なまはげは地域の教育システムだった?
結論
なまはげは、1年の厄を落とし、福をもたらすだけではなく、地域の子どもたちも育てるシステムでもあった。
真山地区で学ぶなまはげ
秋田県といえば、なまはげを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。今回は、男鹿半島にあるなまはげ館、男鹿真山伝承館を訪れ、なまはげについて学んだことを書きます。
なまはげ館、男鹿真山伝承館は、真山神社の境内にあります。なまはげ館では、なまはげについて、成り立ちから学ぶことができます。伝承館では、真山地区に厳粛に伝わる伝統のなまはげ儀式を体感できます。
なまはげ
なまはげは、秋田県男鹿半島の伝統行事です。1973年、国の重要無形民俗文化財に指定されました。毎年大晦日、男鹿半島各地の家庭に現れます。
現在では、なまはげを中心とした観光による地域創生のためか、1年中、入道崎など男鹿半島の観光地に神出鬼没するようになりました。秋田駅の改札を抜けると、なまはげが出迎えてました。
なまはげの正体
なまはげの正体、由来について諸説あります。
武帝が連れてきた5匹の鬼説
古代中国、前漢時代の天子である武帝は5匹のコウモリを連れて男鹿半島に降りました。コウモリは、やがて鬼に変わりました。1月15日の小正月、休みが与えられ、鬼は村中を暴れまわりました。困った住民は「一晩で五社堂まで1000段の石段を築けたら毎年一人ずつ娘を差し上げる。できなければ二度と里に下りないように」と賭けを提案しました。鬼たちが999段まで石を積み上げたときに、村人は朝を告げる鶏の鳴き声をマネして夜明けを告げました。鬼は驚いて山に戻り、二度と里に下りることはありませんでした。鬼に復讐されないため、小正月、村の青年が鬼に扮して、ごちそうして、お山に返したことがなまはげの起源とされています。
お山の神様説
男鹿半島でお山と称する場合は西海岸沿いにある北から、真山(標高565m)、本山(標高715m)、毛無山(標高617m)を指します。毛無山の代わりに男鹿半島の付け根にそびえる寒風山(標高335m)を指すこともあります。お山には、山の神が鎮座する場所と信じられています、なまはげは山の神を表した姿とされ、崇められたという説があります。
なまはげの語源
ナマミハギから来ていると言われています。ナマミは働かないで囲炉裏に長時間当たっているとできる低温やけどのことです。ナマミを引きはがすことから、ナマミハギ→なまはげと言われるようになりました。
江戸時代から伝わる衣装
地区ごとに異なるお面
なまはげと言えば、鮮やかかつ怖さと迫力もあるお面です。顔は鬼をモチーフにしています。地区ごとにデザイン、材質が異なります。なまはげ館では、男鹿半島で観られる150体のお面がズラリと並んでいました。身の回りにあるプラスチック、トタン、木材などを使って作ります。江戸時代からの伝統のお面は、ケヤキの皮を掘って作られていました。
手作りの服、小道具
雨雪から身を守るため、蓑を着ます。稲わらでできている蓑がほとんどです。なまはげは、1年の厄を落とし、翌年に福をもたらすとされています。家の中を暴れるように歩き回るときに落ちるわらが、その家に翌年の幸福をもたらすとされています。男鹿駅に行くと、お賽銭と引き換えに、蓑に使われている稲わらを1本いただくことができます。お守りにオススメです。蓑は竹製もあります。
木製の包丁、鍬、手桶をもって、なまはげは完成です。
なまはげの一日
事前のリサーチ
なまはげも事前の準備が欠かせません。その年に不幸のあった家には入りません。不幸がないことを確認します。子どものいる家庭は、子どもの悪行を聴きます。これが多くの子どもがトラウマになる一つの要因です。
12月31日
夕方、公民館、神社などで神事を行ってから青年がナマハゲに化けます。
真山地区の場合、勝手になまはげが家に入ることはありません。なまはげが来る前に、「先立」という役目の人が家の主人になまはげを入れてもいいか確認します。OKだったら、なまはげが入ります。厄落としと翌年の福をもたらすため、子どものいない家庭も、なまはげは来ます。
主人が正装して出迎えます。なまはげが家に入るときも、所作があります。家に上がると、四股を7回踏み、神棚に参ります。「怠け者はいないか、働かないこどもはいないか」などと大きな声をあげながら、家中を歩き回ります。子どもにとって、この時間が長く感じられ、泣きだすこともしばしばです。
主人が荒々しく暴れる鬼を沈めると、鬼へのおもてなしです。お酒とお餅のふるまいをします。かつて、特産品のハタハタのコース料理を提供する地区もありました。鬼は、お酒、お餅をいただく前に四股を5回踏みます。主人とナマハゲとの間で様々な問答が交されます。早く帰ってほしいとき、お酒をどんどんふるまって逃げようとすることもあります。
最後に、ナマハゲは来年も豊作であるよう祈願し、再び立ちあがり3回四股を踏んで歩き回ります。家を立ち去る前に「来年もまた来るぞ」と言い残し次の家へ向かいます。
四股を踏む理由は、子どもたちが病気などなく健やかに育ち、幸福になれるように祈っています。家に上がってすぐ7回、おもてなしを受ける前に5回、家を出る前に3回、「七・五・三」という四股の踏み方は、真山地区のナマハゲの伝統の一つです。
時代に合わせて変化するなまはげ
儀式の方式は伝統を守りつつ、日取り、内容は時代によって変化しています。元々は1月15日の小正月の伝統行事でした。しかし、秋田市だけではなく東京など都市部に移住するようになり、現在は帰省して家族が集まる12月31日に開催しています。
地域で教育システムだった?
伝統を重んじることから、堅い儀式と思いがちです。しかし、インターネット、動画の観すぎなど、問答の内容は現代風に合わせていました。毎年、訪れるため、子どもの成長も見ることができます。地域を挙げて、子どもたちを見守ったり、教育のための儀式ではないか?とも思わされました。
男鹿半島で、なまはげについて学びました。
なまはげは、怠け者を懲らしめ、家の子どもたちが健康に幸せになれるように災いを払います。同時に、子どもたちの悪行を正すなど、教育の役割も果たしているのではないか?と思いました。
参考文献
丸善出版,(2024),47都道府県ご当地文化百科・秋田県,丸善出版
稲雄次,(2019) ,ナマハゲを知る事典, 柊風舎.