐々に涼しくなり、11月前半には、紅葉が見頃を迎えるでしょう。

水力発電の施設も見られる。


読書村には、明治時代、水力発電所と水力発電所の付帯施設が建設されました。水力発電所は、現在も稼働しており、付帯設備も、残されていました。

桃介橋

名古屋電灯株式会社社長だった福沢桃介は、電力を確保するため、木曽川の水量、高低差に目をつけ、木曽川に水力発電所を作ろうと考えました。読書村に発電所をつくりました。AIから聞いた話によると、現在も、読書発電所として稼働しています。

読書発電所から上流へ3km離れた場所に、桃介橋があります。桃介橋は、読書発電所へ資材の輸送のため、1925年に架けられました。当時の建築技術が詰め込まれており、木造のつり橋として、日本屈指の長さを誇ります。木曽川の両岸を247mを結んでいます。

土台は石を積んで造られました。両端、中央にある3基のコンクリート製主塔から、ケーブルがつながって支えられています。太いケーブルを支えるように、細いケーブルが天に向かって太いケーブルと橋桁の端の部分を垂直に結んでいます。

開通当初はレールを敷き、鉄道で物資を運搬していました。時代とともに、輸送手段が自動車に変わり、自動車県道としても利用されてきました。しかし、老朽化により、橋桁が腐食していきました。1970年代から通行禁止にされました。

1994年、新しい桃介橋が架けられました。現在は、歩行者専用の渡り橋になっています。橋を通ると、ゆったり揺れ、木のきしむ音が聞こえます。スリルを少し味わいながら、橋を渡ります。橋の両側から見える木曽川の清流は圧巻でした。

福沢桃介記念館

1920年に福沢桃介の別荘が建てられました。1985年から記念館として公開されました。館内には暖炉、テーブル、洋食器などから、100年前のまま残され、当時の西洋文化の流入が分かります。

山の歴史館

皇室が所有していた不動産を管理するため、全国各地に御料局が置かれました。皇室は不動産として木曽地域の森林も所有していたため、妻籠に置かれました。1933年まで、名古屋市長御科局妻籠出張所として利用されました。現在の大桑村、南木曽町、中津川市東部の木曽南部を管轄していました。1986年まで住宅として利用された後、1990年、現在の場所に移築されました。

御料局は、警察署みたいな施設でした。当時から、無許可での森林の伐採、売買が禁止されていました。違反者を取り調べるため、留置所、取締室もありました。留置所には、何もなく、特に冬は過酷な環境だっただろうと思わされます。

喫茶店で読書に勤しむ。

塩尻、松本行きの普通電車は、2時間に1本程度しか来ません。まだ30分ほど余裕があったため、南木曽駅に戻り、駅周辺を散策しました。食堂、カフェ、お土産物屋、スーパーマーケットがありました。まだ塩尻方面の電車まで待ち時間があったため、喫茶店に寄りました。読書しながら、珈琲と旬のアップルパイを味わいました。

ローカル雑誌の魅力

喫茶店には、長野県のローカル雑誌「KURA」が置いてありました。ローカル雑誌には、その土地ならではの情報が書かれています。旅の情報収集には、ピッタリです。

読んだ雑誌の特集は、「長野のスーパーフード」という特集でした。長野県は、平均寿命が男性2位、女性4位と、滋賀県に次ぐ長寿県です。長野県民の健康、長寿の秘密が食事にあるだろうと考え、特集が組まれました。

寒天、七味唐辛子、蕎麦など、長野県の特産品と健康の関係について書かれていました。長野県の肉食についても、書かれており、今後の旅、記事の参考になりました。


秋の読書は、11月上旬頃に紅葉の季節が到来します。秋の読書の紅葉狩りしながら、読書の秋に没頭しては、いかがでしょうか?


参考文献


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たびてく@一人旅ガチ勢
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