招き猫のルーツを追う旅
結論
江戸時代、ネコが前足を使って顔を洗う姿が手招きに例えられ、招き猫が誕生した。
東京が発祥となり、全国へ広がり、独自の進化を遂げた。
9月29日は招き猫の日
「来る福(くるふく)」という語呂合わせから、1995年、「日本招猫倶楽部」によって制定されました。日本招猫倶楽部は招き猫の愛好家です。招き猫の魅力を多くの人に知ってもらうことを目的としています。
招き猫の登場
招き猫は江戸時代に誕生しました。ネコが前足を使って顔を洗う姿が手招きに例えられました。前足が耳に寄り、後足も回ると客が来るというジンクスが生み出されました。
ネコの恩返し、ネコが手招きで人間を救う話など、さまざまなエピソードによって、福招きの猫として、招き猫は全国に流行しました。日本だけではなく海外にも広がっていました。
今回は、招き猫のルーツについて探りました。
西方寺
西巣鴨にあるお寺です。江戸吉原の花魁(最も格式の高い遊女)の薄雲太夫は熱狂的なネコ好きでした。タマという三毛猫を飼っていました。しかし、タマが薄雲太夫のそばを離れなくなり、トイレまでついていくようになった頃には、うっとうしくなりました。首を飛ばしました。すると、タマの首は天井にいた大蛇に噛みつきました。大蛇から守るためについて行ったことを知り、後悔した薄雲太夫は、吉原の西方寺(西巣鴨に移転)に猫塚を築いて供養しただけではなく、香木の猫像も贈りました。この猫像が招き猫の起源になったと言われています。猫の名前=タマというイメージがついた理由の一つとも考えられます。
豪徳寺
東急世田谷線豪徳寺駅から徒歩5分にあるお寺です。桜田門外の変で暗殺された井伊直弼など彦根藩井伊氏の墓地があります。
江戸時代初期の豪徳寺は、目立たない寺院でした。当時、一匹の白猫を飼っていました。住職は「いつか恩返しするんだぞ」と言い続けて、自己犠牲してでもネコに餌を与えるなど、愛情を注ぎました。
2代目彦根藩主井伊直孝が鷹狩の帰り、門前で手招きするネコに誘われて豪徳寺で休憩をとることにしました。住職は、井伊直孝にお茶をふるまい、仏の教えを説きました。休憩中、落雷を免れました。これ以来、井伊家の菩薩寺として発展しました。この猫の恩返しのエピソードから、猫の観音を祀りました。招福猫児を授与しています。
境内にある招福殿では、家内安全、商売繁盛、開運招福を願う参拝者が大小の招福猫児を祀ります。大小の招き猫がズラリと並ぶ光景は圧巻です。写真映えし、SNSによる宣伝効果も抜群です。
招福猫児は豪徳寺で購入できます。大きさによって値段は変わります。
常滑焼
中部国際空港のある常滑市は、常滑焼の発祥の地です。常滑焼の招き猫が、現在の招き猫のスタンダードになっています。大きな頭、ふっくらした身体、大きな目が特徴です。身体の3文の1を占めます。
常滑駅の近くには、巨大な招き猫の顔が展示されていました。市内にあるイオンモール常滑には、エントランスに巨大招き猫があり、イオンモール常滑のシンボルとなっています。
スターバックスで招き猫を買う方法
京都市東山区にある3店舗(京都二寧坂ヤサカ茶屋店、京都祇園ホテル店、京阪祇園四条駅店)のスターバックス限定で購入できる高級ガチャガチャ「縁起物チャーム」(2530円)。年の終わりに祇園町の子どもたちや芸舞妓らが、お年玉としてもらっていた「福玉」という伝統的な文化がモチーフとなっています。福玉とは、紅白でできた丸い玉に縁起物を入れたもので、大晦日に除夜の鐘が鳴り終わってから割って開け、中身で新年の運気を占う風習もあったと言われています。
ガチャガチャの中身は、縁起物をモチーフにした5種類のチャームが入っています。這児、駒犬土鈴、店舗によって異なる3種類の招き猫土鈴の5種類で、すべて伝統技法で丁寧に手作りされています。
何が入っているか、開けるまでわかりません。子供の頃に戻ったようなワクワク感が止まりません。
今回は、招き猫について語りました。瀬戸焼、九谷焼など全国各地には、独自に作り上げた招き猫が存在することがわかりました。
招き猫にあやかって、徳を積み、幸福を呼び込みたいものです。
参考文献
山梨県立博物館編集,(2019),すごすぎる!ねこ展~ヒトとネコの出会いと共存の歴史~
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